舞台『殊類と成る』終演に際しての諸々

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劇団肋骨蜜柑同好会『殊類と成る』無事終演致しました。

ご来場くださった皆様、気にかけてくださった皆様、誠にありがとうございます。

終わりましたので、ネタバレも込みで、今思っている交々を気の向くままに記してみようと思います。

ちなみに以前、開幕前の心持やらを記したnoteはこちらhttps://note.com/murocodile/n/n4100545f919c

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そもそも今回の作品は中島敦『山月記』をモチーフとした作品を作りたいという劇団主宰フジタタイセイの企みがあり、そこに、結果的にではありますが、僕個人が体調を崩して少し休んでいた間のリアルであったりがエッセンスとして介在し、出演者の皆様からも日記というかたちで、それらを募集し、という、劇団的にもあまり今まで類を見ない創作過程により作り出されました。

かなり特異的と言いますか歪といいますか、に成った気がしております。

上記のリアルの介在という点について、僕は劇団員としても人間個人としても、実は少しだけ思うところがあり、稽古序盤、まだ台本を模索している最中に、フジタにそのことを話した覚えがあります。

「今一番書きたいこと・面白いと思うことを表現してほしい」

「もしも俺の舞台復帰戦に際しての気遣いや救いという意味でリアルを介在させようとしているのであれば、嬉しくもあるが、それはやめてほしい」

こんなようなことを偉そうに言い放ってしまいまして、しかしフジタはそれをきっぱりと否定し、今の自分の中でこのバランスが、実際の出来事等を作品の中に取り入れるというモキュメンタリーチックなバランスが、最も興味があることなのだと返答され、なるほどと納得したわけです。

では実際にどこまでが俺のリアル、日記であったのかというのは、名言せず楽しんでいただきたいところもあるので、ちょろりとだけ打ち明けます。

まあ病気になり体が動かなくなってしまったというのは事実なのですが、

例えば開始早々一発目の台詞「気がついたら、見知らぬ駅のホームだった」あれは一応僕の実体験でもありまして、体が動かず記憶も曖昧になっているときに、さすがにこれはいい加減起きねばと思い寝床を這い出し最寄り駅に向かったところ、そこから記憶が途切れ、気がついたら森林公園駅のホームベンチに座っておりました。

こりゃいかんと思い、戻ろうと電車に乗ったら、また記憶が途切れ、気がついたらまた森林公園駅のホームにおりました。

こりゃいかんと思い、戻ろうと電車に乗ったら、またまた記憶が途切れ、気がついたら自部屋の万年床でうつ伏せに沈んでおりました。

降り立った森林公園駅には、わかりやすく森林が生い茂っていたのですが、実際の様子を調べてみたらまったく森林などなかったので、あれは夢だったんだろうと思っています。

あとは、サンゾウ青年の家族構成も、室田家と似ております。

父がいて母がいて、少し下に妹がいて、父の弟つまり叔父さんもいます。しかしこれは中島敦の家族構成とたまたま被っただけのようです。

というように、まあ要所要所にそんなエッセンスが散りばめられておりました。

これはあくまでも僕のバランスであり、ほかの出演者の皆様のリアルがどの程度介在しているのかは知るところではありません。微塵もなかった方もいたようです。

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この少々異質なバランスのためからか、稽古場でも様々な情緒に襲われることがあり、初めて作品を頭から尻まで繋げてみたときには見ている出演者数人が涙し始めるという、なんだかよくわからぬ思いが溢れる時間となってしまいました。大勢で登場し、日々の生活を繰り返すというような日記シーン、前回までのあらすじという謎のOPアクト等も含み、どうにも難易度の高い獣的な戯曲を、どう乗りこなすか。感情を制御し、体と言葉でどこまでこの戯曲をお客様に伝わるよう体現していくか、というような意識のもと、本番直前の稽古は行われていたような気がします。僕はそうでした。果たしてそれがうまくいったか、獣を御しきれていたかたいうと、個人的には少し悔いの残るところであるかもしれません。実際俳優の力量について指摘される感想も多かったので。

ツイッターやアンケート等で、

「これは私だ・私の話だ」

「少し気持ちが楽になった」

これらの類の感想が多く見られたことがはおこがましくはありますが、少し嬉しく、というのも僕自身が客席からこの作品を見る機会があれば、こういった感想を持つのではないかと予想していらからで、

