短編小説「外骨格人間とフレグランス」ディレクターズカット

ある群島に潜伏しながら世界秩序の再構築とそれなりの世界平和を目論む秘密組織によって僕は外骨格人間にされてしまった。

この秘密組織は群島内外の寄付金によって運営される非公認市民団体であり、非公認であるが故に市民団体なら当然支給されるべき市町からの活動助成金も受給できない。そのため慢性的な活動資金欠乏に悩んでいる。彼らの活動(主にブログや街頭演説)は資金化出来ないため、組織は貨幣経済に疎く、故に彼らの生活は自給自足的にならざるを得ない。

要するに彼らは、(主体をもって語れば僕たちは)、お金がないので日々の生活の糧は家庭菜園に頼っている、のだ。

だが目下の所、家庭菜園は天災、異常気象、疫病と病原虫、害虫害獣害鳥など多くの危険に晒されている。
その脅威から菜園を守るために僕(改造人間)は生まれた。家庭菜園の平和は僕が守るのだ。

と、改造された当初は僕も使命感に燃えて意気揚々としていたものだが、そもそも僕の食性は草食系であり、草食系外骨格生物の定めに従い、僕自身の生体を維持するためにエネルギーを適宜取り続けないといけない、つまり家庭菜園を警邏しながらも食餌摂取が必要で、その食餌が手近にある家庭菜園の野菜になる事は至極真っ当の帰結であって。

以上の事由から僕は、任務中に野菜エネルギーを摂取し続けていた訳だが、組織から当該の「つまみ食い」行動が問題視されて僕は本来任務から外されてしまったのであった。

トマトとかね、美味しいからね。草食系外骨格人間の僕にとって、夏野菜の魅惑に抗うことはできない。

結果として、気候も、疫病も、害虫も、今夏は農園運営上の問題が何も無かったにも関わらず夏野菜の収穫率は昨年に比べて半減してしまったのだ。

「お前が害虫だ」
激昂した家庭菜園管理部の部長たるカン氏は言った。
「必要なエネルギーは三食で賄える筈なのですが」と人体改造部主任のラデン氏が言った。

蜘蛛などは数ヶ月飲まず食わずでも生きていけると云う。僕の体も理論上はご飯を食べなくても死なないらしいのだが、理論と空腹感は別物だ。とにかく目の前に食べ物があればもう僕には我慢がならんのだ。

「食べるな」
と菜園部長のカン氏は怒鳴った。

カン氏とラデン氏が繰り広げるとりとめのない口論が退屈で、収穫されたばかりの胡瓜を齧っていたのだが、それがお気に召さなかったらしい。

カン氏のテカりのある赤ら顔がトマトみたいだ。

ともあれ僕は家庭菜園を守るどころか「害虫」として菜園から追放されてしまったのだ。

菜園を守る事が僕のレーゾンデートルであったが、生まれ落ちてすぐに僕は自らの存在理由を失ったのだ。

事態を憐れんだ人体改造班のアオザイさんが僕に幾つか仕事を持ってきてくれたが「外骨格人間は昆虫みたいで気持ち悪い」と言われてどの部署からも立ち入りを拒否された。

とうとう僕は無職となってしまった。
一日三食のご飯は一食に減らされた。
「無職だから仕方ないのよ」とアオザイさんは言った。
「人権思想に反するのでは」と僕は言った。
「昆虫人間に適用される人権は無いのよ」とアオザイさんは言った。「その気になればその辺の草でも食べられるでしょ」

ラデン氏とアオザイさんはあからさまなため息をついた。
「一体何のために改造したのか」
そう言って肩を落とす。
その疑問を裏返せばこうも言える。
「一体何のために改造されたのか」
そう、僕は。

rrrrrrrrrrrrrrrrrrr

僕はアオザイさんからマジックインキと画用紙を貰って、「外骨格人間にも人権を」と書いた。余ったスペースに小さく「我々を昆虫人間と呼ぶな」とも書いた。
それでも余白があったので花柄の模様を描いて彩色した。それを僕は自室の入り口に貼った。
昆虫人間と揶揄される僕にも人並な自室があるのだ。約一畳のカプセル的な。そんなカプセルがハニカムのように積み重なっている。僕のカプセルは上から数えて二段目。下からは三段目。(右からは四列目で左からは二列目だった。)他のカプセルには他の外骨格人間が暮らしている。隣人との距離が些か近過ぎるが、僕の私生活の趣味と云えば精々寝そべって古雑誌を読むくらいなので、こんなカプセルでも僕には充分快適だった。

