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もちとあんこだまと

そういえば、この冬は餅つきをしていない。夫が「妻の父の喪中ですので」と周囲に逃げを打ったのだ。

結婚してから毎年、餅つきをするのが年中行事だった。子供たちが小さい頃は、夫の兄弟も参加していたがそれもなくなり、ここ三十年近く夫と二人で親戚や兄弟に配るため、十臼以上の餅をついていた。

寒い霙降る中夫が杵をふるい、私がその合い取りをしていた。子供たちが餅を伸すのを手伝ってくれたけれど、寒さで体調を崩し大晦日に救急外来のお世話になったことがある。

それからも餅つき機を購入し、夫の実家の年中行事として続けられた。

昨年末三男と帰省の打ち合わせをしていたところ「雑煮たのしみ、うちの餅は違うから」と言うので餅つきをしないことを伝えると「楽しかったのに」と。

そうなのだ子供にとって餅つきは、楽しい年中行事だったのだ。

私が小さい頃、母の実家で餅つきをしたものだ。ばあちゃんの作った漉し餡は本当に美味しかった。きれいに丸められた餡子玉が規則正しく並べられていた、それを端からつまむのだった。

ばあちゃんの餡子玉は甘すぎず、上品な味で何個でも食べることが出来た。私が大好きなことを知っていたので、ばあちゃんが多めに作ってくれていたのだ。叱られることもなく、満足するだけ食べたものだ。

父や叔父が餅を搗き、最初の餅は鏡餅用に丸められたのだ。

それから草餅や豆餅等順々に搗いていった。搗きたての大福を頬張りながら、なんて楽しいのだろうと幸福だった。

餅つきは子供にとって、楽しい行事だった。

今年の暮れは餅つき機を出して餅を搗こう、私たち家族が食べる分だけ搗くのだ。

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