短編小説「牛鬼」

(私は古びた一冊の手帳を開く。)

*********

きのう夢をみた。
彼が湖に浮いていた。
はくちょうのボートに乗って。

わたしは湖岸にいた。
彼が気付いて近寄って。
わたしに手をさしのべた。

「きみもいっしょにのろう」
わたしはどうしようかと迷った。
「さみしい」
彼はいった。
「のろう」

「のろう」

美しかった彼。の顔を何故か直視するのが憚られる。禍つ事を感じる。正体のしれないわたしの不安。それに反して彼の声は優しくわたしをいざなう。

彼の手をとろうとした。
電話が鳴った。
わたしは目をさました。

少しうたたねをしていた。
携帯電話にメールが来ていた。
同郷のともだちだった。

「同窓会があるんだよ」
「たまには帰っておいでよ」

わたしは東京に暮らしている。
東京。という言葉は私の田舎にとっては大変な遠さ、をかんじる言葉だった。交通網がはったつしたいまとなっては東京とわたしの田舎はおよそ二時間ほどで行き来ができる。それは決してとおくないと思うのだけれど、それでも私にとって東京は、いまでも遠い処だ。故郷に暮らす友人たちも、そんな遠さをわたしに感じていて、何処か素っ気ない。

「お前はもうとうきょうのにんげんだから」
と彼らの後頭部にある唇が喋るのをわたしはきく。

「たまには帰っておいでよ」
いまさら帰ってどうなるものだろうか。
いまさら帰って、其処に何があるというのだろう。

「たまには帰っておいでよ」
其処に行くことをわたしは「帰る」というのだろうか。

***************

長い海岸線の果てにあるうらぶれた漁港から、小牟婁山(こむろやま)の山間を抜ける国道はしだいに緩やかならせんを描いて大牟婁山(おおむろやま)の高原地帯へと抜ける。高原と言ってもうっそうとした山であることはまちがいなく、起伏がなくなるわけでもなく、山間にすこし平らな土地が点在するにすぎない。それでも高原という名前のひびきからいちじきはリゾート化が進んで、小さなミュウジアムがいくつもいくつも作られた。

高原の駅から降りた中心地はさくらの並木道で、春になると無造作に桜がさく。
整然とせいびされた道路は今やひび割れて桜の根がところどころに瘤をつくっている。
わたしはそんな並木道をあるくたびにこのまちが桜に飲み込まれていくようでふあんになった。
さくらの花びらが風に散って、それは道沿いの家々を追憶にとじこめる雪花のようだった。家々はさくらの頃に沈黙して、永く眠っているように見えた。

わたしは終列車にのって東京から故郷を目指した。いつからわたしは故郷をなくしたのだろうか。わたしが東京に出たときだろうか。家族がしにたえて家が、なくなった時だろうか。友人たちとの電話で会話が続かず沈黙がおとずれたときだろうか。

たしかわたしは猫を飼っていた。ねこはどこにいったのだろうか。うっそうとしたやまやまにきえたのかもしれない。
飼っていた金魚が死んだのでねこがいたずらしたのだろうと思って怒ってしまった。それきりねこはいない。

***********

ふりんをしていた同僚がしんだ。
ちょっときらいなひとだったけれど、知っている人が死ぬのはショックだったよ、と他の女の子に打ち明けたら、わたしの目の前でその子も血を噴いて死んだ。

************

列車はくらやみを走る洋燈のようだ。
わたしは窓からそとをみているが、そとはくらいばかりで何もない。わたしはただ窓にうつるわたしをみているだけなのかもしれない。車掌が無言で通り過ぎる。他に客はもういない。わたしはくらやみのなかを光に包まれてものすごいはやさで移動している。物言わぬ車掌といっしょに。荷台にだれかのおきわすれたしんぶんしといっしょに。


ゆめのなかのみずうみは、あれは高原のみずうみだろう。そうか彼はあそこにいるんだな。スワンボートに乗って。スワンボートなんてあったっけ?みずうみのなかに島々があってあかい鳥居が湖面から突き出ていて、湖岸にふたつめの鳥居があって。どうして湖の中から鳥居が出ているんだろう。まるで湖からやってくるなにものかのための参道みたいね。