無職となった僕は自室の中でカロリーを節約するべく極力動かないようにしていた。冬が近付いていたのだ。群島の冬は深い。一面が雪に埋もれる。

あまり姿を見せない僕を心配してアオザイさんが日に何度か顔を見せたが、僕の反応は乏しかった。カロリーを節約するため休眠行動に入っているのだ。アオザイさんが来ても僕はいつでも眠っていた。

rrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr
渉外部の若い男がアオザイさんに言い寄っているらしい。
嗚呼、退屈だ。僕はカプセルの中で寝返りを打った。カプセルの中には古雑誌が積まれている。複眼になった僕は字を読む事が苦手になって、僕は旅行雑誌の緑色の写真ばかり眺めている。

セミペーパーマガジンは開くとチープな液晶画面上にデジタルコンテンツが表示される。

コンテンツをタッチすると森林の写真が表示される。画面の中で木々の緑が揺れる。

巨木。が乱立している。巨木の前にマッチ棒みたいに小さな人間がいる。人間が小さいのではない、木が大きいのだ。天まで届くかのような巨樹である。そんな木が何本も国立公園に聳えている。風が吹いて葉擦れの音がざわざわと森林に広がっていく。森林が巨大な生物のように脈動する音がしている。

旧約聖書のヨブ記に二つの怪物が登場する。海に棲む巨大海竜のリヴァイアサンと陸の巨獣ベヒモスである。
二匹の怪物は世界が終わる時に神によって戦わされる。生き残った怪物は神の御手によって殺されて、神の子供たちの食料になるのだという。

巨大な森、その全体から発する静かな呼吸音。それは終末を待ちながら眠る巨獣、ベヒモスを思わせる。

嗚呼、退屈だな。そして僕はマガジンを閉じて再び寝返りを打つ。
旅行に行きたいけれど、きっと駄目だな。昆虫人間に人権は無いもの。
僕は目を瞑って巨木の森の夢を見る。

「モンナン?」と僕は名前を呼ばれて目が覚めた。
隣のカプセルに住んでいるヒマラヤだった。彼もまた強化外骨格人間である。僕とは違って仕事を失ってないタイプの。
「風邪をひいたみたいでさ。体調が悪いんだ。」とヒマラヤは言った。
「ふうん」と僕は答えた。
「仕事を代わってくれないか。」
「仕事は何をやってるんだっけ?」
「警備だよ。正面ゲートの。」
「誰かに会う?」
「会わないな、泥棒でも入らない限り。」
「泥棒だって?傑作だ。ぎりぎりぎり。」
「傑作だろう?ぎりぎりぎり。」
僕たちは大笑いした。全くヒマラヤのユーモアは今日も冴えている。
「良いよ。」と僕は答えた。
「サンキュー。」ヒマラヤは言った。

ヒマラヤがおどけて答えたので僕達は再び笑った。
ぎりぎりぎり。

rrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr

数カ月間僕は殆どカプセルの中にじっとしていたので、外の空気を吸うのは久々だった。
夜の空気は凍っている。群島の冬は深い。地面には厚く雪が積もっていた。
僕の体側に並ぶ気門から出る呼気が白い。

ブシュウウウ。
と僕は蒸気機関の如く気門から白煙を吐き、サイバーパンクごっこをした。関節を固めてカクカク動いてロボットの真似をした。
「ハローハロー、マスター御用はありますか」と言ってカクカク動く。

「ういーん、がしゃん」
ぎりぎりぎり。傑作だ。

外骨格人間になってから初めての冬だった。

外骨格人間に僕は改造されたが、実はそれ以前の記憶を失っている。実は自分の年齢もよく分からない。
興味本位でアオザイさんに聞いてみた事もあったが一笑に付されて終わった。そうだよね、外骨格人間が過去の事を知りたがるなんてどうかしている。ナンセンスだ。気の迷いだ。
照れ隠しに僕は「ぎりぎりぎり」と笑った。
アオザイさんも笑った。
アオザイさんの笑顔を見ると何故か僕の胸が痛む、のだ。

