ショートショート「宇宙茄子について」

人類が火星の空気層に植えた茄子はいつの間にか自我が芽生えていた。
元来植物に精神があるとは、一部の奇抜な学者から指摘されていた事であったが、凡その歴史においてそれらの主張は比喩と受け取られたか、或いは黙殺された。
だが多肉植物が見せる人間への精神感応を見る限り、植物に精神が宿ることは自明と云える。

我が国の政府は火星に100エーカーの敷地を有している。火星の土地主張権は各国の争点であったが、政府はコンゴの民間団体に対して多額の資金を投機して100エーカーの敷地を購入したのである。

そこで我が国の政府が始めたのが(国営の)家庭菜園であった。
宇宙局の事務次官が首長に嗜好を尋ねたところ、我が国の清廉潔白な首長は植える野菜について国民投票を以て決めることを提案した。
直ちに国民投票の準備は開始され(火星の菜園チームが出発する日は目前に迫っていたのだ)、市職員たちの不眠不休の作業の甲斐もあり、国民投票は無事に終了した。

家庭菜園に植える野菜は茄子であった。
茄子は不可思議な生物である。
黒い皮の実を半分に割ると中は白い果肉がきめ細かな真綿のように詰まっている。
中心に何本かの繊維筋が通り、種子はこの筋にそって形成される。
加熱すると果肉の組織は水分を発して柔軟となる。味が染むのが早いため、広範に料理に用いられる。
焼く、煮る、炒める、漬ける。生食も可能である。
我が国の国民は古来より茄子を食し、愛してきたのだ。

さて。
火星に植えた茄子が自我を持ってしまった。
コミュニケーションを図る機能がないため、直接的な交流はできないが、電気信号の実験では茄子に対して眼前(目はない)に配置した物のストレス実験を行った所、如実な好悪の反応を示した。
その結果により、茄子の性格分析が行われパーソナリティが明らかにされた。

彼(若しくは彼女)は映画で言えばハリウッドよりもヌーベル・バーグを好んだ。絵画は印象派が好きだった。猫派であった。
友人は少なくどちらかと言えば寡黙(口はない)で、近眼であった(目もない)。TVショーで流れるようなジョークを好んだ。
読書は研究員の用意したマルグリット・デュラスの本を読破した。
コーヒーよりも紅茶が好きで、ダージリンのストレートを好む。生クリームとスコーンとミントを添える。
彼はまだ見ぬ深海に思いを馳せた。
青い空から太陽光線が燦々めく、白い波濤が現れては消えて、その下に黒い海流が海練る。
それら海洋の最奥の神秘を彼は夢想する。

彼の存在が報道されると、たちまち国内では嬉々とした騒擾が起こった。宇宙世紀だ。と国営放送が報じた。
宇宙局の事務次官はやはり首長にこの事態について稟議した。
名前を付けてはどうか、と首長は言った。
再び国民投票の準備に市職員は奔走した。

投票率が95%を超えた投票の結果(投票できなかったのは当日の体調不良者と地下に潜む反政府組織の人間だけであった)、名前は古いアニメに因み、チャーリーに決まった。

名前が付けられた途端に国民は狂しい愛執に駆られた。
チャーリーは孤独だ。
TVショーでコメンテーターが語った言論は多くの国民の胸を打った。
チャーリーは孤独だ。
彼に、救済を。
反政府組織の人間たちはこぞって政府批判を展開した。
だが、我が国の首長もまた落涙していた。
チャーリーは孤独だ。

直ちにチャーリー救済の措置が検討された。
ある学閥は人間の発達段階説に基づき、チャーリーに学校教育を授けることを提唱した。
学友に囲まれる事でチャーリーは精神的安寧と正しい自我形成を成し遂げるだろうと語った。
もっと雑駁にチャーリーに恋人を、とカリズマティックなパンク主義者は唱えた。
愛。
それ以上に価値のあるものはあるだろうか。
集会でそれらの言葉は熱狂的な(チャーリーの)ファンによって大合唱された。
反政府組織はチャーリー奪還を目論み、火星に行く計画を立てた。
子どもたちは星に願った。
毎日、我が国民は夜空を見上げ、チャーリーの孤独を思って涙を流した。

ある日の国民新聞にチャーリーが暮らす家庭菜園の研究員が事故に遭遇して死んだことが報じられた。小さな記事で、興味を覚えた国民はいなかった。
だが、それが引き金であった。

チャーリーのパーソナリティは全く反応を起こさなくなった。若しくは日によって全くの矛盾を示した。まるで多重人格のようであった。

喧々諤々の議論を通じ最終的には、チャーリーのパーソナリティに関する観測結果は「観察者の主観」が微弱な電気信号に作用していたのだ、と結論された。植物は人間の精神感応作用があるのだ。

チャーリーは国民の見た幻であった。
チャーリーなどいなかった。
人々の熱はやおら下がったのであった。

だが、火星においてチャーリーの苗を植え、水を与え(事故で亡くなるまでの間)毎日話しかけていた研究員は確かに存在していた。
彼はヌーベル・バーグを愛し、印象派の好きな猫派であった。ダージリンのストレートティーを飲みながらチャーリーに訥々とマルグリット・デュラスを読み聞かせた。
彼は海のある町で生まれて、人並みに悪童で、人々を愛しながら健全に育ち、卒業後は宇宙局に入職し、同じ職場の女の子と恋をして、結婚して、子供を一人設けた。子どもが自明を得る頃、彼は火星の基地に配属が決まった。

彼は毎日寝る前に天体望遠鏡で地球を眺めた。
家族に毎日手紙を書いた。
彼は火星の中で孤独と戦っていた。
彼の名前は誰も知らない。

(ショートショート「宇宙茄子について」村崎懐炉)

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