なにものか。とわたしは考えてまた不安になった。水底に沈むなにものか、が参道を通って現れる。水底に沈むものの事を、わたしは知ってはいけない。

わたしは鳥居の記憶から目を背けるように湖の全景を思い出そうとした。

そうだ、鳥居の反対の湖岸がボート乗り場になっていて、小さなスワンボートがいくつか浮いていた。スワンボートにのってかんこうきゃくたちは湖を自由に周遊できる。点在するしまじま。ぬまち。ぬまいけ。
しかしそれは湖の表層に過ぎない。
湖面を周遊した所で湖のほんとうをしったことにはならない。湖のひみつは水底に沈んでいるものだから。暗い湖底の泥の中に。

わたしの空想のスワンボートは水底に潜水した。きらきら輝くイルミネーション。笑顔で暮らす人々。ともだち。ちちはは。
シャンゼリゼのような参道沿いのカフェテラスですらりとした人たちが珈琲を飲んでいた。わたしのスワンボートが通りかかると男たちはウインクをして手を振った。

ここはなんてすてきな所なんだろう。

わたしはふふふと小さく笑ってその笑い声で目を覚ました。
なんだ寝ていた、いつの間にか。

起きた私は湖岸にいて、やはりスワンボートに乗った彼を見ている。
かれはわたしをみつけてちかづいてきた。

「のろうよ」
とかれはいった。
わたしは返事をしなかった。

「のろうよ、きみも」
わたしは返事をしなかった。

かれのさしのべた手がわたしをつかんだ。
慄っとするほど冷たった。
爪が汚れている。
土で。
まるで、今まで水底にしずんでいたかのように。その、かれのゆびが、てが、うでがゴム毬のように膨張している。水死体のように。わたしは驚いてもう彼の顔をみることができない。

わたしは分かってしまった。
再三繰り返される彼のことばのいみを。

彼は「乗ろう」よ、と言ったのではない。

「呪うよ」

と彼は言ったのだ。
彼は何年も前にこの湖に沈んだ。恨んでいるのだ、彼は未だに。彼を蔑んだ社会を。わたしを。

「君も一緒に呪うよ。」

わたしは彼の顔をみることができない。きっと彼の精悍な相貌はみるも無惨な水死体のそれになっているに違いなく、眼球は白濁して眼孔に充満したガスに押し出され、彼の美しかった口腔は、凡そ腐乱死体の其れになっているのだ。

わたしを掴んだ醜い、手。
わたしは手をふりほどこうとした。

でも彼の力が強くて、そしてわたしは何故かちからがまったくはいらなくて、みずうみにひきずりこもうとする彼から逃れることができない。

「君も呪う」
彼の声が無機質に耳内に反響した。

********************


車内のアナウンスで目を覚ました。市街の駅の二つ前の駅。
あせをひどくかいていた。
いなかの列車は四人掛けの対面式の座席で、気が付くとわたしの目の前に他の乗客がいた。

おんなのひとだった。
わたしとおんなのひと以外に客はいない。だから座席はどこも空いているのにどうしてこの人はわたしの目の前にすわったのだろう。その人はわたしに話しかけるでもなく、わたしを気に掛けるでもなくぼんやりと外のくらやみをみていた。だから私もぼんやりと暗闇を見ていた。
わたしとそのひとはどちらも、向かい合ったボックス席の窓際に座っている。
膝が、ふれあうほどちかい。
わたしはそのひとをちらちらとみるが、そのひとはわたしがまるでこの世にいないみたいに、わたしのことをきにかけない。
もしかしておんなのひとは本当はゆうれいで、だれにも見えていないのかも。
それともわたしがゆうれいなのかも。
長い前髪が垂れておんなのひとの表情はみえない。見えない。それが次第にわたしのふあんを煽るのだ。最初から顔が見えないのか、いまだけ、見えないのか。わたしはこの女のひとのかおを思い出せない。


窓から見る海はくろいいきもののようだった。波涛が白く泡立ってうねっている。それが馬の首筋になびく鬣のようだ。海から馬がやってくる。そんな絵をどこかで見たことがある。とおい外国の洋上で数頭の馬が戯れている。やはりそれは夜のこと。深海に眠っていた馬たちが月影をこのんで海面にあそぶのだ。
不気味な絵であった。鬣が濡れて海藻のようだ。月光に呼応して夜光虫が光っている。人間は彼らの営みを知ってはいけない。