嗚呼、僕はヒマラヤに御礼申し上げなければならないぞ。彼は存外良い奴だ。

僕が不貞腐れて数ヶ月も寝ているので、彼は風邪を引いたことを口実にして、僕にチャンスをくれたんだ。働くための。あのままでは僕は糸を吐いて蛹になってしまう所であった。尤も僕に糸を吐く機構など存在しないのだが。ぎりぎりぎり。

日が暮れた正面ゲートは既に街灯も消えていた。僕は此処で一晩警備をするのだ。
監視塔の壁面に梯子が取り付けられている。梯子を登って監視室に入り、椅子に腰掛けると僕は再び気門から呼気を吐いた。

空気が深々と凍っていく。
ゲートの外は何処までも黒い森が続いている。その黒い森が雪をかぶって月光を反射していた。監視など全くナンセンスであった。こんな場所に来る者など誰もいない。この組織の掲げる崇高な平和主義を必要とする者はいない。世界と僕達の間にある障壁は誰が作ったのだろう。僕達は自ら潜伏したのだろうか。それとも世界が僕達を隔絶したのだろうか。

その断絶が黒い森になって、僕達の呼気を包んでいる。

例えば僕の記憶もまた、この黒い森に吸い込まれたのだ。僕は自分が何者であったのか知らないし、そんな事に興味も持てない。自己実現の欲求もないし、存在理由も必要としない。

僕は森に向かってモスキート音を発した。僕の声。高周波。外骨格のための。
銀世界からの返事はない。

多重にモスキート音を重ねて歌を唄う。誰にも聞こえない超音波の歌。
黒い森が僕の歌を吸い込んで揺れている。
眠る巨獣ベヒモスよ、ゆっくりおやすみ。終末の時まで。
巨獣のための子守唄。

警備が終わって朝。
菜園の周辺はちょっとした騒動になっていた。

「虫を呼び寄せたのは何処の馬鹿だ」
トマト顔の菜園部長が怒鳴った。
菜園にあらゆる虫が集まっていた。
「彼は何もしていない、ハズだ。」
と人体改造主任が言った。
「奇怪な声で虫を呼び寄せたんだ」
生物研究室長が言った。
「一晩中歌い狂いやがって。溜まったもんじゃない。」
外骨格人間グループリーダーのアイクオックと副リーダーのカイカックが言った。
「安眠妨害だ」
「昆虫人間が歌なんて歌いやがって」
「気味が悪いんだ、お前」
「そもそも」と菜園部長が言った。
「ゲートの警備はコイツの仕事じゃない」
「担当のヒマラヤが風邪をひいたので昨晩だけ代わったんです。」
「コイツには何もやらせるなと言ったろう。」
「コイツが見張りなんてやったら白菜がみんな食べられてしまうじゃないか。」
「大体、この虫たちをどうするつもりだ。」
「虫は放っておけばいなくなりますよ。」
「既に白菜をかじってるじゃないか」

今回の主訴は主に外骨格人間たちからのクレームに尾鰭が付いたものに思われる。
僕は嫌われてるんだ。外骨格人間の仲間からも、研究棟の人間からも。
「すみませんでした。」
僕は一言謝って自室のカプセルに戻った。

「モンナン?」
隣のカプセルで寝ていたヒマラヤが僕に気付いた。
「首尾はどうだった?」
ヒマラヤは外で起こっているこの喧騒を知らないのだ。
「失敗したよ」と僕は答えた。
「失敗?」
「歌を唄っていたんだ。そうしたら虫が集まってきてしまった。こんな事になるとは知らなかったんだよ。」
「歌か。」
「そうだ」
「僕にも聞こえていたよ。良い歌だった。」
「五月蠅くして済まなかった。」
「心地良い歌声だったよ。もう一回歌ってみてくれよ。」
僕は控え目な声で超音波のブルースを唄う。
ヒマラヤは目を閉じて聞いていた。

「うるさいんだけど」
二つ下の、カプセルで寝ていたイーフックが言った。
「ごめん。」と僕は謝った。そしてヒマラヤに「寝るよ」と告げてカプセルに戻った。

rrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr
フレグランスとの出会いはその翌週の事だった。
「犬を見においでよ」とアオザイさんが言った。
「はあ」僕は答えた。
人体改造班に犬が来ていた。
「おはよう」と犬に取り付けられた発声器が喋った。

