良い文章とは、自然に溢れ出てくるもので

「文章を書こう!」

そう意気込んでも、中々納得できる文章が書けずに挫折してしまうことが何度もある。ひどい時は、1週間以上書く内容を悩んだ挙句、一文字も文章に出来なかったこともある。

それくらい「文章を書く」というのは、頭と時間を使うものだ。

だけどごく稀に、頭こそ使うものの、時間をかけずにスラスラと文章を書けることがある。そして、そんな時ほど良い文章ができたりするのだ。

後、良い文章が書ける時は決まって、「書く」というよりは「書かされる」という感覚になる。不思議なくらい、スラスラと手が動くのだ。

もしかすると、良い文章とは、無理に作り出すものではなくて自然と溢れるものなのかもしれないなぁと、最近考えたりしている。

「文章を書く」とは

文の起りは必ず由あり天朗らかなる時はすなわち象を垂れ人感ずる時はすなわち筆を含む

「文章を書く」という行為について、こんな言葉がある。

訳すると、「人が文章を書くのには必ず理由がある。天界が朗らかな時、この世界に象を表す(空が晴れるなど)。同様に、人は何かを感じている時に筆を執るもの」という意味だ。

この言葉を見た時に、何だかハッとさせられるものがあった。

確かに無理やり文章を書こうとしている時って、中々思うように手が動かなかったりする。仮に何とか形になったとしても、どこかパッとしない文章になってしまう。

一方で、納得できるような良い文章が書ける時って、ある日突然降りてくる。

それは、ずっとモヤモヤと感じたり考えたりしている事があって、ある出来事や人との出会いによって、頭の中で色んなパーツが組み合わさる瞬間だったりする。

私はその瞬間がとても好きだし、殻から抜け出せたようにスッキリとした気持ちになるのだ。

世の中には文章を書くための技術やノウハウが溢れているけれど、それ以上に文章を書く上で大切なこと。

それは、日々自分が感じたことや違和感をそのまま放っておくのではなくて、感情を文章に起こす努力を怠らないことだ。

私はまだまだ「文章を書こう」として、書くことがほとんどなのだけれど…。

伝えたいことがあって文章を書けるようになるために。無理やり文章を作ろうとするのではなくて、自然に溢れ出るようになるために。自分の感情を文章を起こす粘り強さを持ちたいなぁと思うのだ。

#日記 #エッセイ #コラム

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