『進化し続けるサムライ』—「レザンファン・ギャテ」松澤直紀

「料理人になったきっかけ?……なんとなく」

開始直後のこの回答に「おかしな質問だったかな」と不安になったが、全くの杞憂だった。

口数は少なく、淡々としている。真顔だと「昔ながらの寿司屋の大将」みたいで、風格がある。実際に話してみると、実はお茶目で、時折少年のような顔で笑う。その笑顔を見ると、「あ、この人に少し近づけたかも」と嬉しい気持ちになる。真剣な表情と笑顔のギャップが魅力的な人だ。全ての質問を終えた後、「大丈夫かな、このインタビュー。内容薄くない?」と言って、はじめの質問内容に戻ってくれた。細やかな気遣いから、本人の優しい人柄が垣間見えた。

「レザンファン・ギャテ」総料理長 松澤直紀

1970年生まれ。武蔵野調理専門学校卒業後、数件の都内フレンチレストランで修行。2007年「レザンファン ギャテ」オープンよりシェフに就任。現、グループ統括総料理長。同レストランはミシュランガイドで8年連続1ツ星を獲得。進化し続けるテリーヌは「小宇宙」「食べる宝石」とも称され、美食家を魅了し続けている。

■「もの」をつくるのが好きだった学生時代

「なんとなく」料理人になったというが、よくよく話を聞いてみると、もとからものづくりが好きで、何かをつくったり、描いたりするのが好きだったらしい。学生時代の得意教科は美術で、高校時代にものづくりの仕事を志すようになった。

—ものをつくるだけならば、選択肢は色々ある。なぜ料理だったのか?

「料理って残らないじゃないですか」ぽつりと言った。

「消えてなくなるものが良かった。料理自体は食べてなくなるけれど、美味しかった記憶や思い出は残る。その儚さがいい」「美味しいものを食べて、美味しいという記憶だけが残る。素晴らしいことじゃないですか」

何気ない言葉だが、深い。

—さらに、フレンチというジャンルに惹かれた理由は?

「食材を上手に生まれ変わらせる感じがした。和食は食材を上手に調理して美味しく食べさせるじゃないですか。フレンチは、食材が生まれ変わるようなイメージ。野性的なジビエですら、ソースがかって上手に調理するとエレガントになる。それがすげーなぁと思ったんです」

蛹が蝶になるように、食材が「生まれ変わる」。儚く消えるものを志向する松澤さんが、食べる芸術品の最高格であるフレンチに行き着いたのは、必然だったのだろう。


■”第二のオヤジ”の教え

専門学校卒業後、数店のレストランで修行をした松澤さん。尊敬する人は、最初の修業先である吉祥寺のフレンチ「パリジェンヌ」の増井錠治シェフだという。専門学校の講師として来た増井シェフと出会い、「こういう人のもとで働きたい」と、そのまま「パリジェンヌ」で働くことになった。

増井シェフは松澤さんにとって、いわば”第二のオヤジ”的存在。面倒見の良い人柄で、礼儀や料理人としての基礎をいろいろと教えてくれたそう。その中でも、「当たり前のことを当たり前にやること。端折らない」という教えは、今も料理を作るうえで常に大事にしている。

「当たり前のことをきちんとやること。大変だけど、基盤となる大事なことです」

料理だけでなく、すべてのことに通じる心がけだろう。

—苦労したことはあるか?料理を辞めたいと思った事は?

淡々と語るシェフにも辛いことはなかったのだろうかと思い、この質問をぶつけたところ、「特にないです」と即答されてしまった。嫌なことがあっても、気持ちの切り替えは得意だという。

「人が辞めて人数が少なくなった時に、他の人の仕事が降ってくることくらいかな」

毎日怒られて、胃が痛くなったり、食欲が落ちることもあるが「別に誰でも経験していることだから」と松澤さんはこともなげに言った。


■アイディアはひらめき、成功の鍵はイメトレ

シェフのテリーヌは独創的だ。「調理の仕方や組み合わせで色々表現できる」という通り、見た目の美しさはもちろん、素材の合わせ方が斬新で、「10数センチの台形の中にフランス料理のエスプリを閉じ込めた小宇宙」と称される所以もわかる。「テリーヌばかりなんて、飽きそう」と思う人も、一度食べれば、テリーヌの多彩さに驚くだろう。通常メニューのテリーヌは9種類、うち定番ものが5〜6種類、残りの3種類は季節毎に変わる。「本日のテリーヌ」は、その日の思いつきで変えることもある。

—アイディアの源泉はどこから湧いてくるのだろうか?