「私の名前はフレグランスだ。」と発声器が喋った。
「この犬喋るの?」
僕はアオザイさんに尋ねた。
「フレグランスだ。」と犬が答えた。

「モンナンの仕事が決まったんだよ。」とアオザイさんは言った。
「私の秘書だ。」と犬のフレグランス氏が言った。
rrrrrrrrrrrrrrr

「仕事が半端にできる奴は困るな。」とフレグランス氏は皿に入ったミルクティーを(犬にしては)優雅に舐めながら言った。
「人を馬鹿にし始めるからな」
本当に仕事ができる者は自分が出来ない事も良く知っているからどちらかと言えば謙虚だ。

仕事が出来ない奴は自分の出来ない事が見えないから、何でもできる気になっている。仕事ができない者ほど自信家で傲岸不遜だな。得てして自尊心が強い。 厄介な事だよ。

とフレグランス氏は語る。

「仕事がとても良く出来るか、若しくは全く出来ないか。どちらかの人間とでなければ一緒に仕事は出来ないものだよ。」そう言ってフレグランス氏は付け加えた。「君のように、な。」
僕が仕事がとても良くできる人間として扱われたのか、全く出来ない人間として扱われたのかよく分からなかった。犬から評価されるのは微妙だな。

「君はいま、犬の癖に、等と考えたかね。」
「いいえ」
「ならば良い。」

フレグランス氏の職務は飼育される実験動物たちのスーパーバイズだった。
定期的に館内を周回して動物たちの様子を伺う。

「君達は私が犬だから動物たちと円滑にコミュニケーションが図れると思っているのだろうが、実際そんな事はないのだよ」
とフレグランス氏は言った。
「人間だって猿の言葉は分からないだろう?犬である私にウサギの言葉もネズミの言葉も分からない。」

「しかし言葉が分からないからと言って、彼らの事が何も理解できないかと言えばそうでは無い。体調や毛並みの色艶で彼らのストレスはそれとなく伺い知ることができる。私がやっているのは主にそのような事だ。」とフレグランス氏は語る。

「もっと犬の特技を活かした仕事をしていると思ってました」と僕は言った。

犬という言葉に反応してフレグランス氏は牙を剥いた。

「私を犬と呼ぶな!」
ぐるると唸って涎を垂らした。

「呼んでません。」と僕は言った。
「そうか。」とフレグランス氏は言った。

「君は私がどんな仕事をしていると思ったんだね。」
「匂いとか」
僕は言った。
ふんふんとフレグランス氏は笑った。
「確かに私は鼻が効くよ。」
でも、だからと言ってそれを活かす仕事は此処には無いんだ。

「例えばアオザイ女史には今日会ったかね?」
「会ってません。」
「私もだ。だが、彼女の匂いは今も感じている。彼女は今日香水を変えたね。エキゾチックな香りだ。私は彼女の香水に混じる体臭まで嗅ぎ分けられるが、匂いだけで彼女の本心は見えないのだよ。」

フレグランス氏は自嘲気味にふんふん笑った。
「私の嗅覚など何も役に立たない。」

実は。外骨格人間である僕もまた嗅覚には敏感なのだ。アオザイさんの身に付けている香水は僕の心をかき乱す。

「それはフェロモンだろう。」と氏は言った。
「フェロモン?」
「誘引物質だ。化学物質が君の行動を誘発するのだ。君以外反応しない所を見ると受容体は君にしかないのだな。このメカニズムが解明されれば君は女史の操り人形になるぞ。」

淫蕩の痺れの中で自我を失い、女史に使役される傀儡。外骨格人間の本懐は其処にあるのかもしれないな。
僕は外骨格人間に改造された。
外骨格人間に自我など残す必要は無かった。時に僕は自由ならざる我が身が苦しいのだ。

「昆虫人間の兵隊には女王蜂が必要か」
氏が言った。
昆虫人間と呼ぶな、と僕は思った。

rrrrrrrrrrrrrrrr
アオザイさんが仮面を付けている。
合成レザーのボンテージファッションに身を包んでいる。硬い皮革と露出の多い柔肌が外骨格人間に親和する。
腰に手を当てて、もう片方の手には鞭を持ち、アオザイさんは仁王立ちしていた。
ピシリと鞭を鳴らしてアオザイさんは香水を振りまいた。

