「光」で集めたお金が「闇」の資金源に…

なんだか最近(に始まったことではないですが)、やたら「推し」「推し活」という言葉をよく聴くようになりました。2次元、3次元問わず、好きなタレントやキャラなどのこと、それを応援することを指す言葉ですが、ずいぶん一般化してきたように思います。過去に苦しい家計と過剰な娯楽依存の謎という記事にも書きましたが、人々の家計は苦しくなっているはずなのに、それに反比例するかのように「推し活」にかける時間やお金というのはとても増えているのではないかなと感じることが多いです。

人はやはりキラキラしたものに吸い寄せられるものですね。現実が厳しいからこそキラキラを求めるし、その世界に浸りたい、逃避したいと思いがちになるのだと思います。推しに夢中になっている間は嫌なことを忘れられる…没頭できる…私もそうだったのでよくわかります。大人になって色々と気づいた私は冷めた(醒めた)視点を獲得してしまって、あまり盲目的に楽しんだりすることはできなくなりました。否定もドハマりもしない…という感じですね。ほどほどに楽しんでいます。

「陰と陽」「光と闇」とかよく言いますけど、過度にイメージの良いものやキラキラしているように見えるものというのは、何であれ闇が深いですね。アイドルやタレントに性接待などはつきものですし、そもそも事務所自体がそっち系ですからね。(売れていない)所属タレントからレッスン料をとって儲けていたりもします。ディズニーにも児童誘拐などの黒い噂が付きまとっていますね。子どもをターゲットにしている団体・施設はどこも黒そうです。キラキラというのは、「良さそうな大義名分を掲げる人や団体」というものも含まれます。これも過去に善なる顔して近づく悪魔に気をつけろという記事を書いたことがありますが、国際的・大規模慈善団体などは本当に怪しいと思っています。

光り輝くネオン街のギャンブル、水商売系なんかも言うまでもないですね。人々を搾取して稼ぐお金持ちが女性に入れ込んで大金を投じる例とかいくらでもあります(港区女子…)。貧乏人が一攫千金を求めて並んだくじはマネーロンダリングの温床だったりしますし。救いを求めて宗教に投じてもそこは闇。賽銭箱のお金は神社本庁(右翼)へ?!病んで病院に行こうものなら薬漬け。悪しき製薬業界が儲かると…。その辺りは精神薬なしでは働けない社会に問題があるという記事にも書きました。

お金をどう使うかはその人の自由なので、何にどう使ってもいいと思います。ただ、気づいた人々が「買い物は投票だ」というような標語(?)を提唱しているのを目にすることがありますが、これは本当にその通りだと思っていて、自分のところに回ってきたお金をどう使うかというのは非常に重要だと感じます。支配層というのは、ストレスを抱えて荒んだ人々にちょっとした夢やキラキラを与えて寄ってこさせて、その下で大きなボウルを抱えて待ちかまえているものだな~と思います。「光」で集めたお金は「闇」の資金源になりがちなんですよね。人々が苦しくなるほど、現実逃避的なストレス発散サービス、コンテンツに意識が向きがちになりますし、それを見越してやってるんですね。「じゃあ何にお金を使ったらいいの?」と考えるのは良いことですし、それが各自の知恵の見せ所なのではないでしょうか。何度も言いますが、当記事で挙げたようなものを否定するつもりはありません。ただ、こういう構造になっているということを書いておきたかったので記事にしてみました。

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