事前のnoteにも書きましたが、本作の中に、皆様の日記があるとよいな。という風に、皆様の生活が、感動があるとよいなと思っておりましたので、それはきっと人によって全く異なると思いますが、それこそサンゾウに感情移入する方もいれば、妹、父、母、叔父さん、誰に・どの瞬間にご自身の日々を感じるかはそれぞれだと思いますが、「私」を見出してくれたなら、これは嬉しいなと。

後者は、僕が病気から少し抜け出すきっかけを得たときのことが大きくて、周囲のかたから「実は私も同じようなことがあって」「今もそれとの付き合いかたを探していて」といったような話を、休業中に多くききまして、あたりまえのことではありますが、皆それぞれ何か抱えているのだと、自身のみのことではないのだと知ったときに少しだけ気持ちが楽になりまして、そういった魅力もこの殊類と成るという作品にあるはずだと思っておりましたので。

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出演者についての極個人的な話をします。

一人ずつします。

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※上列左から順に

①杏奈 様(ナース)

若干二十歳だそうです。僕はこのときは初舞台すら踏んでおりませんでした。凄いな。いつも稽古場で大きな声を上げて、正直に笑ったり、元気にリアクションしてくれるのが印象的で、僕なんかは疲れたときには疲れたイライラするときにはイライラを表に出してしまうタイプなので、よほどしっかりとしていて、芝居を、稽古を楽しむ才能があるなあと思っていました。あるシーンで僕が演じるサンゾウに対して本質を突いて詰め寄るシーンがあるのですが、稽古場同様楽しそうで、それが非常に役としてはイラつくし、嬉しくもありました。僕の中では座組の太陽のような存在でした。彼女が楽しそうにしていると、こちらもよい芝居ができたかもという気持ちになる。

②森かなみ 様(クギモト)

劇団員。心根の強い人。心がしっかりと芝居にのる人だなという印象がずっとありました。彼女なりの拘りのようなものを、日々の稽古でも、普段の振る舞いにも、勝手に感じています。わかりませんが。そのあたりがやはり芝居に出るんだなと、思っています。今回はあるシーンで、サンゾウのものまねをしながら心情を吐露するシーンがあり、そこでお客さんがクギモトの心根を好きになるから、感動するし、笑いもするし、客席をあたためてくれるので、その後のシーンをやるこちらがだいぶ楽になるなと思っていました。極個人的なことを言うと、その無言の拘りのような部分に、芝居にしろプライベートにしろ、どうやって踏み込んでやろうかという、願望とうか企みがあります。言ったらだめだな。

③塩原俊之 様(フカダ)

本当に毎回異なる情報を役として、稽古場に持ち込んでくる人。きめ細かな動きやキャラクターの性のデティールに息吹を吹き込んでくれる方。その全てがお客さんに対して有効に働くようにしているのだから、すごい。それこそ僕なんかには真似できません。しかしながら基本的には芝居に対して非常に熱い心を持ち合わせていて、今更ながらもう少しお話をしたかったと悔やんだりもしております。作中に「言語化をあきらめちゃいけない」というような台詞がでてきますが、あれは何時だか稽古序盤に寄った居酒屋で、塩原さんが発した言葉だったと思います。共演してみて僕自身ももっと様々に言語化していかねばとシミジミ実感します。あと打ち上げが酷かったです。

④林揚羽 様(シズカ)

心と眼と頭脳を、絶えず動かしている方。僕の場合はそれらを行おうとすると内に内に篭っていってしまう傾向があるのですが、他者や状況に対してまっすぐにそれらを向けられる人。これは羨ましい。役者としてもありますが、人としても。芝居に関しても、きちんと強い感情のエンジンは詰みつつ、分析した芝居ができるという印象です。稽古場にも、一眼レフを持ち込んで写真を撮ってくれたりと、色々な部分で力をかしてくれました。アップの際によく音楽を流しているのですが、それらの音楽が自分の好みと被る部分もあり、そこを指摘したいと思っていましたが、最後まで言えずじまいでした。この方とももう少し話したかった。

⑤赤星雨 様(ワタナベ)