ぎりぎりぎり。
幸福感に満たされて僕は笑いが止まらない。

ピシリ。また別の香水を撒いた。
全身が虚脱して眠い。

ピシリ。次の香水を撒いた。
光が見たい。無性に。

ピシリ。次の香水は。
怒りだ。
怒りが止まらない。
壊したい、何もかも。

ぎちぎちぎちぎちぎち。
ぎちぎちぎちぎちぎち。
ぎちぎちぎちぎちぎち。

振戦が止まらない。
僕は外骨格を戦慄かせる。
何を破壊すれば良い?
命令してくれ。

と、言う夢。

rrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr
その日から僕はフレグランス氏の秘書として働き始めた。フレグランス氏は大変に仕事熱心で、毎日敷地内を何周も回る。

彼の監督活動に僕もまた付き従うのだ。

「早く来なさい。」
僕が歩調を緩めると氏は僕を叱咤するのであった。
尻尾をはたはたと振って、僕を鼓舞する。

或日、氏は敷地内で銀色のフォークを拾った。

「ふむ」
と氏は言った。
「君、これを拾い給え」と氏は僕に命じた。
僕がフォークを拾うと氏は外壁の植え込みまで行って穴を掘り、それを埋めた。
「ふむ。」

またある時、氏は実験室主任のラデン氏からゴム製のボールを譲り受けた。氏はボールを観察し、転がし、入念に調査した後、

「ふむ。」
と言ってやはり地面に穴を掘り埋めた。

「何故、先生は折角手に入れた物を地面に埋めてしまうのですか。」
と僕は尋ねた。(僕は氏の事を先生、と呼ぶようになっていた。)

「我々の生活は極めて非日常の中にあり、何ら安全が保障されていない。いつ如何なる時に緊急の事態が発生し、且つ我々がその事態に対して速やかに対処できるよう、私はあらゆる物を蓄えなければならない。」
と氏は答えた。
氏が埋めたものと言えば、コーヒー豆の入った缶、ラデン氏のメガネ、僕の古雑誌。敷地中、至る所にあらゆる物を氏は埋めていた。

rrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr
或日、氏は僕たち外骨格人間の居住スペースを訪れた。
僕が案内していると氏は「ふむ」と立ち止まった。

「この絵は何だね?」
以前僕が作成した人権ポスターだった。その旨を僕が説明すると、氏は「ふむ」と頷いた。
「素晴らしい作品だ」と氏は言った。「暗喩に満ちている」

その晩、僕たちは監視台に上って森を見ていた。天上には星々が瞬いている。

「歌ってみ給え」
僕は高周波の唄を歌う。木々がざわめく。黒い森が揺れる。
いつの間にか冬は過ぎていた。夜に香気が漂い季節は春である。良い匂いだ。懐かしくて心が安らぐ。雪が解けて、生えてきた野草から植物油が滲んで、暖気を増した空気中に草の匂いが広がるのだ。歌と香気は撹拌されて森に浸透していく。

「ふむ。」とフレグランス氏は頷いてから「私には君の歌は聞こえないが」
それから一呼吸置いて言った。
「きっと良い歌なのだと思うよ」

「あまり歌うと怒られるんです。」僕は言った。
「芸術が虐げられる事など無い世界にしたいものだな。」フレグランス氏は言った。
「私だって組織の一員として世界の平和を望んでいるのだ。」
フレグランス氏は星々に向かって遠吠えした。
それからもう一度、また一度、更に何度も繰り返す。
「これが私達の歌だ。」と言った。
「私達とは?」僕は尋ねた。
「無論、犬族だ。」
「先生は犬の仲間扱いされるのは嫌いだと思っていましたが」
「そうだ、嫌いだ。だが私は犬の歌しか知らないんだ。」

「あ」と、唐突に、フレグランス氏が拍子の抜けた声を出した。
「君の友人のええと」
「ヒマラヤですか。」
「そうだ。」
「彼がどうしましたか。」
ヒマラヤは今日も体調を崩していた。今頃はカプセルの中で眠っている筈だ。

「死んだよ、いま。」
「死んだ?」
「そう、死んだ。確かだ。」
「何故?」
「言ったろう?嗅覚で分かる事などごく僅かだ。」

僕たちはヒマラヤのカプセルに向かおうとしたが、
「アオザイさんも呼びましょうか。」
「そうだな。発見者は多い方が良い。」

僕たちは少し引き返してアオザイさんの部屋をノックした。ドアはすぐに開いた。
「どうしたの?」
「外骨格人間の一体が死んだよ」とフレグランス氏が言った。
「何故?」
「今からそれを調べに行くんだ」

