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仕事を作るのに会社は要らない。教育を変えるのに学校は関係ない。

僕はオンラインコミュニティを運営していますが、これはもはや、新しいカタチの会社だな、と痛感しています。

仕事をする場所=会社というイメージがある方も多いと思いますが、これからはそうでもなくなっていくと思っています。

株式会社を日本で初めて作ったのが、かの有名な坂本竜馬であると言われており、幕末の頃なので、今からおよそ150年前です。

会社ってそもそも、人が集まって一人でできない大きなスケールのことを社会的にやることが目的だと思いますが、今ではインターネットという仮想の集会所があるので、その上でも人が集まって何かをすることができます。

今でも社員がSNSで自社を宣伝する会社が絶対に強いと思いますが、むしろそれをダメ!としている会社の方が圧倒的に多いですよね。

これはなぜでしょうか?


カエル跳び

「カエル跳び」という文化・社会の発展の仕方があって、既存の文化や社会構造があると、それを一度壊さないと新しいものを導入することができません。

たとえば、自動運転とかもアフリカとか今インフラが整っていないところであれば即座に普及する可能性がありますが、日本みたいに過去のテクノロジーに完全に最適化している環境では、「一度時間を掛けて一生懸命に作り上げたものを壊す」という余計な一手間が必要になります。

そして、それは非常に心理的抵抗感が強くて簡単にできるものではありません。

これを「コンコルド効果」と呼びます。

コンコルド効果:「埋没費用効果 (sunk cost effect)」の別名であり、ある対象への金銭的・精神的・時間的投資をしつづけることが損失につながるとわかっているにもかかわらず、それまでの投資を惜しみ、投資がやめられない状態を指す。超音速旅客機コンコルドの商業的失敗を由来とする。


会社とかも同じで、なまじ150年の伝統やノウハウがある故に、簡単に方向性を変えたりしにくいですよね。

だったら、全く別の場所に新しい会社を作った方が早い。そこでオンラインサロンとかコミュニティがその役割を担っていくことになると思います。


本当に教育を変えたいなら学校にアプローチ”しない”

これは教育分野とかも同じだと思います。

今の日本の現状を見ていると、教育分野にもっとテコ入れしなければいけないのは明らかです。

でも、教育分野を本当に変えるためには、それこそ今までの学校や義務教育のシステムやロジックを全部ぶっ壊すつもりでやらないといけない。

しかも、教育分野は人の価値観の形成に深く関わる分野なので、嫌われ者(笑)の会社組織よりも変革が容易ではないでしょう。


生半可な覚悟では難しいし、どうしても反対勢力ができるので莫大な時間が掛かります。

現代はスピードが求められる時代で、反対勢力と戦っている暇などありません。その間に時代が変わってしまうので、ほぼ100%革命は失敗に終わります。


僕たちにできること

教育分野や会社や病院、組織の改革は誰もがみんな思い付くことですが、それはあえてやる必要はないと思います。

なぜなら、「自分達がわざわざやらなくても誰かが絶対にやろうとしているはずの分野だから」です。


もちろん、心底やりたいならやっても良いですが、討ち死にする覚悟が必要な上に、強大な権力や資本を携えて臨む必要があります。

でも、正直今はそんな時代じゃない。

いくらでも他の良い手軽な方法が発明、開発されています。


教育とは何か?

教育については色々と思うことがあります。

義務教育の内容が悪いという声を聞きますが、実際、記憶中心のカリキュラムから実践中心の「考える教育」へと変革は自然にされていくだろうと思っています。


カリキュラムの細かい内容についての議論も様々あるようですが、実際、僕達は何を習ったか、大人になってから思い返してみると、細かい授業の内容なんてほとんど覚えていません。

でも、学校教育を通して「人をいじめてはいけない」とか「勤勉でいると褒められる」というような価値観を身に付けてきた、とは言える気がします。


つまり、細かいカリキュラムの内容よりも、文脈として義務教育で何を教わってきたか、それが重要であるように思います。


では、その価値観とは一体何か?と考えてみると、おそらく「物事の優先順位」によって決まるのかなと思います。

怠惰よりも勤勉の方が優先順位が高いから勤勉を美徳とする価値観が形成される、という論理です。


人は自分の中にある概念を全て優先順位を付けて、並び換えて認識しているはずです。でないと認識というメカニズム自体も成り立たないし、ましてや個性や価値観、アイデンティティというものが全く存在しないことになってしまいます。


つまり、大雑把に言ってしまうと、「教育=物事の優先順位を教えること」だと思います。

つまり、これが世間で「価値観」と呼ばれるものになります。


ネットでの発信で人の価値観は変わる


僕は19歳の頃に音楽(作曲など)に熱中していましたが、それくらいの年代で出会った事象によって人の価値観は大きく変わると思っています。(僕が今やっていることは音楽→文字に変えただけのことです。)


20歳前後のこの時期にあなたは何を熱心にやっていましたか?

カタチは違えど、その経験が今やっていることの原体験になっていませんか?きっと要素的に分解されてはいるものの、必ず今やっていることに組み込まれているはずです。


つまり、義務教育を一通り修了したその後、この時期こそがその人なりの価値観を形成する時期だと思っています。

この時期に開かれたネット上で新しい衝撃的な事象に出会う事ができれば、義務教育にテコ入れするのはそこそこでも、大きく人が変わり、社会が変わっていくと思います。


なので、教育機関の構造・システムを変えてやろうと粉骨砕身するよりも、ブログでも始めて自分の思いや行動の結果をバシバシと発信していく方がよっぽど効率的だと私は思っています。

(もちろん、権力や資本をたくさん持っている方は私と同じ戦い方をすべきではありませんし、持っているリソースを有効に使って戦術を組み立ていくべきなのは前提として言うまでもありません。)

個人レベルでの新しい情報発信のカタチを模索しています。もし発信している情報に少しでも価値を感じたらサポートをお願いします。今後の活動資金とさせて頂きます。