暗い海にはわたしたちが見た事もないような不思議な生き物が潜んでいる。
もしあなたが暗い海の中を泳ぐとき、遭遇するのは気持ちの悪い海蛇かもしれないし、盲目の畸形魚かもしれない。あなたを一呑みにできる程きょだいな古代鮫かもしれない。それよりももっと大きな海竜かもしれない。あなたの知らぬ所で彼らはあなたを取り巻いている。

黒い顔をした車掌が切符を切りにきた。わたしは切符をどこにしまっただろうか。

「湖の中の鳥居はね」
と車掌は言った。
「湖の底の参道につながっているのです」

湖底に封印されたお社があるのです。

むかし。みずうみに赤い牛が住み着いたのだという。その牛は人を化かし、襲い、そして食らった。人々は大いにこれを畏れて、光栄寺の高僧に助けを求めた。その高僧は読経によって赤牛を調伏して、水底に封じたのであった。あの湖底にはいまも赤牛がいる。永く昏く我々を怨みながら。

みずうみのそこからぼう、ぼう、と牛のなきごえがする。水底の参道を通って、赤い鳥居から魔がやってくる。

わたしがまっくろい海を見ていると、窓の外に牛の首が浮かんでいた。総黒毛。黒い角。ウロのような瞳孔。斬られた切断面が膿んでいる。

その牛の首が彼の首に変わる。
かなしいような怒っているような、そんな顔をしていた。
窓の外からわたしを見ている。
列車の外にいるのに同じ速度でついてきて、わたしをみている。

空間の歪曲を感じて、視線を微かに動かした。目端に赤いものが映る。彼岸花を咲き散らしたような。鮮血かと見紛う。いや其れは和装の帯であった。目の前の女のひとがいつの間にか赤い着物を着ていた。薄いかつぎを頭に被っている。かつぎが揺れて中を覗く。牛の首が。女のひとの胴体の上に牛の首が置かれている。
その牛の首の、虚ろな双眸がわたしをじっと見ている。呼吸も忘れて、或いは端から呼吸器など機能せず、全き時間は静止している。
ただ列車の鉄輪の揺れだけが鼓動している。

膝が、ふれあうほど近い。

「さむらいがきたらにげて」と声がした。
わたしは女のひとの顔を見た。
首が無くなっていた。
牛の首も、彼もいなくなっていた。

再び列車のアナウンスが流れた。馴染みのあるイントネーション。少し張りのある男声アルト。わたしは目を覚ました。列車の中にわたしはひとり。古びて濁った白色となった車内の蛍光灯がちかちかと点滅した。

***********


夜更けて閑散としたロビーで鍵を受け取り、わたしは四階までエレベーターで上がった。各階を過ぎるたびに鈴のような電子音が鳴った。四階に着くと暗く長い廊下が続いていた。誰もいなかった。両側に騙し絵の如く延々、部屋が並んでいたが、どの部屋からも物音はしない。渡された鍵の部屋番号をもう一度確認する。それは廊下の最奥の部屋のようだった。足音を立てぬようわたしはゆっくりと長い廊下を歩く。
湖底のようにしんしんと静寂の音がする。

わたしは暗い廊下を振り返った。
元来た廊下の先に、赤い着物の女のひとがいる。
わたしを見ている。

「早く部屋に入ろう。」
彼が言った。
促されてわたしは入室する。

*********


糊がきいて固くて清潔で愛想のないシーツの上にわたしは身を投げて、友人にメールをした。

「ホテルに着いたよ」
すぐに友人から返信が来た。
「おかえり」

わたしはテレビをつけた。
くろいがめんに光がさして壁をてらした。

「な、おそろしき、もの」ときこえた。「名、恐ろしきもの」。枕草子の一節だ。

「あおふち たにのほら はたいた くろがね つちくれ」
「いきすだま」
よくようの無いおんなのこえがテレビから聞こえる。

「うしおに」

「牛鬼」、という言葉だけがはっきりと聞こえて私は身を起こした。

「へんな名前をきいた」
わたしは携帯を取り友人にメールをした。
「なに」
友人から返信があった。
「うしおに」
と送った。

牛鬼とは何なのか。牛なのか、鬼なのか。そもそも牛にも鬼にも角がある。だから角は生えているのだろう。しかしそれでは単なる鬼ではないか。牛の部分はどこにあるのか。頭が牛なのか。いやいやそれでは牛人であって鬼ではなかろう。鬼の顔で体が牛なのか。いや、それは単なる人面牛であって鬼ではないのでは。どうにも納得しかねる名前だ。

