インド物語−デリー①-

世界にはよく似た場所がある。

私の故郷は広島県の端っこにあって、そこでは車を使って生活していた。

駅まで続くまっすぐで広い6車線の道路を行ったり来たりしながら18年間を過ごし、最後はその道に沿う新幹線に乗って故郷を離れた。

5年後くらいに、たまたま訪れた長崎県でまっすぐで幅の広い6車線を走っていた。その道は新幹線に続くいつか来た道と同じだった。見知らぬ土地の、流れていく景色の後ろに、故郷で過ごした18年間が佇んでいるような気がした。

生活回路や周辺の造作など、いろんな条件が近いとそういうことが起きるんでしょうか。もしかしたらただ単に町や道をデザインした人が同じだっただけかもしれない。

正確なところはわからない。

新宿・歌舞伎町は仮面の下に潜む欲望みたいに都庁ビルの下に広がっている。その欲望を一掃しようと歌舞伎町浄化作戦というものも昔あったけど、置き去りにされた古い鞄のように原型を留めたまま今もそこに残っている。

なぜなら都庁で働くエリートも置き忘れたその古い鞄をとりに、この町にやってくる。もちろん人知れず欲望を覆い隠す仮面を被ってではあるけれど。

デリーの街にきた。

新宿によく似ていた。

ニューデリーに立ち並ぶ高層ビルの稜線の麓にオールドデリーと呼ばれる市街地が広がっている。

美しい紋様に舗装された道路に、警備員が配置された広いニューデリーの公園を抜けると、土埃の舞うオールドデリーの道に変わり、露天商が客を引く横で、身体の一部が欠損した母親が子供のためにモノを乞うている。

私はただ15分まっすぐ歩いただけである。

保留も、忖度も、どこでもドアもない道を、何となく歩いていたら貧富の差がその辺に生えた草木みたいに立ち並んでいた。

引き返してニューデリーのマクドナルドでハンバーガーを食べたら、怒りや哀しみが、沸いて下がってを繰り返した。すごく混乱した。

久しぶりに食べたマクドナルドは富の象徴だった。

1000m離れた場所には飢餓で今夜にも死ぬ子供がいた。

ここに来るまで1か月の間、まともなものを食べず、固いベッドに汚いシーツで寝起きしていた。玉ねぎの皮みたいに薄くなった黒いシャツを着て、擦り切れた赤い人参みたいなズボンを履いていた。

そんな格好の私を久しぶりのハンバーガーが現実に引き戻そうとしたけど、こんなところに来てまで仮面を被ったエリートのフリをしたくなかった。

マクドナルドは居心地が悪くなって、すぐに店を出た。

土着の人たちは私を(日本人を)ニューデリーの住人だと思っていた。金を持っていて、無駄に背の高いビルで働く、生まれながらのエリート。

私は広島の片田舎で育った。ここの人たちと同じで、自分で選ぶことなく与えられた場所で育った。

そのあとは自分で都会に出て働くことを選んだ。

それだけでこんなに違う。

私はただ、心を揺らしたり燃やしたりして生きていたいだけ、たとえ大都会であろうと、貧困の旅先であろうとも、誰かの思惑や欲望に振り回されたくないだけだ、と思っていた。

そんな自分がとても小さくて滑稽に思えた。それくらい混乱していた。




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