見出し画像

「幽霊ghosts」眠れぬ夜の奇妙なアンソロジー25集202005号解題

膨大な集合知「note」に散らばる新旧作品をひとつのテーマで綴る「眠れぬ夜の奇妙なアンソロジー」。第25集のテーマは幽霊でした。

草木も眠る丑三つ時。耳をすませば誰かある。窓の外、天井、押入れの隙間。人外は其処此処に。振り向けば幽界。あなたの背後にいる者は。

全17作品です。

目次
01エッセイ「ぼやきジョーンズ 黄昏ゴースト」cunimondo
02エッセイ「悪霊の名前を呼ぶ」虎馬鹿子
03詩「ラジエーター」fuyuno coat
04英会話「初めての霊界訪問を英語で」ムーPLUS
05マンガ「プールアタック!!!!!!!!」ヒロットヨン
06小説「メー・ナーク」アセアンそよ風
07小説「ひとりぼっち おそれずに」民話ブログ
08小説「サプライズコンサート、上を向いて歩こう坂本九インダハウス」ひろし
09小説「リトルゴースト・ルルー・ライクス・チーズ」
10小説「窓の」紗季
11小説「扇風機」伊藤緑
12小説「しあわせなキス」平沢たゆ
13小説「ゴーストの凍ったシャワー」千本松由季
14映像とおはなし「夜あるく。」椿あやか
15小説「それは幽かな」サトウ・レン
16小説「幽霊はいるのだ」くにん
17音楽「そばにいてよ」あべ

解題
01エッセイ「ぼやきジョーンズ 黄昏ゴースト」cunimondo

伝説のロックバンド「ローリング・ストーンズ」が8年ぶりにリリースした新曲。「Living in A Ghost Town」についてブライアン・ジョーンズが語る、という構成のモキュメンタリー・エッセイ。
ブライアン・ジョーンズさんはミック・ジャガーに声を掛けてローリング・ストーンズを結成したバンドリーダー。素行不良が問題視されて1969年に解雇をされています。同年、自宅のプールで怪死を遂げました。
ローリング・ストーンズの新作のタイトルが「ゴーストタウン」だけにゴーストのブライアン・ジョーンズさんが語る事に二重三重の面白さがあります。
新作のPVも記事中にリンクがありますのでご覧下さい。
今や世界はコロナ禍によって空前絶後の大災厄。ステイホームで街はゴーストタウンと化しております。
例年世界滅亡の警鐘を鳴らす「ムー」ですら不穏な言葉を自粛する程、洒落にならない事態です。
ゴーストタウンのゴーストたち。
それは我々自身です。
当月も無事にまとまりました眠れぬ夜の奇妙なアンソロジー。開幕です。

02エッセイ「悪霊の名前を呼ぶ」虎馬鹿子
悪霊とは。いつの間にか人心に悪霊が取り付き民草を良からぬ方向に煽動致します。我々の属する社会で常識と思われていること、例えば青汁は健康に良いとか、コラーゲンで美肌になるとか、百田尚樹は嫌われ者であるとか。
あなたの背後で悪霊は、妄言を繰り返しあたかもそれが常識であるかのように思い込ませるのです。
悪霊の語る常識は当事者の視点で語りえぬものです。安全圏から語られた不誠実です。
悪霊のいる所は学校ばかりではないですね。コロナ禍のゴーストタウンにも悪霊はいて、奇態な「常識」を今日も生み出しております。


03詩「ラジエーター」fuyuno coat
冬野さんの詩です。
機械は存在が確固としています。存在証明も不確かな幽霊と違って機械は機構も出自も明らかで存在理由までも明確です。
幽霊と最も相反するものでありましょう。
そうした機械とおばけの融和がなされた本詩。存在と非存在の両者を繋ぐものは「熱」という現象。

04英会話「初めての霊界訪問を英語で」ムーPLUS
我らが愛読書の「月刊ムー」。公式ブログ「ムーPLUS」はnote上にあります。フォローしている方も多いでしょう。
この世の真実が生まれる場所です。
前述の虎馬さんの「悪霊」と「ムー」の違いはなんでしょうね。
「ムー」が「ムー」である限り、悪霊にはなり得ない。これは「東スポ」が「東スポ」である限り悪霊にはなり得ないとも換言出来ます。
「ムーPLUS」では役に立つ英会話も人気記事となっております。今日ご紹介するのは「初めて霊界訪問する時の挨拶」です。我々が幽霊になった時に公用語が日本語とは限りません。英語かも。備えあれば憂い無し。転ばぬ先の杖。流石、「ムー」です。