とメールで送った。

すぐに友人から返事が来た。
「うしおには ひとに あらず」
直ぐに続きが来た。
「うしにして おに」
「これを かたるべからず」

友人も変な事を云う。人でない事は分かっている。牛鬼は妖怪とか、そんな類のものだ。わたしはベッドに横になったまま牛鬼について調べた。
画像検索すると牛鬼の絵が出てきた。
怖い顔の牛。
だけれども体が変だ。
大きな丸い腹部から歪に足が伸びて、曲がる。六本の脚。まるで蜘蛛だ。
「佐脇嵩之『百怪図巻』」とキャプションがあった。江戸時代に書かれた妖怪図鑑だ、

牛なのか鬼なのか、判別しかねると思ってわざわざ調べてみたら体が蜘蛛だった。いよいよ訳が分からぬ。これでは牛蜘蛛ではないか。いや鬼蜘蛛か。そんざいのコンセプトが不明瞭ではないのか。

と、メールで送った。

*******


わたしたちは何処か物寂しい経堂の中にいて、それは外側から閉ざされていた。
経堂のなかにわたしたちはおとこも、おんなも合わせて五、六人いて、明かりもつけず皆下を俯いていた。外は嵐で、あめかぜが乱暴に経堂の板戸を叩きつけていた。大風が唸るたびに経堂はがたがたと揺れた。外の喧騒とうらはらに私たちは身じろぎもせず沈黙していた。

一人の男が口を開いた。
「それではわたしのばんですかな」

和歌山県の西牟婁郡には牛鬼淵と呼ばれる淵がある。この淵はとても深く海までつながっていると言われる。淵が濁る時には其処に牛鬼がいるのだと云う。牛鬼に出会った人間は病気になり死ぬ。


隣の男が口を開いた。
やはり和歌山県の話。上戸川を下った広瀬谷にある琴の滝壷には牛鬼がいる。牛鬼は人の影を食らい、食らわれた者は死ぬ。


隣の女が口を開いた。
島根県の民話。夜釣りをしていると赤子を抱いた全身ずぶ濡れの女が現れる。その女に乞われて赤子を抱くと、牛鬼が現れる。牛鬼から逃げようとしても赤子が石のように重くなり逃げられずに食らわれて死ぬ。ある者が牛鬼に追われたがなんとか逃げることができた。後ろから「残念だ残念だ」と牛鬼の声がした。その声は先ほど現れた女と同じ声であったという。

隣の女が口を開いた。
愛媛県宇和島の牛鬼は体が鯨で頭が竜であったという。人を襲って食らうと云う。

隣の男が口を開いた。
三重県の話。山奥に牛鬼淵という淵があり、この淵に牛鬼が住むという。淵の近くの山小屋に二人の木こりが暮らしていた。 木こりの扱う木挽鋸には鬼刃と呼ばれる刃がある。ある日、この鬼刃が折れてしまったため、一人の木こりが修繕のために町へ下りた。「鬼刃を折った事は誰にも言ってはならない。」と若い木こりは忠告をされたが、山小屋に尋ねてきた見知らぬ男にうっかり鬼刃が折れた事を喋ってしまった。見知らぬ男はたちまち牛鬼の姿になり、若い木こりは淵にひきずりこまれてころされてしまった。

わたしは口を開いた。
岡山県牛窓町には塵輪鬼という頭が八つある牛鬼がいた。神巧皇后が新羅に出兵する際にこれを弓で射殺したという。

わたしが物語ったら大風が吹いて戸板が鳴った。この途端に周囲のおとこおんなどもが苦しみだして泡を噴いて消えた。

「うしおには かたるべからず 祟るものなり」
と友人からメールが届いた。

実際に伝承に残る牛鬼の姿は様々で、鬼の顔に牛の角、蜘蛛の体であるとか、頭が牛の女人であるとか、牛の首に鬼の体をして昆虫の羽を持つとか、鬼の顔に牛の体であるとか。一様ではない。
妖怪と云えば、鬼や天狗、河童などが代表に上がるが、通例どの妖怪も姿形は定説がある。何故、牛鬼ばかり、姿が曖昧模糊となっているのだろうか。
この正体不明瞭の謎から思い出される話がある。「牛の首」という小松左京の小説である。


