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「お金」とはただの紙切れ

本コラムは、2018年1月に村上が運営するコミュニティの会報誌vol.6にて公開した連載コラムを特別公開するものとなります。

コロナ禍で失業や売上激減など「お金」の問題に直面している皆さまにぜひ読んでいただきたいコラムとなっております。

お金持ちになりたいなぁ。

今これを読んでいる方は、
全員そう思っているはずです。

恥ずかしがる必要なんてありません、
みんな声を大にして叫びましょう、

「お金大好きっ! 」


いやぁ、なんともゲスな響きですね。w

・お金は愛

日本ではお金が好きというと
基本的に嫌な目で見られます。

みんな好きなくせに嘘をついているんです。

何故こんなにもお金に対して
ネガティブな印象を抱くのでしょうか。

個人的には「お金」を理解していないから
ではないかと思っています。

諸説ありますが、

お金=汚い
お金持ち=悪

という感情があるようです。

なのにサマージャンボや年末ジャンボに長蛇の列・・・ 。

「オイッ!」と
はげしくツッコミたくなります。

若者はどうでしょう?

ゆとり世代、さとり世代、
物欲がないと言われています。

これも原因は諸説ありますが、

・生まれた時からモノがあふれていたから
・インターネットの発達により全て「知っている」から

などと言われています。

そのため彼らは、
「モノ」ではなく「コト」を重視すると。

ブランド物のバックを持っているよりも、

「すごい経験をしている私」
「充実している私」

をSNSにアップすることの方に価値があるんです。

「体験しました」
ではなく、
「体験している私」
を見せることが大事なのです。

ある意味ファッションのようなものなので、
ブランドバックが体験写真に
変わっただけなのかもしれません。

なるほど、
時代や地域によって価値観は様々ですし、
常に変容していくものなので、
きっとそうなのでしょう。


それではそもそもお金とはなんでしょう?

お金を増やすにはお金のことを
知らなければなりません。

「彼を知り、己を知れば、百戦危う からず」
by 孫子 です。

お金とは何か、
そうです、

紙切れです。


トイレットペーパーと同じ紙です。

でもただの紙切れではありません。
人類最大の発明である最強の紙切れです。

この紙切れの発明がなければ、
我々はいまだに半裸で
エッホエッホやっていたかもしれません。

まず現代社会では、
一人で生きていくことはできません。

命がけで狩猟に出かけ、
畑を耕し、
水を確保し、
家を建てる。

こうしたことが全て
「一人でできるもんっ」、
という方は無人島でやってください。

無人島に行くまでに、
公共交通手段を使っちゃダメよ、
と言ったらたどり着く前に
死んでしまいそうですが・・・。

なので現実的にはやはり不可能です。

産業革命やIT革命を経て、
日々私たちの生活水準は
飛躍的に上昇しています。

新しい商品やサービスが次々に生まれ、
さらには価値観も変容し、
私たちは常にその時代の
最先端に生きています。

こうした社会では、
必然的に分業のサイクルが生まれます。

多くの人たちが
それぞれ専門の分野に専念した方が、
圧倒的に効率的だからです。

人間それぞれ好き嫌い、
得手不得手、
生まれながらの境遇などさまざまで、
みんなが何かに特化した方が、
生産性が高いのです。

そしてその商品やサービスを受けるには、
なにかしらの対価が必要となります。

これが「価値の交換」です。

お金がない時代は基本的に物々交換です。
想像するだけで非効率的で面倒くさそうです。

お金が嫌いな人は物々交換でも
するつもりなのでしょうか。

はたまた自給自足。
それはそれで楽しいかもしれません 。

そしてこの面倒くささを解決したのが
「お金」です。

「全てのもの・サービスはお金と交換できる」というルールをつくり、
それらに相対的な価値=価格を付けることにしたのです。

そしてこれが重要なのですが、
「お金」というものは物々交換の手間を
スムーズに行うための手段であり、
その実態は物々交換であるということです。

お金そのものには価値はないんです。

もう一度言います。

お金の本質は
物々交換チケットなのです。

ということは、
自分自身が何かしらのサービスを
他者に提供できなければ、
自分自身が何のサービスも受けられない、
ということです。(※我ながら良い表現です)

