SNSから離れて深まる自分自身

2019年もそろそろ終わり。去年はどんな記事書いてたんだろうと思って見たら、やっぱり2018年の振り返りを書いていたので今年もそんな記事にしてみます(去年の記事→明らかに酷くなる社会とポジティブな心)。そういえば今年は年始に引いたおみくじの影響で、「感想や意見は積極的に伝えていこう」というプチ目標を立てていたんでした。あらゆる公演等に行った際のアンケートは紙を持ち帰り必ず書きましたし、雑誌の感想を投稿して掲載されたりもしました。これはやっていて気持ちが良かったので、今年に限らず、これからも継続していこうと思っています。

2019年は人生で一番読書量が多かった1年でもありました。興味の対象が広く、あれもこれもと収拾がつかないのが、楽しみでもありちょっとした悩みの種でもあったのですが、これはもう直るものではないので開き直ってそのままにしています(笑)。読んでいる本のジャンルを調べて数えてみると、noteで書いているような社会派の本が圧倒的に多く、”人文・社会系に関心が高い自分”を改めて認識しました。今年こそアウトプットに力を入れられるかな?と思ったのですが、まだインプット時期のようなので、これからも心の赴くままに本を読んだり講演に行ったり、知的好奇心を満たす活動をしていこうと思います。

もともとお芝居やミュージカル、音楽ライブなどの公演が好きでよく観に行っていましたが、去年あたりからはクラシックのコンサートや美術展などにもよく行くようになり、”音楽や芸術が好きな自分”、というのを再発見した年でもありました。「美しいって何なんだろう?」ということをよく考えたりもしていました(美学というんでしょうか)。世の中で巻き起こる出来事にげんなりして怒りが沸いたり、機嫌を損ねたりしてしまうこともあるのですが、美しいものを観ると心も魂も回復するというか、「このために生きているなぁ…」としみじみ感じることもあります。玉石混淆の世の中で本当に美しいものを探すのは至難の業ではありますが、だからこそたまに触れ合えた時の喜びは格別で、特別な体験になるんですよね。

とまぁ色々書いてきたんですけれども、端的に言えば、「自分というものがより深まったなぁ」というのが一番の感想かもしれません。上に書いたことはこれまでもわかっていたことです。大学は文学部の人文専修というところを出てますし、中学高校も音楽系の部活に入ってましたからね。それでも大人になって社会の雑音に揉まれて生きていくと、本当に好きなことや興味のあるものがぼやけてしまったり、わからなくなってしまったりするものです。「私こういうの好きだったわぁ」と改めて感じ、ぼやけていた自分自身の輪郭がくっきりしていくような感じがしています。

毎年少しずつ自分というものを掘り下げられているように感じる一つの要因として、SNSをあまり見なくなったことがあるかなと思ってます。数年前から定期的に見るのをやめていて、今でも全く見ていないわけではありませんが、気持ちの面で振り回される度合いは減ったように思います。SNSを見るとどうしても他人を意識してしまったり、他人と自分を比べて落ち込んだりしてしまうものだと思います。SNSが自分自身を見えにくくさせているのは確かだと感じていて、あれは「他人から見られる自分」ばかりに意識を向けさせる装置なのかなとも思います。いいねや反応をもらえる自分を理想とすることで、ありのままの自分(相変わらず陳腐です)から乖離していくような感覚があるんですよね。アウトプットや発信も大事だとは思いますが、雑音をシャットアウトし、一度自分自身を掘り下げて、インプット漬けになる時間があってもいいのかなと、ここ数年の経験を機に感じました。

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