わたしは口を開いた。
牛の首というはなしをごぞんじですか。とてもおそろしいおはなしだといいます。だから その おはなしを ききたいとおもうのですが誰もおしえてくれません。本当におそろしいおはなしで、そんなに恐ろしい話はだれも聞いたことがないといいます。そうだれも、聞いたことがないおはなしなのです。


小松左京の牛の首という小説は主人公が「牛の首」という本当に恐ろしい話があることをきく。その話を聞いてみたいと思いだれかれに尋ねるがみな口をそろえてあの話はおそろしいというばかりで内容を語る人間はいない。そして主人公もとうとうそのカラクリに気付くのであった。

と、これは小松左京の創作である。だから「牛の首」などという話は存在しない。
だがもし「牛の首」という話が本当にあって、その恐ろしさ故に語ることが憚られ忘却されていったのなら?
そんな想像力は次第に膨張して、牛鬼に結びつく。
もし牛鬼の姿が本当に恐ろしくて、語り継がれる事が憚られ、その姿形を忘却させていったのなら。
牛鬼の本当の姿を描く事が忌まれたのであれば、この牛鬼の姿に定説の無いことに納得がいく。そんなにも恐ろしい姿とはなんであったのか。牛鬼は人に非ず。と友人は言った。牛鬼は、人に非ず。

牛鬼とは何か。

**********

わたしはねむったり、めをさましたりしている。もう何日も。ここはどこだろう。
かえってこい、とこえがきこえる。

めをあけたわたしのめのまえに彼がいた。
おきた?
と聞かれた。
いま、なんじ?
わたしはきいた。
まよなか。にじ。
と彼は言った。
丑三つ時だね。
そういえば、それも、うし、だね。
鬼門をあらわすほうがくも、うし、とら、だね。
うし、ばっかりだね。
とわたしはわらった。
うしはね、えんぎがわるいことばなんだよ。呪いのことば。
かれもわらっていた。

*********

牛鬼は人間を恨んでいるので、人間を助けると死ぬ、という話がある。

和歌山県三尾川に伝わる伝承。
人に化けた牛鬼が空腹に喘いでいたところ、村の青年から昼飯を分けて貰った。それ以来、その牛鬼は村の困っているものを手助けするようになり、村人たちからも好かれた。
だが、牛鬼は人間に尽くしてはならないという掟があり、その牛鬼は牛鬼の仲間たちから罰され排斥されてしまう。
牛鬼が村に現れなくなった或る日に村は大水に襲われ、青年も川に流され掛けた。其処にあの牛鬼が現れて青年を助けた。
青年は御礼を言おうとしたが、牛鬼は掟に背いた咎により、目の前で血を噴いて死んだという。

**********

だれか。
たすけて下さい。

血を下さい。

わたしの周りではいつもひとが死ぬ。
いまもこうして目の前で血まみれになって死にゆくひとがいる。

だれか。血を下さい。

医療関係者らしきひとがさけんでいる。

という夢を見たよ。
わたしは彼に言った。

それで。
どうしたの。
彼は言った。

わたしの血をあげたよ。

それで。

それで。
その人は助かりました。

という夢。

へえ、そうなんだ。

だけどわたしは死んだのよ。

どうして。

ええと、医療事故かしら。わりとひさんな死に方をしたわ。

夢占いとかしらべてみたら。
医療事故の夢?
そんなのあるかしら?
じゃあ血の夢。

血を抜かれる夢。

なになに。
金運が下がる。
ですって。

**********

山門の前で念仏を唱えていた僧侶がわたしをみて何事か訳の分からぬ事を言った。

**********


よくあさわたしは友人にあうために車に乗った。

「どちらへ」と運転手は言った。
「××寺へ」わたしは言った。
友人が其処で待っているのだ。

山がちの道を進んでいた。うら寂しい山道で、周囲に他の車はない。いや、無かった筈だった。いつの間にかわたしの車の後ろにぴったりと付いてくるものがあった。振り返るとそれは、いちだいのしろい車で真っ青な顔のおとこがうんてんしている。かおはあおいのに嗤った口がやけに赤い。その男はにやにやしたり、時に大きく口を開けて嗤ったりしなが付いてくるのであった。幾つ交差点を越えても、角を曲がっても。