不思議な魅力のある方。今回の出演者陣の中でも、どこか異質な挙動やアプローチをする方。あ、これは芝居についての話です。おそらくご自身の強みや魅力をきちんと理解しているのではないかと思います。だから芝居での攻め方が、独自の武器が、確立しているような気がして、これは強いな俺もほしいなと思いながら、僭越ながら、稽古場で見ておりました。ワタナベの後半の長台詞は、役としてもそうですが、室田個人に対して非常に刺さる話であり、あのシーンをやるのが実は少しいやでした。苦しかった。非常に優しく、しかし自分の持ち回りに関してはしっかりと意見を述べるのも、やはりさすがと言いますか。ああもう少し喋りたかったな。後の祭り。

⑥石川啄康 様(ヨシカワ)

石川さんのシーンは毎回稽古場でも本番中でも見るのが楽しみでした。決して現状維持することなく、試し続けて、その姿勢には、笑わされ、こちらも負けて折れぬ、さらに提案していかねばと、勝手に背中を押される気分になることが多かったです。しかし稽古前半は相手からの影響をきめ細かく受けようとする方だなという印象が強かったので、受信も発信も心強い方だなと思っていました。俺はヨシカワ先生と酒飲んでみたいな。口数多い人、理屈を展開する人は好きなんですよ私。劇場に入ってからは謎の無言ボディータッチという手法により、コミュニケーションを図ってくれたものの、私はどうにもうまい返しができずじまいでした。

⑦フジタタイセイ 様(劇作家)

劇団主宰。作・演出。毎回なにか異なる挑戦を、作品のたびに行うような気がしていて、それが私は好きです。今回の殊類と成るも前回のWWCPも、根っこは同じなものの、やはりどこか違った趣向のものになるから面白い。例えば所謂今回のOPアクトのような演出であるとか、それこそ家族のシーンであるとか、今までの肋骨蜜柑同好会では決して行わなかったであろうことが今回も舞台上に現れたのは、劇団員としては嬉しい。最近あまり本音をしゃべれなくなってきたような気がする。そんなこともないか。

⑧嶋谷佳恵 様(タカコ)

劇団員。めちゃくちゃ正直な人、なのかもしれない。劇団員になった時期は一番遅いのに、劇団員の中では一番歯に衣着せずに様々なことを喋れているような気がする。それはきっと嶋谷さん自身が思ったことを言葉にしてくれるから、こちらもとなるんだろうな。ありがたい。芝居に関しては、きちんと考えたプラン・武器を持ち込んでくる方という印象。そしてよい意味で芝居に雑多味がないような気がします。今回のタカコも決して多くを語る役ではないからこそ、嶋谷さんの芝居の質により、余白のある、想像を掻き立てる役になったように思います。あと本当に総務助かる。本当に入ってくれてよかった。

※写真再掲

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⑨丸本陽子 様(母)

芝居に対する知見が非常に広い方。役へのアプローチも非常にきめ細かく、精密に感じます。ものすごく漠然としたことを言いますが、粉雪・薄氷みたいなイメージがあります。なんだろうか。少し電車で帰ったときも、ふとした芝居に対する悩みに、的確な答えを返してくれたりと、それこそもっとお話しておけばよかったなと思います(そればっかりだな)。家族のシーンではどうにもやはり素敵なで美しい笑顔をみせてくださり、うちの母親もこれくらい品があったらな、などと偉そうに思っておりました。その品と言いますかが、ラスト付近家族のシーンでは切なく効いてきて、あのシーンで一番影響を受けたのはお母さんからかもしれません。つらかった。

⑩星秀美 様(妹)

人を好きになる才能を持つ人。彼女の人柄や姿勢に惹かれて、やはり人が集まってくるんだろうと思います。もちろんそれだけでなく、人や社会とどう接するべきかをきちんと考えている方だと思います。愛想が非常によい。皮肉でもなんでもなく、そこが素敵なところです。今回はサンゾウの妹という役でしたが、その魅力に感化されたのか、だいぶゆったりと、好きなように会話してしまったような気がします。少々反省。父に塩をまぶすシーンと、OPアクトでわちゃわちゃするシーンが個人的には好きでした。

⑪岩井正宣 様(父)

非常にお茶目で、遊び心をいつも持っている方だと思います。稽古場に非常に物腰柔らかく居てくださり、最年長の方がこういった立ち振る舞いだた、なにやら安心して芝居ができるような気がしました。酒も頻繁にご一緒し、実際の父とはあまり飲む機会もなかったので、それも嬉しく感じたりもしましたです。役のような父親像はもしかしたら岩井さん自身とは正反対な部分があるのか、と思いながら見ていました。男らしさのようなものは共通するきがするのですが、あそこまで頑固ではないような気が勝手にしております。結局行きつけのバーには行けずじまいでした。今度是非お願いします。

