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うんざりしたら気が晴れる


私が嫌いなこと

私が嫌だと態度に出すことは何だろう。

色々あるだろうけれども

確実に嫌なことのひとつに

「頼んでもいないのに」

「私のテリトリーに」

「ああした方が良い」

「こうした方が良い」

と語尾が「良い」「しなさい」系で

言われることにはアタマにくることが

多いと思う。

それでも、社会的メリットから

受け流したり、空返事でハイハイ言ったり、

持ち上げたりするのだけれど

確実にその人には心は許さなくなる。


こちら側が敬う場合はともかく、

基本的に自分がその人から

どういう扱いを受けているのか、

分かって悲しいのもあると思う。


その人は、他の人にも平等に

「しなさい」「そうした方が良い」

と言っているのだろうか。

降り積もっていくそんな思いの果てに

最近はうんざりしても良いことにした。

私はうんざりしても良い。

私はうんざりしたことでデメリットを

喰らっても良い。

どうせ、相手も私もやがては死ぬだろう。

若い頃はデメリットを喰らう時間が

長かったので我慢したけれど

私はこの先、悪評がたっても

長くて20年から30年。

そのうち、悪評を好む相手の半数は

死んでいそうなので

もう良いことにする。


勇気が出ない時、

それは評価、が邪魔をする時がある。

評価をする人が邪魔をしているわけではない。

評価を恐れる己が邪魔をしているのだ。


他人の悪評に時間を費やしたい人は

20年、30年費やして死ぬだけだ。

知らんけど、と今風に言えば

気が晴れる。







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