わたしはどうにも胸が苦しくなってめまいがする。
「いそいでくれますか」と喘ぎながら運転手に伝えた。

********


「そういえばねえ」とうんてんしゅはいった。
「くだん、というようかいがいるよ」とうんてんしゅはいった。

「くだん」は人面の牛の姿であるという。凶事を予言する妖怪で、最古の文献は比較的新しく江戸時代文政10年である。くだんの目撃例は多数ある。明治42年の名古屋新聞では「10年前に五島列島の農村でくだんが生まれ、日本とロシアが戦争をする」と予言した後の三日後に死んだと記事がある。太平洋戦争の最中にもくだんが生まれて「この戦争は負ける」と予言して死んだ。

戦後の神戸では牛の頭をした赤い着物の女が多数目撃されたという。くだんは「人」に「牛」と書く。「件」である。
また、その神戸が先の震災に見舞われた時にやはり牛女の目撃情報が相次いだ。活断層の上を赤い着物を着た牛女が何度も往復していた、とか。高速道路の上に立っているのを見たとか。被災後に自衛隊が踊り狂う牛女を目撃したとか。
くだんが現れる時に凶事が起こる。

人面牛身も牛女も、数ある牛鬼の姿の一つではなかったか。

ああ、後ろにいる青い顔の男が嗤っている。

********


「早く早く」
とわたしはうんてんしゅにつたえた。
「おいつかれてしまうから」
笑いながら男が追いかけて来ていた。
赤い口が血を吐いているように見える。

「それじゃ近道をしましょう」とうんてんしゅはいった。
それでどんどんすぴーどをあげて車ははしった。しんごうもぜんぶむしした。めちゃくちゃなうんてんだった。

「××寺にはなんのごようですか」とうんてんしゅはいった。
「ゆうじんとまちあわせているのよ」とわたしはいったがうんてんしゅは

「そんなところにゆうじんはいないねえ」
といった。
わたしはなぜそんなことをいわれるのかわからなかったが先程からめまいがひどいのでだまっていた。
「いないよねえ」

うんてんしゅは笑っていた。真っ青な顔で。傷口のような赤い口を大きく開いて。

どん。
大きな音が車内に響いた。何かが屋根に落ちたようだ。
窓から見える山林が赤黒く染まっていく。車の屋根から窓に赤い液体が流れてガラスを覆った。雨ではない。血だ、これは。
「やまをはしっているとねえ、時々あるんだよねえ」とうんてんしゅはいった。
「ゆかいだねえ」
窓ガラスに赤い着物がはためいた。窓ガラスに細い腕が這っている。次第に下へ下へ、腕が伸びる。腕の主は窓から車内を覗き込もうとしているのだ。

頭がなかった。

腕が伸びて、両肩が窓外に現れた時、其処にあるべき頭が無かった。その無頭の胴体が車内を覗く。首の切断面から血が噴き出している。その血が、着物を赤黒く染める。

「さむらいがきたらにげて」
と声が聞こえた。
足元に、首 が転がっていた。おんなのひと。ながいくろかみを振り乱してこちらを見ている。

「ゆかいだねえ」
うんてんしゅがいった。
わたしはルームミラーを見た。

運転手は真っ直ぐわたしを見ていた。

「つきましたよ」と運転手がいったのでわたしはおりるとそこは湖畔の駐車場だった。

「ここは××寺ではないです」
とわたしはいったが運転手はさっさと車をだしていってしまった。

わたしは湖畔でゆくあてをなくしてとほうにくれた。
湖の外周は広かったが、なぜか此処にはだれもいない。
こんなにおおきな場所にそんなことがあるだろうかとわたしは不思議に思う。
ここにひとりでいてはいけないのではないかときょうふする。

霧が出ていた。
霧は駄目だ。怖い。
霧の日は、何かが現れるから。
何かが現れてつれていこうとするから。

だれでもいいから誰かをさがさなくちゃ、とわたしはあるきだした。

霧に透けて湖の向こうに赤い鳥居が見える。その鳥居の傍に小島があって経堂が立っていた。
鳥居のある岸の反対側にはボート乗り場があってスワンボートがいくつか並んでいる。