⑫日下部そう 様(叔父)

同じシーンが多かったのですが、台詞や動きが、こちらに対してめちゃくちゃに影響をくれる方。なんとか盗みたいと思い稽古を見ていたのですが、なにかうまいこと掴めず、そうさんの魅力の解明には至りませんでした。未熟。なにか少し浮いているような雰囲気と、時折見せる鋭い眼光が、正と負の浮世離れ感を、どちらも感じさせます。叔父の台詞は個人的にとても好きで、思い入れが強い台詞をしっかりとした影響で放ってくれるので、支えられているなあという気持ちになっておりました。ある一部の分野に関して、お話が合うところがありまして、なので今後も開拓していこうと思います。

⑬やまおきあや 様(医者)

この方こそもっと色々お話したかった。と言いますか酒が呑みたかった。日本酒のソムリエ?のような資格を持っており、ツイッターなどの発言を見ていても、心に非常に豊かな彩を蓄えている方。僕は、日本酒の味なんて一瞬で忘れてしまうのに。いちどあやさんのお店に呑みに行きたかった。芝居にしても、特に今回の役にしても、ほかの皆様とは違った感性で持って、作品に彩りを与えてくれたような気がします。異界に通じる彩は、簡単に付けられるものではないのに。あと声が好き。発声もあるんでしょうが、ハリと艶があって、うらやましや。

※下段左から

⑭藤本悠希 様(ナカヤマ)

劇団員。おそらく劇団員の中では一番適当な話ができる。しょうもない話ができる。肋骨では毎回かなり苦手な役を与えられている印象。でもそれがよい。恐らく今後劇団の主軸を担う俳優だと思う。今回の役は、サンゾウと対なところもあり、ナカヤマから受ける影響が非常に多かった。室田自身も』藤本くんに内面的にかなり似ている部分がある気がする。表出の仕方は異なるけれども。ケレン味のあることをやっても、臭くならない、酔って見えないのがすごい。あとは今回の役に関しては、不細工な笑いをするところ。彼のよい意味で卑屈な部分が素敵に移るシーンだと思います。

⑮安東信助 様(乞食)

今回の芝居で最も影響をうけたのはこの方かもしれません。ナカヤマでもありサンゾウでもあり、連綿と続く合わせ鏡でもある乞食。境界をさ迷うことも、顔を出すこともできるこの難敵を、人間力と技術と発想で、乗りこなしていたと思います。そうさんとはちがった部分で様々な影響を与えてくれる方でした。この役を安東さんにやってもらえたのは、贅沢で嬉しかった。また共演したいし、酒も飲みたいなあ。人への愛も、非常に深く、最後も最後の「創造の弾丸」のシーンはそれが溢れに溢れておりました。あとは肌が弱い同盟を勝手に己の中で結んでおりました。すみません。

⑯室田渓人(サンゾウ)



今回出演して思ったのは、やはりもっと様々知識・見解・感性を得なければということです。あたりまえかもしらんのですが。僕は基本的には怠惰な人間なので、意識的になにかを取り込もうとしないと、どうしても現状維持になってしまうというか。皆様の感性や言語に感銘を受ける機会が非常に多く、せめて内面は今よりもっと豊かにしていきたいなと、思ったしだいです。

当たり前のことしかいっとらんな。

疲れてきたのでこの変で終わります。もう少し作品自体について話せりゃよかったな。

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改めてではありますが、今回の作品『殊類と成る』は、

半年ほど休業していた、私、室田渓人の舞台復帰作でもありました。

すばらしい皆様に囲まれて、本当に正しく苦しみ、その上で楽しみ、芝居ができたように思っています。

支えてもらいながら、最後まで、走りきることができました。

これもひとえに、観に来てくださった方、気にかけてくださった方のおかげです。

この場をお借りしまして、感謝を述べさせてください。

「本当に、ありがとうございます」

このリスタートを機に、今後も芝居に精進してまいりますので、

もしもよろしければ、今後とも、劇団肋骨蜜柑同好会ならびに、室田渓人を、なにとぞよろしくお願いします。

重ね重ね、本当にありがとうございました。

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つぎは、プロレスだ。



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