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【今日のnote】やりたいことを続けるということは、やりきれなかった奴らの想いも背負っていくということだ。


 どうも、狭井悠です。

 毎日更新のコラム、187日目。



 突き抜ける成果を出したいならば、健やかなるときも、病めるときも、毎日やり続けることが必要だと思う。20代から30代にかけて、表現活動や得意なことで食いたいと言っていた人間はたくさんいたけれど、書き続けていたら、いつの間にかほぼいなくなっちまったな。続けられる人が本当に少ない


 風邪っぴきの状態のまま、今日も一日、頑張って文章を書く仕事を粛々と続け、朝から午後まで納品を続けつつ、ふと思い立って、こんなツイートをした。

 気づけば、noteを半年以上は毎日更新しているし、フリーランスライターの仕事は、なんだかんだ、2019年で3期目を迎えようとしている。

 1期目、2期目と、売り上げは上々の伸びだと思う。3期目は一人でできる限界を知って頭打ちになりそうなので、そこからはプレイヤー力よりも、経営力が問われることになるだろう。

 会社員ライターの頃のキャリアも含めれば、書く仕事は5年間くらい続けていることになるので、僕の社会人生活の半分以上は、書くことに捧げられてきたということになるわけだ。

 いつまでも新人のつもりで仕事をしているけれど、業界的にいえば中堅どころか、あまり目立った競合もいないので、コンテンツマーケの業界ではそこそこの立ち位置にいるのかもしれない。とはいえ、毎日の仕事はいつも丁寧にこなす。それが、次の仕事に繋がることを知っているからだ。


 あるとき僕は、書くことで死ぬまで生きていくと決めた。

 正確に宣言をして決めたのは確か、2016年12月28日の夜のことだけれど、心の中で決めたのはたぶん、2011年くらいのことだったと思う。

 僕は当時、ただのサラリーマンだったが、同年代の友達や知り合いには、絵描きやバンドマンやイベンターなど、表現者として生きていくことや、表現の場を作ることにこだわっている奴らがたくさんいた。

 27歳前後と、皆まだまだ若く、それぞれにやりたいことがあり、とはいえ、何者でもなかった。だから、すごく一生懸命に、皆がそれぞれの活動を続けていた。

 渋谷にあった、今はもうない小さなアトリエバーに集まって、酒を飲みながら、お互いの表現や、これからの活動について語り合っていた。

 仲間の中で、僕だけが唯一、小説を書いていた。仲間に小説を読んでもらいながら、改稿を続け、必死で文学賞に応募して、そして選考に落ちた。

 なんというか、若者のすべて、とでもいうような毎日だったと思う。


 しかしながら、僕はその後、その集まりから去ることになる。

 いや、原因は自分で作ったのだと思う。とても大切な友達を、僕は意図せず言葉で傷つけてしまったのだ。ものすごい喧嘩になって、喧嘩別れだ。

 当時の顛末は、以下のnoteにも書いている。こんなnoteを書いたこと自体、すっかり忘れてしまっていたのだけれど、僕の書いた古いnoteを気に入って読んでくれる読者さんのおかげで、Twitterにあがってきて、思い出したのだ。


 もしもSNSがなかったら——大切な人との出会いと別れを体験することもなかった。言葉が縁を紡ぐ不思議と素晴らしさを味わうこともなければ、言葉の残酷さを身をもって知ることもなかった。フリーランスライターの仕事をすることもなく、「書く喜び」を知って小説を書くことすらなかった。


 いつの間にか、ほとんど皆、いなくなってしまった。

 絵描きも、バンドマンも、イベンターも。

 今でも活動を続けているのは、一部の絵描きと、シンガーくらいだ。

 今ではそれぞれに、きっともう、生きるフェーズがぜんぜん違ってしまっているのだろうな。

 僕は止まらずに、あの頃からずっと書き続けてきたけれど、続けることを止めた人たちはきっと、違う人生の景色を見ているのだろうから。これから先も、交わることはないだろう。