そのいくつかは湖面にういてゆっくりと波をたててすいしんしていた。
だれかがなかにのっているようだけれど、ふしぎと乗っているひとはみえない。なんにんも、あそこに人はいるはずなのに。声すら聞こえない。

わたしがボート乗り場に近づくといちだいのボートがすいすい寄ってきた。

わたしのうしろに彼が立っていた。「のろう」と彼がいった。全身がずぶ濡れになっていた。水草のように髪が額に張り付いていた。わたしを捕まえようと手を伸ばす。
わたしは恐ろしくて動くこともできない。

その時、携帯がメールを受信した。
「はしって」
と書かれていた。

わたしははっとして彼の手をふりほどき、いそいでその場から逃げた。
いったいどこに逃げたらよいのだろう。

湖にながれる川べをわたしは上流にむかってむがむちゅうで逃げた。
谷底の渓流からときおり、おおきなものが跳ねる水音がした。大きなものは川の中を跳ねながら、追いかけて来るようだった。
ときおり、 ぼう、 ぼう、と啼き声が聞こえた。わたしはにげた。わたしはにげた。

とつぜんよるになった。わたしはもうくらくてすすめない。

木の根につまづきながら、這うようにして進むと山小屋がある。
中に明かりがついている。
「すみません」
とわたしは小屋に声をかけた。
多くの人々がその中にいた。着物のような衣服を着ていたが、わたしがしるかぎり、それはどの時代の衣服にもにておらず、かれらのしゃべることばはわたしがしるどんな言葉とも異なるように思われた。

おんなが多かった。だれかれ泣いていた。

ちいさな子供がわたしに気付いて話しかけた。
その子供の言葉だけはわたしに通じた。

「ここは小牟婁山です」
わたしはさきほどまで湖にいたのだから、それはおかしいとおもったけれど、何も云わなかった。
「わたしたちは此処に隠れて暮らしているのです。わたしたちの仲間は大牟婁にもいますよ。」

「牟婁(むろ)とはいったいなんですか」わたしは尋ねた。
「ムロ、とはわたしたちのことばで山を意味しています。わたしたちは皆、山に暮らしていますので、わたしたちの一族を指すことばでもあります。「群れる」や「村」に近い意味ですね。牟(む)はボウとも読んで牛の鳴き声を表す漢字。婁(ろ)はつなぐの意味なのです。牛を繋ぐ、という意味になりますね。わたしたちの使うムロという言葉に牟婁という漢字を充てたのです。」
それから男の子は言った。
「あなたもゆっくりしていくと良いですよ。」
わたしは何かをしていたはずだけれど、思い出せない。遠くで獣の啼き声がした、気がする。さっきまで走っていたのは、何故だったかしら。

ゆうじんからメールが届いた。

「そのこ の いってることは うそ」
「どういうこと?」とわたしは返事を送った。
「牟」の字のよみかたは もうひとつ ある」

「なに」とわたしは尋ねた。
返信は直ぐに来た。

「むさぼる」

牟婁の意味は、繋いでむさぼる。

見れば土間には骨が散乱しており、何者かを縛るための縄が四方の柱に括られている。

山小屋を取り囲んで何物かが牟(ぼう)、牟(ぼう)と啼いていた。
「ねえ」と子どもがわたしの裾を掴んだ。微笑んでいるのに、服が千切れるかと思うほど強い力だった。

戸板が激しく叩かれる。
その時、子どもの体からめらめらと炎があがり、忽ちそれは女たちの着物に引火した。
燃えながらおんなたちは慟哭していた。
小屋の中は瞬時に火の海となったのでわたしは慌てて逃げ出した。

  そのわたしを何者かが牟(ぼう)、牟(ぼう)と啼いて追いかけてくる。

「はやく はしって」
と携帯がメールを受信する。

*********

牛鬼が描かれた絵巻物は江戸時代に多いが、その中の一つ「百鬼夜行絵巻」には鬼の顔に牛の角、蜘蛛の体をした化け物に「土蜘蛛」と名前が振られている。
近世において「土蜘蛛」と云えば源頼光に退治された妖怪の類であるが、元来、土蜘蛛は大和国家に従わなかった異民族の首長をさす言葉であった。

日本書紀によれば、現在の福岡県である山門郡に田油津媛(たぶらつひめ)という名前の土蜘蛛がいた。一族を率いる女王であり、鬼道を用いた。
この女王は神巧皇后に捕えられ誅殺されたと日本書紀に書かれている。それを祀ったものが同郡にある蜘蛛塚である。他にも日本書紀や各土地の風土記に土蜘蛛の記載が見られる。

