盲目が見えない

冬の北海道富良野は雪がすごく積もる。ある時、東京に住む僕は富良野の友達に会いに北海道にいった。旭川の空港から富良野までバスと電車を乗り継いだ。12月の富良野、東京とは違い、雪が積もっていた。というか、積もりたてホヤホヤだった、雪かきしたその夜に雪がドカ雪として降ったせいで、その夜は除雪車も間に合わないぐらいドカ雪だった。富良野駅に着いた僕は駅から出た景色に驚いた。膝小僧ぐらいまで積もってる雪。しかし、駅を出たところは歩行者が歩くところだけ雪がかいてある。歩行者の歩くところは確保されてる。だけど、そこには点字ブロックがあった。点字ブロックの上もスコップで雪がかいてたんだけど点字ブロックはボコボコなので上っ面だけ綺麗に雪がなくなっていて、もはや、点字ブロックは、あいだに雪がはいってて、平になってた。点字だからこそ、平になったら点字が見えなくて、意味がなくなるのに。僕は思った、こんな時にいつも、思い遣ってもらえないのは、少数派なんだな、と。そんなことはわかってる。地震があって、外国の言葉で、逃げてくださいなんてのは後回しだ。まず、日本語だ。少数は後回しの後回しだ。どか雪は毎年、起きてるけど、そのときは、とにかく、雪をかくことだけだったんだろう。点字ブロックとかはいまは、なんとかしようとはならなかったんだろう。目が見えない人が富良野では少ないのかな?少なくてもいると思う、いやいないとしても、いま、ここを歩く目が見えない人は怖いだろうなと思った。目が見えない人の存在が見えない健常者もまたなにかが見えない人なんだろうな。おれも不安で焦ってる時はそんなときがあるんだろうなと思った。誰しも何かに盲目になる、それはある。そんなことを思った富良野の冬の話。


※訳あって770万円集めるために記事を書こうと思いました。理由はまた僕から。記事が面白かったらサポートお願いします。

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