「特にないです」

またさらっとかわされた。そんなはずは無かろうに。何か、秘訣があるはず。

更にしつこく食い下がると、少し困った表情で2、3秒考えた後に、「ふとした時に降りてきたり、全然関係ないものを食べてるときに『あ、これにあれ合わせたいなー』と思いつくことも多い」。

ベースは思いつきから生まれ、そこから「これを食べたら、何が欲しくなるか」などを考えながら、細かい構想に落としていく。

こだわりのポイントは、「飽きさせないこと」。テリーヌはある程度の大きさがあるから、食べ進めていくうちに飽きてしまったら悲しい。それを防ぐため、色や食感もそうだし、変わった味わいのものを添えたり、ソースや添え物に工夫をすることで、「リズム」を作っていく。

メニューを考案する時には、イメージトレーニングも欠かせない。

中国の政治家の言葉で、良いアイデアが生まれる「三上(さんじょう)」の法則というものがある。馬に乗っているときの馬上、寝室の枕上、トイレや風呂場に入っているときの厠上だ。松澤さんも、馬ならぬバイクに乗っているときによく考えるという。アイディアが閃いたらすぐには実行に移さず、頭の中で新メニューを1度作ってみて、うまくいきそうかどうか「妄想」する。不思議なことに、イメージが掴めずぼやっとしたままのテリーヌは、その後実際に作っても、うまく行くことは少ないという。イメージトレーニングは、スポーツ選手では重要な項目だが、料理においても同じ事が当てはまるのだ。


■執着しないということ。「自然に生きる」

驚いた事に、過去に作ったテリーヌのことは、良く覚えていないという松澤さん。

「疲れるというか。去年あれを作ったから、他やろうというようなメニューの考え方はしないですね。季節が変わって、そのメニューを作らなくなったら、切り捨てる。1年たったら気持ちも変わるし、味覚も変わっているかもしれないし。その時に美味しいと思ったものを作る。同じレシピで同じ料理を作っているようじゃ、進化しないじゃないですか。」

そういうものなのだろうか。人は苦労して生み出した作品は自分の子供みたいなもので、大事に愛でるのではないのか?「創造と破壊」ではないが、新しいものを生み出しては簡単に手放し、次のステップへ進む。その姿は、過去の料理や過去の自分にとらわれず、執着しないということだ。創り出しては、忘れていく。常に前を見て、進化し続けていく。「自然に生きたい」とシェフがいうとおり、その姿はとても無理がなく、自然だ。

「消えてなくなる儚いもの」である料理を志した松澤さんの心の根底には「わび」「さび」という日本の美学があると思った。

儚く美しいテリーヌを生み出す松澤さんは、根っからの職人であり、進化し続けるサムライだ。


■進化し続けるサムライはどこへ向かうのか。

「今後の夢は?」ときいたら、意外にも返ってきた答えは「目標を探すこと」だという。

「何か目標に走っている人は、カッコいいですけどね。今は『自分って何?』という感じだから、自分らしさが何かを探していきたい」

「自分が向かうところが明確な人もいる。うらやましいよね。そういう人は、魅力的だよね。迷いが無く自分の道を進める人は」

松澤さんのように、進化し続けている人ですら「人生模索中」だというのには、驚いた。人や組織が成長する方法には、二種類あると思う。ひとつは、早い段階で遠くのゴールを設定するトップダウン型、そしてもうひとつは、身近で地道な努力を積み重ねているうちに高みにたどり着くボトムアップ型だ。松澤さんの場合は、どちらかといえば後者で、「当たり前のことを当たり前にやって」努力した結果、気付けば前に進んでいるのだろう。

サムライの更なる進化が楽しみだ。


レザンファン・ギャテ
東京都 渋谷区 猿楽町2-3
☎03-3476-2929


(文・写真/水上彩)

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