大和国家に従わぬものは人に非ず。妖怪変化のごとく誅殺されるのである。

そうした殺戮から逃れて山に暮らした人々もあったかもしれない。山間地の水辺に小さな集落を作り、狩猟を行い細々と暮らしていた人々。時に近くの農村の田畑を荒らすこともあったかもしれない。牛馬を盗んで肉食することもあったかもしれない。

そうした山人を、妖怪と呼んで滅ぼしてきた?「うし」は「憂し」。恨めしいの意味を持つ古語だ。まつろわぬ民として抵抗できぬまま、強い恨みを抱きながらころされた人々がいたのかもしれない。牛鬼は人に非ず。その言葉に正体は隠されていた。本当は人、なのだ。彼らは。彼女らは。

牛鬼の話を聴くと祟られる。
虐殺された山人の呪い。
いまも消えない怨み。

*********

深い淵の際にわたしは立っていた。
淵は深く、青い。
底が見えない。
この昏い淵に牛鬼が棲むという。
人を祟って殺すという。

「やっと着いたよ」わたしはいった。
友人からめえるが届いた。
「おかえり」

わたしは帰ってきた。
此処が故郷。

淵が泡立って水面が盛り上がり牛鬼が現れた。次々水柱が立って牛鬼たちが現れた。
男たち。女たち。
ちちはは。ゆうじんたち。
それはわたしたちの祖霊。
牛と呼ばれ、鬼と呼ばれ、忌まれてきた。でも私たちに角など生えていない。

彼が後ろに立っていた。
「君も呪う。」
そう、わたしも呪う。彼と一緒に。

いまおもいだしたけれど
わたし、この前、死んだのよ。

死んだわたしは、一頭の、うしおに となりて
此処で、呪う。

*******

私は手帳を開いた。
其れは遺書であった。遺言であった。

「わたしの死にたちあったかたへ。
もし、ご縁がございましたら
わたくしの遺灰は生まれ故郷にお届けして欲しくぞんじます。
わたくしの故郷はS県の××市××郷でございます。その××寺に縁者がございますのでどうかよろしくお頼み申し上げます。」

去る日に死にかけた私は彼女の献身の輸血によって一命を取り留めた。朦朧とした意識の中で、私は自らの命が救われた事を自覚した。朧げな視界に彼女を見て、私は御礼を言おうとした。だが、彼女は私の見ている目の前で血を噴いて死んだ。返り血で病衣は赤黒く染まり、赤い着物を着ているようであった。
暫くの入院生活を呆然として過ごし、退院を間近に控えた私に、何の手違いか彼女の遺品が届けられた。彼女の身寄りらしき人は見つからず、行き場を失った彼女の遺骨と彼女の手帳は赤の他人である私の手元に参ったのだ。
彼女に身寄りがない以上、彼女に最も近しい者といえば、彼女の死を看取り、文字通りの意味で血を分けた私に他ならない。

退院した私はこれも縁だと、長らく汽車に乗って遺骨を届けるため××市に参ったのである。
遺骨を受け取った方の、その後ろにいた子どもが「牛鬼が出るよ」と言った。なんの事なのか私には分からない。

旅先のホテルに戻り、彼女の遺骨と旅したこの奇妙な道程を回顧しながら、私は手帳を開いた。
××郡の土地で彼女の魂は無事に還れただろうか。
「牛鬼が出るよ」
昼間の子どもの声が脳裡によぎる。

手帳をぺらぺらとめくって不図開いたページの、その一面を、創傷のような赤い文字が夥しく埋めつくしていた。筆圧も疎らで大小も様々な文字である。病的であるが、遺言をしたためた文字と同じく彼女の文字であった。私は眩暈を覚え、昏くなる視野に光が明滅し、手帳のページが赤黒く染まる幻覚を見た。書かれていた文字は「牛鬼が来る」。

牛鬼が現れる時、この国には凶事が起こると云う。
手帳を閉じて目を瞑る。遠くから響く地鳴りが牟(ぼう)牟(ぼう)と牛の啼く声に聞こえる。




(短編小説「牛鬼」村崎懐炉)

これは小説です。フィクションです。


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