見出し画像

安部公房の「砂の女」を読む私は「泥地獄に埋まった女」

【読書記録】
あの日、引越したばかりの当時新築だった実家横で遊んでいた5歳の私は、泥地獄のごとき底なし沼に嵌った。

湧き水の多い土地に建てたせいで、基礎工事中からかなり苦労したらしい。
家の周囲の土が、いつもじっとりと湿っていたのを覚えている。
しかし、これくらいの「不自由さ」は仕方がない。
ここは、母が幼い頃に駆けて遊んだ、忘れられない思い出の地なのだから。

その日、母は家で洗濯、私は外遊びにいそしんでいた。

さっきまで降っていた雨は止んでいたが、ただでさえ湿った土はぬかるみ、泥んこの水溜まりになっていた。

長靴を履いた足で、泥水をぴちゃんぴちゃん。
足裏に泥が吸い付くような感覚と、水の濁りが拡散していく様子が楽しくて、何度も足踏みをした。

何分くらいそうしていたのか。
気がついたときには、長靴は完全に泥の中に沈み、抜くに抜けなくなっていた。

ほんの数分前まで楽しく感じていたはずのひんやりとした泥の感覚が、皮膚に直接触れた瞬間、恐怖に変わる。

膝まで埋まり、それでもなおゆっくりと沈み込んでいく。
 
「おかぁさぁぁん!たすけてー!おかーーさぁーーーん!!」

沼に面した洗面室で洗濯をしていた母の耳に、運良く泣き叫ぶ声が届いた。
何事か、と母が駆けつけたときには、腰近くまで泥の中にいた。

近所のおじいちゃんと母によって無事に掘り起こされた私は、泥だらけになって、ただただ泣いた。

安部公房の「砂の女」を読んで、あの時の泥の感触、恐怖感を思い出した。

閉じ込められた穴の中で、砂は掻いても掻いても止めどもなく降り積もり、ボロ家も、皮膚も、男の精神も、そのすべてを侵食していく。

自由と不自由、異常と正常の概念が壊れ、環境に馴れてしまう憐れさを目の当たりにし、そこから人間が生きる意味というものを考える。
一瞬も気の抜けない展開に、時間を忘れて完全に引き込まれてしまった。

常識的に考えるとあり得るはずもない設定なのに、そんなことはどうでも良くなり、男の脱出を願っているのか、そのままズブズブと埋もれていくのを期待しているのかさえもわからない不思議な高揚感の中、一気読みした。

外の世界へ出る自由、内に閉じこもる自由。
自由という名の不自由があって、自由以外は不自由で、不自由な中にも自由はある。

なんだろう、この気持ちは。
とにかく、凄かった。

❝ふと、戸口の輪廓が、色のないほのかな線になって、浮び出た。月だった。ウスバカゲロウの羽のような、淡い光のかけらだった。目がなれるにつれて、砂の摺鉢の底全体が、脂っこい若芽の肌のように、艷やかな潤いをおびてくる…❞

「砂の女」より

リアルで艶めかしい比喩や暗喩が良い。とても良い。
安部公房の沼に嵌ってしまいそうだ。

ちなみに実家の底なし沼は、追加工事が入り、その後二度と人を飲み込むことはなかったとさ。

今月のNHK「100分de名著」は「砂の女」を放送中。
先月読んだばかりだったので、タイミングよく放送が見られてうれしいし、ヤマザキマリさんの視点が面白い。
残すとこあと一回。来週も楽しみだ。

ちなみに原作を読んだ後で、安部公房が脚本を書いたという映画も見た。
面白かったけど、やはり原作には敵わない。


この記事が参加している募集

わたしの本棚

おすすめ名作映画

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?