アマビエはダイヤモンド・プリンセス号だ! メディアが拡散した現代の予言獣/吉田悠軌・オカルト探偵|ムーPLUS @mu_gakken #note  

(「アマビエはダイヤモンド・プリンセス号だ!」ムーから真実は生まれる)


05マンガ「プールアタック!!!!!!!!」ヒロットヨン
ヒロットヨンさんは「大阪にある「深夜食堂」のモデルになった串カツ屋さん」の隣でアジア料理店を開いております。奥様は沖縄の方でお祖母様がユタをしておられました。その影響からか奥様の周りでは不思議現象が盛りだくさん。そんなノン・フィクションをメタに変えて漫画を書かれております。
「ハウス オブ ザ で」、「voice of living dead」、「コリアン ダーク シティ」と今まで書かれたシリーズは二人の生活と奥様のルーツに纏わるもの。現在は「HOUSE ORB」が連載中です。
本作は奥様であるマキさんの子どもの頃の話。「水のある所に気を付けろ。」とマキさんは言われているそうですが、その謎も今後のシリーズで解けるのかもしれません。


06小説「メー・ナーク」アセアンそよ風

アジアに造詣が深いアセアンさんの幽霊は「ピー」。タイで精霊、幽霊などを指す言葉です。タイで有名な幽霊譚「メー・ナーク」を原案にして小説にしております。牡丹灯籠や雨月物語の「吉備津の釜」のような話ですね。死霊と雖も奥さんなんだから末永く幸せに暮らせば良いじゃない、と私などは思うのですが、それも恐らく私の背後にいる悪霊が囁く邪な良識に違いありません。
このメー・ナークは近年映画化されて日本でもDVD化されているようですよ。
勉強になります。

07小説「ひとりぼっち おそれずに」民話ブログ
かつて本アンソロジーで奇特な小説を次々発表し麒麟児と呼ばれた民話ブログさん、久々の寄稿です。仕事がテレワークとなり、会社に行ってないから元気になったそうです。良かったですね!
ジブリ映画「耳をすませば」の一場面をモチーフにして耳なし芳一的なブルース・ショウが展開します。読みながら踊り出したくなるほどリズミカルな文体です。
そう言えば冒頭、cunimondoさんの「ブライアン・ジョーンズさん」を読んで、YouTubeでブライアン・ジョーンズさんを検索したらデビューして間もない頃のローリング・ストーンズが見つかりました。当時のローリング・ストーンズはロンドンではまだ珍しかったブルースを下敷きにしたバンド。未だ好青年のミック・ジャガーがマラカスを振りながらブルース・カントリーを歌っていました。
かつてミック・ジャガーが語った「ビートルズがキリストなら、俺たち(ローリング・ストーンズ)は悪魔」という言葉。民話ブログさんの小説を読みながらそんな言葉を思い出しました。

08小説「サプライズコンサート、上を向いて歩こう坂本九インダハウス」ひろし
民話ブログさんの小説に引き続き、今回のひろしさんの小説も懐メロです。坂本九と云えば1985年の日航機事故で亡くなった事で有名です。そんな坂本九が部屋に現れて彼女とのデートを応援してくれる、というハートウォーミングであった筈の物語も次第次第に悪夢化していきます。
数ある物語の分岐の中で、一体何故坂本九の幽霊という戯けた設定が生み出されたのか、ひろしさんの偉大で混迷極まる脳内を覗いてみたいものです。


09小説「リトルゴースト・ルルー・ライクス・チーズ」
私の過去作です。半年の間に断片的に物語が書かれていたものをこの度繋いで修正しております。冬野さんにコメント欄で指摘されて思い出しましたがジブリの魔女の宅急便に影響を受けています。ジブリの世界はイーハトーブのように西洋のようでありながら何処か日本的。そのような幻想の国に憧れます。
ところで今回、過去作を出品した方が他にも何人かいらっしゃいます。かつての自分が書いた作品が今もこのネット上の何処かに浮遊しているという事実。それはまるで幽霊みたいなものですよね。ね?

