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短編小説「博物館にて」

「博物館にて」村崎懐炉

博物館に行ってブラキオサウルスの骨格標本を見上げていると、その年老いたブラキオサウルスは物静かに語るのであった。

昔は良かった。
こんなに狭々としていなかったし。
自由闊達としていたものだよ。

かつて彼にも同族の友人がいた。
彼らは午後の安らいだ時間を散歩や読書に充てて楽しんだ。時に詩論を討議し、熱を帯びて熱い紅茶の入ったソーサーを揺らした。

ブラキオサウルスたちはのんびりとしているので彼が友人と思っていた個体は彼より10歳も年上であったということ。
そして10歳年上であるということは少なくとも彼より10年は早く死期が訪れるだろうことに彼が気づいたのは、友人が死に瀕したその日である。

彼は友人のために樹木の枝葉を口元に運んだ。
友人は静かに笑っていた。
苦しくないか。
そう尋ねた。
苦しくはない。
友人はそう答えた。
何かして欲しいことはないか。
そう聞くと
友人は何もないよ、と笑った。

彼がいまこの瞬間か
半刻後か
或いは明日に死ぬだろうことは目に見えていた。

若いブラキオサウルスは年老いた友人のために何ができるか考えた。
考えて、彼が安らぐための廟を作ろうと思った。
若いブラキオサウルスは太い枝を集めたり、木を引き抜いたり大きな椰子の葉を集めたりと材料を集め始めた。
少し遠くまで出かけて、引き抜いた木を三本も集めて友人の所に戻ると、友人は既に死んでいた。

あれは失敗だったなあ。
と博物館に飾られた骨格標本は懐かしげに語る。

地方都市の小さな博物館でしかも平日の昼間に訪れる者はまずいない。
骨格標本は静かな博物館で訥々と昔話を語るのだ。

地元の小学生の一団が賑やかに階段を上がってきた。社会科見学にでも来たのだろう。
小さな者達を見つめる彼の目は優しい。少し背筋を伸ばして居住まいを正したように見えた。

子どもたちには少しでも大きく見えて欲しいんだよ。
照れたように彼は言った。
大事なことだと思うよ。
僕は答えた。

さようなら。

簡単な挨拶をして僕たちは別れた。

10年の月日が過ぎた。
ひっそりとした博物館で、彼は今日も静かに回顧に浸っている。
僕は10年を目まぐるしく過ごして彼のこと思い出すことなど殆どなかった。
悠久の時を過ごすということはどのようなことであろうか。
あとたった100年もすれば僕の見知ってる人間など誰もいなくなってしまう。でも彼は100年経ってもあの小さな博物館でのんびりしていて、時に居住まいを正し、時に昔を懐かしむ。

本日地方新聞にあの博物館の記事が載っていた。今度の日曜日から二週間にわたり古代の樹木の化石展を行うのだという。

彼が友人のために運んだ樹木が化石になって、企画展示に届けられたら面白いのにな、僕はそんな空想をして少し笑った。