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苦しんでいるひとへの援助

わたしが医者になったばかりのころは、がん告知はまだ一般的でなく、最後まで病名をかくして看取りました。痛みや呼吸苦で苦しみながらみな死んでいきました。オーベンは手術大好きでしたが、末期患者にはあまり近づきたがらず、そういったひとの話を聞きケアするのはもっぱら研修医のわたしの役でした。

苦しんでいるひとへの援助の第一歩は、とにかくそばにいてあげることです。しかしこれがとてもつらい。痛みをとりのぞいたり呼吸を楽にさせる専門的な訓練も受けていませんし、そもそも病名をかくしながら接して、あいてとの信頼関係は生まれようがないわけです。しかし歯をくいしばってでもそばにいなければなりません。

苦しんでいるひとは、その苦しみをだれにでもいうわけではありません。たとえ苦しくても、いいたくないひとにたいしてはけっしていいません。だからつぎの目標は、苦しいときに苦しいといってくれる人間関係をつくることでした。自分の苦しみをわかってもらえると思われれば、苦しいといってくれました。

だれも教えてくれず自己流で必死に努力しましたが、研修医の数年では満足な人間関係を作り上げられたのは数えるほどでした。あいての苦しみのサインをとらえるには、とにかく傾聴が重要と悟ったのは、地方病院の責任者としての経験を積んでからです。がん末期も流死産•中絶もそこには共通点があります。

いまではがん末期のケアは系統だってまとめられ、若手へのトレーニングもなされるようになりました。わが周産期ではいまだしですが。しかし患者さんの苦しみのサインをとらえる感性というのは、研修医のときに自ら意識して身につけるべきと思います。一人前の医者のこのセンスの有無には個人差が大きいでしょう。

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