ポジティブ!の前に、ネガティブを解放して…

「ポジティブに生きよう、前向きに考えよう」といったメッセージは世に溢れていて、今も昔も耳タコではあるのですが、無理やりポジティブに前向きに生きるのは無理がある、というのも同じようによく言われていることではあります。ネガティブになってしまうのにはそれなりに理由があり、何よりまずはその部分を見つめて対処することが大事なのかなぁと思ったりしています。

心の闇とかネガティブさの最たるもの、根源にあるものは何かというと、激しい自己否定的な想念、つまりは「死にたい」「死んだほうがまし」「生まれなければよかった」「自分には生きる価値がない」というようなものです。普段からそんなことを顕在意識レベルで考えている人はうつ病と言われたりするのでしょうが、どんな人でも多かれ少なかれこういった想念を潜在意識といった深いレベルでは持っているのではないかと思っています。自分に対してではなくとも、他人に対してそう思うことがあればそれも同じというか、上記の主語を「あんな奴」などに変えてみてそう思うことがあるのであれば、やはり同じようにネガティブを抱えていると言うことができます。

自責的に自分に対して内向してしまう人もいれば、他人に対して攻撃的になる人もいるとは思いますが、誰もが多かれ少なかれこうしたネガティブを抱えていることと思います。こういった想念が顕在意識には上がってこなくとも、それが病気という形で現れたり、人間関係に支障をきたしたり、社会的には犯罪という形で現れたりして、人々に気づかせるように存在感をアピールしてきます。人間関係で発散する人は厄介で、その人自身のネガティブが強いほど、他人に対して支配・抑圧的になり、ハラスメントをしがちになります。

よく、「自己肯定感を高めよう」とか「自分に自信を」と言ったりしますが、何かをすることで自信を~、というよりも、やはりこういったネガティブな想念・感情を見つめて、解放していくことが何よりも先決で、根本的な解決になると考えています。自分の内側を見つめたり癒しに取り組んだりしている人にとっては常識かもしれませんが、それにしても自分の内側の闇やネガティブを見つめるのはとても恐ろしいことで、多くの人が本気で取り組んでいないように見えます。自分の性格の悪さ、根性の悪さ、意地悪さとその奥にある自己否定的な想念には気づきたくないし、そこを見てしまうと自分が崩壊するような気持ちになるのはとても理解できます。

そうやって自分の内面を見つめることなく、何か嫌なことがあれば酒、ギャンブル、愚痴などで発散したり、ストレス発散のためのレジャーや買い物に終始したり、エンタメで気を紛らわせたりすることばかりでは何も変わりません。たまにそういった気晴らしがあっても良いと思いますが、それらが中毒・依存的になると危険です。そうは言っても、最初から気付ける人はそこまでのめりこまないわけで、のめりこんでいる人に対して「内側に目を向けなよ」などと言っても意味がないこともよくわかっています。

自己否定的な想念というのは相当根深いもので、私も体調不良になるたびに感情が溢れて泣き出して、何かが解放されて少し癒される…ということを何年も何年も繰り返していますが、少し解放されたと思ったらまた次の闇が出て来て、これはなかなか手ごわいなぁと痛感しています。「私もこんなことしないで普通に(って何だよと思いつつ)生きられたらよかったのに(泣)」とか何百回も思いましたが(笑)、それでも内側の闇を見つめて解放していくことは人生をかけて取り組む価値のあることだとわかっていますし、魂レベルでそういう人生を生きようと思って生まれてきたのではないかなと今では思っています。このことは、誰しもが一度は思う「なんでこの世に人間として生まれてきたんだろう?」という問いに対しても無関係ではなく、その人の人生観に根本的に関わってくるはずです。こうして否定的な想念を解放していった先には、自然な形でのポジティブで前向きな生き方が待っているのではないかなと思いながら、日々の癒しに取り組んでいます。

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