僕たちはヒマラヤの部屋に向かった。
僕たちの暮らすカプセルの集合体は蜂の巣にも死体安置所にも見える。その歪な集合住宅は倉庫の片隅で静寂に包まれている。

外骨格人間たちは基本的に静寂を好む。カプセルの中で静かにしている個体が多い。今もまた倉庫内は物音ひとつしない。誰かが寝返りをうつ音も。誰かの寝息も。

静謐に満ちている。
不気味な静謐に。
不可視の巨大な怪物が潜んでいるような、静けさの圧力に満ちている。

「ヒマラヤ?」
僕は小声で彼のカプセルのドアをノックした。
返事はなかった。

ドアを開けた。
その中で彼は死んでいた。
眠る事と死んでいる事は似ているね。
外骨格人間のそれはきっと区別がつかない。
でもヒマラヤは圧倒的に死んでいた。
彼の外骨格は暴力によって剥がされて、断切されていた。
彼の身体は今や無残に散らばる部位である。

「ひい」
アオザイさんが短く悲鳴を上げた。
僕は息を呑んだ。

どれ程の暴力が加われば彼からこのように生を剥奪する事ができるのか。

ヒマラヤは抵抗しなかったんだろうか。
誰も彼の抵抗に、痛みに気が付かなかっただろうか。

「ねえ」二個下のカプセルに住むイーフックを呼んだ。
「おい、起きてくれよ、みんな。」
君たちに血は流れていないのか。同胞の死を、この哀切を分かち合える者はいないのか。
「ねえ?」
イーフックはカプセルに閉じ籠もったまま返事をしない。
積み上げられたカプセルの沈黙が雪崩のように僕を押し潰す。
虚無が、満ちている。

「ねえったら」僕はイーフックのドアを開けた。
僕は息を呑んだ。
彼もまた断寸されていた。外骨格の節という節が千切られていた。

片端からカプセルを開ける度に外骨格人間は殺されていた。

「片付けましょう」とアオザイさんは言った。僕とアオザイさんは分解された彼らを焼却炉へと運んだ。

「おい、俺を運ぶなよ」とアイクオックが言った。「まだ生きてる」
彼は頭がもげて首だけになっている。彼にはまだ意識が残っていた。
「でももう死ぬわ」
とアオザイさんは言った。

「そうか」とアイクオックが言った。

すべてを焼却炉に運んだ後にフレグランス氏が言った。
「君は悲しくないのかい」
「悲しい?何に対して?」
「何というか、生きることに対して」
「別に」

会話は終わった。

今回の件について組織内の諮問委員会では何故かフレグランス氏が問責される事になった。
「集団心理とはそういうものだよ」とフレグランス氏は語る。
「ひとりひとりの気まぐれが、増大して、止めることのできない奔流となるのだ。」
「個々の誤った判断を回避できないなら人間は群れる意味などないじゃないか。」と僕は言った。自分たちにとって不可解な事件をフレグランス氏に責任転嫁するやり口が気に入らない。
「誤った、というのは道義的に、という意味だろう?」
「その通り、もちろん。」
「そもそも道義的でない人間が道義的に生きなくてはいけない理由も無いんだよ。そりゃ勿論、道義というものは超長期的に人類が繁栄するために設定される訳だからね、人類という大枠から見れば道義的に生きなくてはいけない。だけれど、辺境の小集団がそのような理想論に従って動く事を期待してはいけないよ。つまる所、国家すら無くした我々に道義に生きる義理など無いのだから。」

「それでも小集団なりの道義があって然るべきだ。」

「道義に照らし合わせて云えば、我々の存在そのものが道義に反するものなのかもしれないよ。」

問責会議は一ヶ月間の長きに渡り断続的に開かれた。と、言ってもそれは会議構成員である幹部各々の都合が合わずに退出者と欠席者が多く、その都度の会議が手短な雑談で終わっていたためであった。
そしてその雑談の中でフレグランス氏の処断も決議されたのである。