お金を持っているということは、
お米を持っている、
野菜を持っていると同義であり、

お金を稼げるということは、
家を建てる技術を提供できる、
水をたくわえる技術を提供できることと、
同義であると言えるのです。

言い換えれば、
お金を稼ぐということは、
価値を集める
そして信頼や感謝を集めるとも言えます。

ですので、我々が生きている資本主義経済は、
信頼や感謝からくる価値の交換により成り立っているのです。

いやぁ、
お金って素晴らしいですね。

お金持ちは良い人です。
お金を稼げる人は世の中に貢献している人です。

逆に、
他者の役に立たない人、
自己満足のみで生きている人などは、
物々交換をするものがないので、
お金が入りません。

誰も欲しくないものを作ったり、
作る量が少なすぎて等価交換にならなかったりします。

そして究極はみんなが作ったものを
与えられるだけの存在になります。

極論(暴言)を言うと、

「お金なんかいらない」
 「自分らしく生きたい」 
「モノではなくコトが重要」 

などとキラキラした目で言って、
最初からお金を稼ぐ気がない人たちは、
世の中に貢献する気のない個人主義者です。

お金がない時代で考えると、
自分の食べる分だけ狩りをし、
ちょこっとだけ耕しているようなもので、

働けない人、弱い人を無視している
極めて自己中心的な人です。

そんな人たちに限って
「アフリカの子供たちがー」 「環境がー」 
などと言っています。

「募金をお願いしますぅ」などと
楽しそうにキャッキャしている時間があるなら、

「寝る間も惜しんで働いて
全額寄付してから言えよ」 
などと言いたい気持ちはやまやまですが、
紳士な私はぐっと堪えます。

特にサラリーマンなど、
直接お金のやり取りをしない生活をしていると
気づきにくいものですが、

お金の価値を裏付けているものは、
信頼や感謝という気持ちで成り立っているんです。

お金がある人=信頼される人、感謝される人
お金がない人=信頼されてない人、感謝されてない人

と言い換えることができてしまいます。

どんな些細なお金のやり取りにも、
全て重要な意味があるんです。

私たちがお金を払うときは、主に

①物を買う
②サービスを受ける

この 2 点ですが、
全て必要だから買っていますよね。

自分では作れないし、
できたとしても面倒。

なので代わりにその道の
プロフェッショナルからサービスを買います。

そしてそれは大変ありがたいです。

私が今執筆しているPCを
自分で作れって言われたら、絶対無理です。
100 年かけても作れる自信がありません。

私は今コーヒーを飲んでいるのですが、
カップを作り
コーヒー豆を作り
うんぬん・・・・
これも壮絶に大変です。

ありがたくないものには
誰もお金を払いません。


なのでお金を払うときは
みんな感謝してお金を払っているんです。

もちろんお金を受け取る側も
感謝していますが、
そこは対等な関係のはずですので、

日本人の「お客様は神様」的な発想は、
少し違うと思います。

お金や稼ぐ能力を持っていなくとも、
多くの信頼を得る人や、
人々から感謝されるような人もいます。

そういった方は、
近しい人や、それを見出した人達の協力を得て
生きていくこともできます。

これも立派な価値の交換だからです。

そのため、
「お金は信頼や感謝の交換」、
そして本質は「物々交換チケット」である、
ということを忘れ、

単純化された数値を増やすことが
人生の目的となってしまうと、
足元をすくわれてしまいます。

お金の大切さを忘れ、
数値のみの物と思っている人達は見るに堪えません。

お金の稼ぎ方、
使い方が下品
なんです。

また、こういった事象があるからこそ、
お金に対するネガティブな印象が持たされてしまうのでしょう。

逆に、

「お金なんていらない」 
「愛さえあれば良い」 
「自分の世界が全てなの」 

などとほざいている私のような潔白な人間は、
世の中に貢献する気のない個人主義者なのかもしれません。

お金は信頼と感謝で成り立っているんです。

ネガティブなものではないんです。

そうです、
お金は愛でできているんです。

なので、恥ずかしがらずに
お金を愛しましょう。

I LOVE MONEY!!
I WANT MONEY!!!

来週に続く…

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