ミスカムシル全図

ティルドラス公は本日も多忙② 新伯爵は前途多難(16)

第四章 バグハート子国(その1)

 ティルムレチスの険で中央から切り離された形のエル=ムルグ山地の奥。しかし、その全てがハッシバル伯国の領土というわけではない。一方を海、残る三方を山脈に囲まれた平野部の一番奥にはケーソン伯国、そしてハッシバル家とケーソン家の間にはさまれた形で、北西にはカイガー子国、海岸に沿った南東部にはバグハート子国がそれぞれ分立し、ハッシバル家と合わせて俗に「エル=ムルグ四国」と称されていた。
 そのバグハート家の当主、メイル=バグハートはこの年三十六歳。ハッシバル家の一武将から独立して一国を立てた父のニルセイル=バグハートの跡を継いで七年になる。
 父のニルセイルはなかなかの策士で、政治的には完全な独立を果たしつつ一方では旧主であるフィドル伯爵の機嫌もうまく取り、ハッシバル家とは比較的良好な関係を保ちながら安定した勢力を作りあげることに成功した。「(湾の)奥の港」を意味する国都マクドゥマルは天然の良港で、交易や漁業による収入もなかなかのものであり、国は小さいながらも国力は充実している……。少なくとも、国主であるメイル自身はそう信じて疑わない。
 メイルには野望がある。
 自分ほどの人物が山と海に挟まれた僻地の一君主として終わるのは本意ではない。いつの日か、エル=ムルグ山地一帯を平定し、さらにティルムレチスから討って出て天下に覇をとなえたいものだ。そう、かつてのキッツ伯爵のように……。
 そのメイルの家臣の一人に、諫大夫(かんたいふ)――主君に対する献策や諫言を行う官職にある、ペジュン=アンティルという人物がいた。
 後に史家ソン=シルバスが『ミスカムシル史大鑑』の中で「彼なかりせば今日の天下はあらざりき」と最大級の賛辞を贈った彼も、この時はまだ、齢(よわい)四十を過ぎながら辺境の小国でくすぶっている、一介の無名の官吏に過ぎなかった。
 以下、少し長くなるが『ミスカムシル史大鑑』に収録されたアンティルの伝記を引用する。
 「ペジュン=アンティルはキナイの生まれである。父・ヨルジュ=アンティルはフォンニタイの生まれ。はじめ学問・掌故(しょうこ。故事や儀礼の教授・指南)をもってアシュガル家に仕えた。のちに戦で開祖(キッツ伯爵)の軍に捕われ、奴僕とされたが、文章に長けていたため奴僕ながら軍中の文書管理の役目を与えられていた。母・サキエはムロームの人、十九でヨルジュに嫁いだが、嫁いで半年と経たぬ間に夫のヨルジュは戦で行方知れずとなった。両親・親戚はヨルジュが死んだものと信じ、こぞってサキエに再婚を勧めたにもかかわらず、サキエはそれを拒み、ヨルジュの母に仕えて四年の間夫の帰りを待ち続けた。詳細は『婦徳列伝』に記す。のちに尚書令トリドゥン=イシュルティがヨルジュの文章を読んでその才を見出し、奴僕の間から引き立ててニルセイル=バグハートの書記官とした。ヨルジュは自由の身となると直ちにムロームに使いを送って老母と妻を呼び寄せたが、四年の間夫を待ち続け、ついに再会を果たしたサキエの貞節を誉めぬ者はなかった。」「間もなく開祖が薨(こう)じるに及び、ニルセイルはエル=ムルグ山地に入って自立し、一家は彼にしたがってマクドゥマルに居を移す。しかしヨルジュはその後もイシュルティの恩を忘れず、シュムナップの戦いが起こるに及んでは職を辞してイシュルティのもとに馳せ参じ、彼が敗れるにあたって最後まで付き従い、乱戦の中で死んだ。」「ペジュンは長じてバグハート家に仕官し、諫大夫に任ぜられた。身の丈わずか五尺一寸(153センチ)。漆黒の肌色に、髪は若くして白髪が交じり、容貌は穏やかながら風采は上がらず、ただその目にのみ、深い英知の色がうかがえたという。力は鶏を絞めることさえできぬと言われ、常に物静かで諍(いさか)いを避け、内に大志を秘めながらも外は柔和で、およそ私事私情をもって他人と争うことがなかった。」