「定めに従って」と問責会議議長である世界改革特別推進室の室長が言った。
「フレグランス氏の発声器は取り外して貴殿の取り扱いは他の実験動物相当とする。」

「喋って意思を伝えることが私のアイデンティティなのだ。それを奪われる事は死ぬ事と同じだ。」
「君の研究室は放棄されて、今後君は実験動物と同じ檻の中で暮らすことになる。」
「檻に入れと言うのか、私に」

フレグランス氏は激しく抵抗した。だが彼の言い分も虚しく、彼は拘束され轡を噛まされ、フレグランス氏の発声器は忽ち取り外されてしまった。彼は唸り吠えようとした、尚且暴れようとした。だが彼は到頭、首輪に繋がれたのだ。紐に括られ、引き摺られた。
抵抗する彼に電撃警棒が振るわれた。
電撃に麻痺をして脱力した彼は黙して係員に連行された。

僕は秘書の任を外れて正式に正面ゲートの夜間監視員になった。
黒い森に向かって歌を唄ってもそれを聴く仲間はもういない。

「やあ」
声を掛けられた。
見知らぬ男だ。

「いい歌だ、とても。」
「虫が集まってくるから今日はもう終わりだ。」
「なんだよケチだな。外の監視をしているのかい」
「そうだ」
「何かあるかい」
「何も。異常無しだ。」
「そうか。」
「その上からは何処まで遠くが見渡せるんだい」
「目が悪いんだ、そんなに遠くまで見えないよ。」
「そうか、ちょっと降りて来なよ。」
「仕事してるんだ、降りられないよ。」
「まあ、良いから。少し話をしようよ。」
「朝には仕事が終わるんだ、それからでも良いだろ。」
「なんだ怖いのかい。」
「馬鹿言うなよ。怖くなんかないさ。」

男は消えていた。
見知らぬ男だった。
良い歌だ、そう男は言った。僕の歌が聞こえる?

翌朝、アオザイさんに僕は男の事を報告した。
アオザイさんは動かなかった。
僕は黙って部屋を出た。

居住スペースに戻った。もう此処に住んでいる者は僕しかいないし、誰も此処には近付かない。仲間たちのバラバラになった体節は運び出されたが、それぞれのカプセルの中は遺物がそのまま残されている。イーフックの部屋にはスナック菓子とポケットTV。カイカックの部屋はグラビアのピンナップと筋力トレーニング。ラマはコミックとフィギュア。コンロンはブッダ式瞑想法とハンドヘルドゲーミング。

僕の隣はヒマラヤのカプセルだったが彼の遺骸を運び出して以降、彼の部屋の中を覗く気にならない。彼もまたカプセルの中で一人、静かに彼だけの時間を過ごしていた筈だ。恐らくカプセルを覗くとその残滓が今も残っているに違いない。ヒマラヤはいつも一人で何をして、何を考えていたんだろう。

僕は何度も彼のカプセルを開けようとして止めた。
そして今日もまた。
僕は彼のカプセルのドアに手をかけたまま、動けない。
耳を澄ませてみた。

静寂。
どのカプセルからも静寂の音がする。死者の奏でる静寂の歌が聴こえる。
その歌声の中にヒマラヤの声もある。
嗚呼、ヒマラヤ。
君は。

僕はドアを開けた。

僕はカプセルの中で眠った。
巨木の森林の夢を見た。
夢の中で外骨格人間達が巨樹に集まってキャンプをしていた。
黙々と高次元テントを張っている。高く高く組まれていくテント。巨大だ。とても、楽しそうだ。バーベキューも始まっている。

「大きいねえ」とヒマラヤが言った。
「そうだねえ」と僕が言った。
「早く入りたいねえ。」とヒマラヤが言った。
「そうだねえ」と僕が言った。
日がな一日、寝そべって雑誌を読み耽っていたい。世界中の巨木を巡る旅行誌を。

「だが君はまだ入れないんだよ。」とアイクオックが言った。
「何故?」
「君はまだ死んでないじゃないか。」
「これは僕たちの墓標なんだ。」
「ここには永遠があるんだよ。」とヒマラヤが言った。
「僕も死んだら此処に来るのかい。」僕は尋ねた。

「いいや」とアイクオックが言った。
「君は種類が違うんだ。」

「どういう事だよ。」
「だって君は」

rrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr

その晩、群島で発生した火災は秘密組織の何もかもを燃やし尽くしてしまった。

(了)

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(短編小説「外骨格人間とフレグランス」村崎カイロ)

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