過去作は前世。
前世が無ければ生きていけない。

前世が無ければ私たちはまるで…

「まるで?
まるでなんだと言うのです?」

ゆ…

(つげ義春のゲンセンカン主人)

10小説「窓の」紗季
虎馬さんからご推薦のあった紗季さんの小説。
怪人「連れ回し」の噂。近所の窓を覗き見る少女。他人の私生活を覗く愉悦。
しかし深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのです。
因果の不確かなまま、事態は大事に転じて少女は昏い罪悪感に苛まれます。
他人の私生活や背後の光景は本来、存在するけれど見る事は出来ないものです。幽霊もまた然り。見えない。そして見てはいけない。見るという行為そのものが罪悪で、見てしまったからには然るべく罰を受ける事となります。「因果応報は必ず起こる。」そんな予定調和に自らが閉じ込められるような恐怖もありますね。
この度のアンソロジーはテーマが「幽霊」であるにも関わらず何故かホラージャンルの作品が殆どありません(笑)。
その中で本作は希少なホラー作品となりました。


11小説「扇風機」伊藤緑
冬野さんが詩の中でラジエーターとおばけを対比させました。伊藤さんは扇風機に怪を見ました。共に機械、幽霊と相反するもの。
アンソロジーを構成しながら「幽霊」について思いを巡らせております。人間は生きておりますが、死にます。死んだ人間からは生命が失われて生物ではなくなります。物体です。この状態は逆説的に生命が物体を失ったとも言えます。生命と物体が不均衡。これが死であり、幽霊です。
伊藤さんの本作は扇風機が生命を持ち、官能をもたらすかのような描写がされます。扇風機という物体は生命がない状態が正常で其処に生命が宿る事が不均衡となります。わたくしの生命が扇風機に仮託される。幻想的な感覚です。

12小説「しあわせなキス」平沢たゆ
先日から六条御息所が話題です。え?話題ですよね?生霊。
たゆさんの作品は別れた恋人(の霊)が寝所に忍び込む話。
金縛りになってされるが儘です。
生霊が来る事はよくある気がしますが(?)、生霊になる事はあまりない気も致します。生霊になれる人はマイノリティなのでしょう。そのような特殊技能は羨ましいですけれどね、行き過ぎると逮捕されるんでしょうか。死霊もいれば生霊も。この世は霊ばかり。ちょっと後ろを振り返ってみませんか?いるかもしれませんよ。


13小説「ゴーストの凍ったシャワー」千本松由季
死の非日常がホラーであるなら、生の非日常は官能です。
どちらも生死の極限を描こうとしますので、ホラーと官能は相性が良いですね。千本松さんの今作はゴーストとの「ハードBL小説」です。
やりましたね、オカルト好きも真っ青な主題です。
他の作品と如何に差を作っていくか。創作には独創性が問われますが、今作はかなり突飛な作品に思われます。
その偏向をフレグランスや文学などの小道具を用いて上手にまとめております。


14映像とおはなし「夜あるく。」椿あやか
椿さんの映像です。よく出来ています。
いつも作品をお借りする時にコメント欄にてご挨拶をしておりますが、どうも推敲している途中で送ってしまったようです。
「さみしい」という感情がきっと「こわい」になるのだろう。と前置きしておいて、話が進むと「さみしい」が「かなしい」になる。感情が熟成されて別の感情に育っていくという構成が上手で感服する、という事を書きたかったのですが、何故か途中で切れておりました。これも何かのご縁だったのかもしれませんし、違うかもしれません。(酔いが進んで眠さのあまりに誤って送信ボタンを押してしまったのかも笑)

15小説「それは幽かな」サトウ・レン
サトウさんの短編。現在開催されている「原稿用紙二枚で心理描写のない小説を書く」という伊藤緑さんの企画への応募作品でもあります。
菩提を弔う、という言葉があります。「弔う」とは何でしょうか。死者のため?それとも遺された我々自身のため?
死とは突如起こる関係の断絶です。遡及不能。例え伝えたい事があったとしても最早、伝えることは叶いません。死んだ者にしてあげられる事などありません。何と言っても死んでますからね。
イスラエルで1万2000年前のネアンデルタール人の墓が発掘された時に、遺体とともに大量の花粉が発見された事から献花の跡だと考えられました。弔いの最古の記録です。
悼むこと、弔うことは原始の時代より繰り返されていて、生死の隔絶に対する数多の悔悟の蓄積が、現在の死後の世界観を作り出したのでしょう。私たちが死者を想う時、幽霊は心の裡に現れます。

