表現未満って?

表現未満って? 村木多津男

「Dot Arts(ドット・アーツ)
「情報センター、福祉施設、木工室、音楽スタジオといった社会的機能をひとつだけ持った場を、地域の交流拠点として運営し、それを広範囲に点在させてゆくアートセンター構想。根幹にあるのは、人とコミュニケーションをとり、人同士をつなぎ、企画をおこしてゆく意識を持った中間人材の存在である。人の集合がつくる地域社会で、アートの試行錯誤に対する絶対的肯定感を基に、個人性のつながりから人が主体的に動かすさまざまな企画の発生を促す。地域独自文化、教育、教養、余暇支援、自己実現、産業、商業といった多方向への展開を想像させる「原石」の創出と、ちがいを認める心持ちの実践を主軸とし、地域に寄与していく構想。現在、たけし文化センターARSNOVA(障害福祉施設)、たけし文化センターINFOLOUNGE(情報センター)がある。」
・・これは、黒板とキッチンの前身のたけし文化センターINFOLOUNGEにあった小冊子の引用文だ。

 レッツは社会の中にアートの力でつながりをつくることを考えていたように思う。久保田さんはたけし君を育てる中で既存の障害者に対する扱いに怒りを感じて、たけし君も含めどの子も輝けるような場所をつくりたかった。その時にアートの力を取り入れようとした。

自閉症のまいちゃんは、いろいろなものにガムテープを巻いていた。家族は困ったのだけれども、レッツでは「これは面白いことだ」という視点で解釈をして価値を見出した。まいちゃんはアートで賞を取ることになった。まいちゃんはアートとか、賞を取るためにガムテープをいろいろなものに貼るのではない。自分が貼りたいから、そうすることが大好きだから貼るのだ。アートが見る人の視点を変えさせ価値観を揺さぶるものならば、障害者の活動は価値観を揺さぶるきっかけを与えるという点でアート的である。
 アール・ブリュットという専門的な訓練を受けない人の芸術。障害者の中にもすばらしい価値のある作品をつくる人もいる。まいちゃんの作品は飾っておくと存在感がある。
 
 では、価値のある作品を生み出さない人には価値がないのだろうか? レッツの表現未満はここに価値を当てている。ただそこに生きているだけで、日常生活を送るだけの中に価値はないのだろうか?7

私は「笑っていいとも」のオーディションに四回通った。その時はなぜかは分からなかった。しかし、自分がユーチューブに動画をあげるようになって分かった。存在感があったのだと思う。カブトムシやパンダはいい被写体になってずーっと飽きずに観ることができる。
レッツの巨漢の太田君を五分映したとすると多くの人は飽きずに見ることができると思う。存在感が半端ない。普通の人を五分撮って飽きさせないのは難しい。太田君は、ただ、生きているだけで価値があるのだ。
 レッツには、職員のわくわくの時間があり、職員が楽しみながら活動する時間を作っている。佐藤さんは、一時間以上ドラムをたたき続けることもある。
レッツはアート、福祉が軸であるけれども、私は、「一人ひとりが輝くための活動」を目指しているのではないかと考えている。生活、生きる活動で輝く福祉、アート、社会活動を目指している。
 レッツは考える活動体で考え方が常に変わり続けている。みんなで話しながら少しずつ進歩している。 
表現未満も探り探り進化し深化していくのだろう。
 表現するときに、その材料となる表現の素があるとおもう。思いや情景がどろどろしていて言葉や表現の前の段階だ。表現未満は生きる日常から出てくる表現の素を自分なりの見方でとらえる行為なのだ。

私は表現未満に思うことを詩で表現する。

生きる意味

今そこにいてくれるだけでいい
輝いて生きて欲しい
よく生きて 生き抜いて
生きる意味とはこの瞬間を愛おしくすること
一瞬に永遠の喜びをつめこめば
永遠の命と同じになる
愛、知、意欲、使命、笑い、感動
本当に必要なことは何だろう

The meaning of life

I just want you to be there now, to shine and live. Live well. Survive. The meaning of life is to love the moment. If you fill a moment with eternal joy It would be the same as eternal life. Love, knowledge, desire, mission, laughter, inspiration. What do we really need?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?