 博覧強記にして学識豊か。発明家であり、内科医、病理学者、薬学者であり、優れた教育者であり、巧みな文章家であり、そのほか税制、貨幣制度、法律、物流機構、科学技術などあらゆる分野について並々ならぬ見識を持っている。しかし主君のメイルとはどうもそりが合わず、ただ、諫大夫という実権のない御意見番の地位を与えられたまま、取り上げられる当てもない献策を、それでも倦(う)まず弛(たゆ)まずに続ける日々を過ごしていた。
 諌大夫は閑職である。俸禄も決して多くはなく、役得もない。さらに、清廉なアンティルは実力者におもねって甘い汁を吸おうとすることもない。生活ぶりは極めて質素であった。その質素な暮らしの中、彼はさらに、戦乱で身寄りを失った孤児たちを七、八人ほど引き取って育てていたのである。俸禄だけでは生活が苦しいため、仕事の合間に医者として病人を診たり、自宅を私塾として近所の子供たちに学問を教えたりもしている。
 この時までに二度妻をめとり、二度とも破局を迎えている。最初の結婚は中級官吏としてバグハート家に仕官してから間もなくのことで、相手は子爵家出入りの商人の娘だった。およそ自己主張のないおとなしい女性で、二年少々続いた結婚生活も比較的平穏だったらしいが、やがて妻の両親が、才能を高く評価されながらも一向に出世せず、自分たちの商売にも職権での便宜を図ってくれないアンティルに業を煮やして娘を実家に連れ帰り、当時、子爵家の世嗣であったメイルの信任厚い武官としてめざましい出世をしていた現在の子国筆頭将軍・イグゾエ=イスバルの第二夫人として再婚させてしまったのである。妻の方でも、両親の命令に「お父さまお母さまの仰せなら」と大した抵抗もしなかったというから、特にアンティルを愛してもいなかったらしい。
 二度目の結婚はそれから五年ほど経ってからのこと。当時の子爵・ニルセイルに招聘されて彼の顧問のような地位にあったさる高名な学者が、アンティルの才能に惚れ込み、自分の娘を彼に娶せたのである。
 この結婚は半年しか続かなかった。結婚後いくらも経たぬうちに花嫁の父である学者が急逝、その葬儀が終わるや否や、妻は彼に離縁を求めたのである。「あなたに嫁いだのはお父様の望みによるものでした。そして、お父様が亡くなられた今となっては、私自身が望むように生きたいと存じます。」彼女はそう言ったという。
 「私に不満かね。」アンティルは答えた。「どこが不満なのか教えて欲しい。直せるものであれば、直すよう努力しよう。」
 妻は冷たくあざ笑うような表情を浮かべる。「直せるものでもございませんし、また、別に直していただきたいとも思いません。どこが不満なのかと仰るのなら――そう、鏡の中のご自分の姿を見ていただければ、たちどころにお分かりになるかと思いますわ。」
 「なるほど。確かに、直せるものではないな。」彼女の言葉にアンティルは静かにうなずく。「それが理由とあれば仕方がない。残念だが別れるしかないようだ。」
 こうして二度目の結婚生活も終わる。なぜ、そうも簡単に離縁を認めたのか訝(いぶか)る周囲に、アンティルは言ったという。「彼女は私に鏡が映すものを求めていた。私は彼女に鏡が映せぬものを求めていた。お互いに求めるものが異なっていたのだ。こうなったのも仕方がないことだろう。」
 この言葉も結局周囲からは、妻に逃げられた男の単なる負け惜しみ、という目でしか見られず、おおかたの嘲笑を買っただけだった。「これより子爵家の家中には彼を侮る者が多く、世人の多くもまた、それに追従して彼を軽んじた」……。『ミスカムシル史大鑑』はそう伝えている。
 自分の人生は行き止まりなのかもしれない……。アンティル自身そう思うこともある。それでも彼は、あくまでも温厚で謙虚な態度を崩さないまま、心の中で静かに国家経綸の方策を練り続けるのだった。

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