16小説「幽霊はいるのだ」くにん

幽霊はいるのか、いないのかと飽きもせず人類は問い続けております。中国共産党はオカルトの話題に思想統制をかけているそうですね。「子、怪力乱神を語らず」と論語にもあります。時折、中国史は宗教で転覆しかかっておりますのでその反動でしょうか。文化大革命の時に宗教施設は軒並み破壊されたとか。今は若干規制緩和されて中国共産党はプロテスタント、カソリック、仏教、イスラム教、道教の五つの宗教を公認しています。その他の宗教は邪教と呼ばれて存在が許されないとの事。因みに香港はイギリス領だったので思想統制は掛かりませんでした。香港映画はオカルトなものも多かったですね。
長年の共産党による宗教批判によりいまや中国人はすっかり無信仰なのだとか。
「幽霊はいるのか、いないのか」我々は今でも問い続けております。
それは我々や愛する者の行く末を案じる声でもあります。死後の世界があると思うからこそ、我々は自他の生を大切にする事が出来ます。幽霊は願いであり、未来であり、倫理でもあります。
くにんさんの小説では「幽霊はいる」と断言されます。力強い言葉です。
逆に幽霊がいないと断言される世の中は恐ろしいですね。死の畏怖を裏返せば生命への畏敬になるのですから。

幽霊はいる。我々の切なる願いです。


17音楽「そばにいてよ」あべ
名曲「スタンド・バイ・ミー」のオリジナル和訳です。英語歌詞を訳して歌う時には音便が大切で、歌の中の核となる音便を揃えないと歌になりません。
あべさんの訳は

No,I won't.→そんなもん

のように語感を似せて訳が作られますので和訳で歌われても自然に耳が馴染みます。他の部分がどのように歌われるのかは聴いてみてのお楽しみ。

街はゴーストタウンで人々はソーシャルディスタンス。連日の死亡ニュース。葬儀もままならずオンラインで無人葬儀。

「スタンド・バイ・ミー(そばにいてよ)」の歌詞が沁みる時代です。

新年度は4月開始から9月にズレるかもしれず、もしかしたらそれすらズレて1月開始になるかもしれず。国体すらも不確かなこの国はいまや幽霊の国。其処に彷徨う我々は浮遊霊の如きもの。転生も成仏も方向は見えません。

世界を覆う不安。未だ夜は空けません。

アンソロジーはこちらから。

-------編集後記

今号も無事にまとまりました。こんな環境で創作なんて出来るか!と思っておりましたが皆様、無事に作品仕上がってましたね。私は過去作でしたけれどね。そもそもがスランプ人間なので環境の変化に対する耐性が低いのです。よくも今回はまとめる事が出来たものだと。実は諸事情でPCが無くてこの長文をスマホで打っております。ああ、頭が痛い。はっ…コロナでは無いですよ!?通報しないで下さい!

アンソロジーの完成は偏に皆様のお陰です。ご参加して下さった方、ご覧下さった方。ありがとうございました。

皆様の無事をお祈りしております。

…。
…。

思い出しました。皆様の既に読まれた後に加筆するのも気が引けますが、書こうと思ってすっかり失念していたエピソードがあります。

アメリカの奇術師「ハリー・フーディーニ」。日本で云えば脱出イリュージョン引田天功の元祖です。
彼のもう一つの顔はサイキック・ハンター。当時隆盛を誇ったスピリチュアリズムと真っ向勝負して彼らのイカサマを暴きたてました。イタコの嘘を揚げ足を取りながら見抜くようなもので、大層嫌がられたそうです。(そりゃそうだ!)
当時、霊媒は新たな科学として文化人の中でも擁護派が多かったのです。シャーロック・ホームズの生みの親であるコナン・ドイルが熱心なスピリチュアリストであったり、エジソンが霊界ラジオを作ろうとしていた話が有名です。
当時、戦争では近代兵器が登場し戦死者の数が爆発的に増え、肉親を失った人々が巷に溢れていたそうです。そうした人々の悲しみを癒していたのが霊媒による降霊術でした。
それを糾弾し続けたフーディーニも同じです。最愛の母を亡くし、母の霊を呼ぶことが出来る本物の霊媒を探そうとした結果、出会う霊媒が全て偽物であったのです。彼は死ぬ時に妻に「必ず霊界からメッセージを届ける」事を約束して死にました。

幽霊はいるのか、いないのか。疑う気持ちは否定しきれない気持ち。幽霊を信じたい気持ちでもあるのです。もう一度、会いたい人がいる。例え幽霊であったとしても。ラフカディオ・ハーンか幽霊という言葉に儚い美しさを感じたのは、きっとそのような感傷に触れたからなのでしょう。

-------

読者アンケートにご協力下さい。

フォームが表示されない方はこちらから。

次回テーマ決定のアンケート

ご興味ある話題を教えて下さい

フォームが表示されない方はこちらから

おっと!
締切の設定を忘れておりました。両アンケートともに5/8の18:00までです。
よろしくお願い致します!