 僕はそうして、周りにいる面々がどんどんいなくなっても、ひとり、変わらずに、ただただ、粛々と書き続けてきた。

 仕事が途切れずやってくるようになるまでコンテンツマーケティングの世界で書き続けてきたし、依頼仕事以外で、自分が「これだ!」と思うテーマを見つけて文章を書く時には、原稿料なんか一切発生しなくても、経費をバンバン使って取材を行い、遠くにいる著名な人の元にまで文章を届けてきた。 

 「書く」を続けることで、「僕は今、ここにいる」という生の実感を得ている。

 書くということは、僕にとって生きるということそのものであり、この先の人生の中で僕が書かなくなった時は、死んだか、あるいは別の生の実感を見つけているときなのだろう。

 健やかなるときも、病めるときも、僕は文章と共にある。

 そして今では、やりたいことを続けられなくなってしまった奴らの想いもひっくるめて、書き続けていかなくてはいけないんだろうなと思う時がある。

 俳優の佐藤二朗さんが、素敵なツイートをしていたので引用しておく。


 ——やりたいことを続けるということは、やりきれなかった奴らの想いも背負っていくということだ。

 これからも、がんばっていこう。


 最後に、最近の僕の活動を簡単にまとめておく。

 キンコン西野サロンの所属ライター(メディア関係者含む)が20名ほど集まって一斉取材したCRAZY WEDDINGの記事がけっこうバズった。

 個人のフリーランスライターの文章の中では、一番読まれたのではないかと思っている。一緒に取材していたのが普通にホットペッパーとか大手メディアばかりだったのでびっくりした。

 ちなみに、こちらの記事をキックとして、数件の仕事の依頼もDMで送られてきた(※残念ながら、年内の稼働はパンパンだったので、どれも断ってしまったのだけど、次に活かしたいものです)。

 登録者数137万人のyoutuber「ジョーブログ」の新規事業スタートアップメンバーとして、最近はいろいろと、仕事をやらせてもらっている。皆、20代の半ば〜後半の若々しいメンバーばかりで嬉しい。

 34歳になっても、こんなエネルギッシュなメンバーと動くことができるなんて、人生捨てたもんじゃないなあと思っている。

 ジョーブログの2,000万円のクラウドファンディング達成のお祝いのためのハッシュタグ企画を、思いつきで急遽、やらせてもらった。結果的に、Twitterの予測変換でも表示されるくらいの投稿数を集めることができた。

 こちらは、ジョーブログのオンラインサロン「ジョーズクラブ」の公式noteアカウントにて、寄せ書きブログとしてまとめるつもりだ。こういう思い出って、やっぱり大事やん。

 ジョーブログ×プロ奢ラレヤーの対談企画が11月に行われたが、そちらの一斉記事化の企画を、僕が部長を務めるライター部主催で計画している。こちらは、年末に一挙公開を予定しているので、楽しみにしていただきたい。

 Yohji Ymamotoとのコラボで話題の画家、内田すずめさんの個展にお邪魔してきた。前回書いたコラムを、すずめさんが気に入ってくださり、オフィシャルサイトのメディアページに記事紹介をいただいたこともあって、今回はばっちり顔と名前を覚えてくださっていて、すごく嬉しかった。

 内田すずめさんの個展にまつわるコラムの執筆は、ご本人、美岳画廊様に正式にご了承いただけたので、心を込めてしたためたいと思っている。

 僕が今、もっとも惚れ込んでいる絵を描く画家さんである。同時代人として、このような素晴らしい絵を描くアーティストに文章で貢献できるのは、ほんとうに嬉しいことだ。頑張ろうと思う。


 これらの活動の他に、生業としているコンテンツマーケティングの仕事ががいくつもある。増える一方で、今のところ減る予定はない。やりきれない分は、ライターチームを結成して、消化できる座組みをデザインしているところだ。

 正直、人生でいちばんバタバタとしているような気がしているのだけれど、決して不快な感覚はない。やらされているものがひとつもないからだ。多少、身体や心はタイミングを見ながら休ませつつ、ひとつひとつの仕事を丁寧に完成まで導いていければと思っている。

 なんだか、長くなってしまったので、今日はここまでにしよう。


 今日もこうして、無事に文章を書くことができて良かったです。

 明日もまた、この場所でお会いしましょう。

 それでは。ぽんぽんぽん。

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