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ヤクルトたちが教えてくれたこと、息子の受験。

息子の受験が、佳境に入っている。

ここまで来るとさすがにもう、どこの学校へ行くことになってもそれが今の息子にとって最高の学校なわけで、大切なのはそこに至るまでに学んだ多くのことなのだ、と、心底思えるようになった。

この半年ほどの間に息子が、勉強やりたくなさすぎてだまって遊びにいったことも、うまくいかないことが重なってイライラしたことも、もうママにはなんにも相談したくない、と、言い放ったこともあった。でもしばらくたつとまた、「さっきはごめんね」と素直に謝ったり、「いつもサポートありがとう」ってメールくれたり、「お弁当いっつもうれしい!」とにこにこ言ったり、そして「受験勉強がんばってきてよかった」みたいなことまで言ってくれるようになった。

もちろん息子は成長したと思うのだけれど、なんか考えてみたらこの受験で得た大切なものは、その成長以上に、「結構たいへんな受験という環境の中でも、息子がその息子らしさや良いところを失わなかったこと」なのかもしれない、と、そんなふうにも思う。(いや、まだ、ぜんぜん終わってないのだけれども。マダ、オワッテ、ナイ。)

そして、息子だけじゃなくてもちろん、私自身が、この受験生の息子と向き合う中で、まじでほんとうにいろんなことを、学んできた。「中学受験は親の受験」なんて言葉を聞いたこともあって、私にはぜっっっっっっっっったい無理だそんなもんどうしたらいいんだと思いながら片足をつっこんでから早3年。今ならわかる。中学受験は、まちがいなく小学生の受験である。当たり前である。親にできることなんてたかだがしれている。ほとんどないと言っていい。少なくとも私は、ほんとうに、ほんとうに、ほとんど何もしてあげられなかったと思う。たっかい塾のお金を出したことくらいだ。

それでも、なんせたっかい塾のお金がかかっているので、そりゃもう何度も「なんでこんな勉強しないのかね」「なんで模試当日の朝5時にコンパスがないとか言い出すのかね」「いつスイッチは入るのかね(今も思っている)」「この人間の体温みたいな偏差値はどうするのかね」「やる気はあるのかね」「そんなミスするかね」みたいなことを、山ほど思った。でも、なんといっても、私と息子は他人だ。だから私がこんなことを思ったところで、そしてそれを口にしたところで、事態が好転するわけではない。全く、ない。結局のところ、机の前に座り、手を動かし、知識をそのやわらかい頭に吸収していくのは、息子自身なのだ。

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