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あの暑かった日

三沢高校対松山商業の決勝戦は,1969年の,いま調べてみたら8月19日でした.太田幸司が18回をひとりで投げ切って,0対0の引き分けとなった有名な試合です.

わたしは小学校低学年で,そのころは毎日のように近所の公園にこどもたちが集まって,三角ベースに毛がはえたような野球をしていました.その日もラジオを大音量でかけて試合経過を追いながら,自分たちも野球を楽しんでいました.

暑い日でした.当時は一関に住んでいたのですが,その日は最高気温が31度になったことをしっかりと覚えています.当時は夏の30度ごえはせいぜい2, 3日あるかないかで,30度をこえるととにかくあつかった記憶です.最高で32度を一度だけ経験したことがあります.

いまはそのころと比べると格段に暑くなっています.若い人間は生まれたときからこんな気候なのでなんとも思わないのかもしれませんが,クーラーがないと生活できない文明は危険だとわたしは思います.真夏のいちばん熱い時期に,仮に大災害や戦争が勃発すれば,1-2週間のライフラインの途絶でどのくらいのひとが死ぬことになるのか.

いま求められているのはそういったことへの想像力と,いまわれわれはなにをしたらいいのか,どのようにした被害をふせげるか準備するための決断力と実行力だと思います

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