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オンライン早稲田祭2日間で35万人動員のストーリー

胴上げは1回2回3回……を超えて、何度も何度も続いた。

早稲田祭2020運営スタッフ代表のひなた(福島陽)を、
ライターの霜田明寛さんにインタビューしてもらっている。
初めてのオンラインでの早稲田祭、
35万人集めた早稲田祭の記録を誰も残してない……。
ということなので、記録をしよう、ということになった。

早稲田祭2020は、けっしてスムーズに運んだわけではなく、
大学との交渉(大学は中止にして欲しい……)
OGOBからの寄付金集め(企業からの協賛金はゼロになった……)
チームビルド(「早稲田祭運営スタッフ」は600人の巨大サークル)
新歓とトレーニング(新入生の募集はオンラインで一度も会ってない)
秘密保持(ギリギリまでフルオンライン開催は幹部のみの秘密事項)
入校システム(校内に入るときの検温、追跡システムを独自でつくった)
モバイルwifiの大量調達(開催日直前に有線LANが使えなくなった)
公式サイトの突貫工事(当日朝、制作委託した業者が納品せず)
150チャンネルのマネージメント(参加団体ごとにチャンネルをつくった)

3月末に大学がオンライン授業化を宣言するが、
その時点では夏過ぎにはコロナも終わってるだろう、
という希望的な予想をしていた。
まさか早稲田祭の11月まで続くとは、思ってもいなかった。
リアル開催か、オンライン開催か、世の中の状況も責任者の判断も揺れていた。

オンラインでしか許可しないと大学が方針を決めたのは7月。
開催まで4ヶ月、時間はない。
しかも、オンラインの早稲田祭なんて誰もやったことがない。
有名な音楽フェスでさえ、オンライン開催のノウハウを持っていなかった。

ひなたはスタッフ600人が集まったzoomのミーティングで、
「(早稲田祭を)やるかやらないかの迷いはない。
(早稲田祭を)やらない選択肢はない。
運スタは、早稲田祭を開催するためのサークルだから」
と宣言し、総員を配置につけ、開催準備をスタートさせた。

で、上記のような荒波を乗り越え、
やっと開催当日を迎えるが、
その開催当日に、公式サイトができあがってなかった。
公式サイトのことは幹部十数人のみで対応し、
ほか500人以上のスタッフも150の参加団体も、
まさかメインのサイトが仮設サイトだとは気が付かないまま、
早稲田祭を2日間進行させ、エンディングを迎えた。

エンディングフェスティバルは、戸山キャンパスのアリーナで(文キャンの体育館です、元の)。
ひなたが早稲田キャンパスからアリーナに到着したとき、
ステージでは、ダンス系サークルが集まってフィナーレのダンスを踊っていた。
ステージのダンスを見ながら、涙が止まらなくなって、
最後の最後の代表スピーチの文言が吹っ飛んだ。
「ま、いいや。なんとかなるっしょ」
と、ひなたは吹っ切った。

ステージに上がった。カメラが向けられる。
観客席のはずだったアリーナコートには、
運スタのスタッフやほかのサークルふくめて30人ほど。
がら〜んとしたアリーナだった。

通常なら、大隈講堂前に設置されたステージに立ち、
大隈講堂から正門、大隈銅像までの黒山の人だかり。
そこでスピーチするのが夢で、そのために1年生のときから頑張ってきた。

実際、代表になって早稲田祭を実行して、
最後の最後で自分の前には、30人。

ひなたは、
「こっちのほうが景色いいじゃん」
と思った。

目に見えるか見えないか。
自分の目の前には30人しか見えてないだけで、
見えてないところでたくさんの人たちが早稲田祭を見ててくれた。
早稲田祭を楽しみにしてくれていた早稲田生、
早稲田祭を楽しみにしてくれていた卒業生、
早稲田祭を楽しみにしてくれていた近所の人たち、
早稲田祭を楽しみにしてくれていた一般の人たち、
のために自分たちは早稲田祭をやっていたと思っていたのに、
その人たちに支えられて早稲田祭が成功して、
いま新しくここからなにかがスタートする。

という思いを込めて、エンディングのスピーチをした。

スピーチが終わると、肩を組んで「紺碧の空」を歌い、
恒例の、代表の胴上げ。

胴上げは1回2回3回……を超えて、何度も何度も続いた。
胴上げを終わらせるために、スタッフはステージの幕を下ろした。

早稲田祭史上初めての降幕エンディングだった。

【このインタビューは、大隈塾のプロジェクト「大隈POD」でpodcast配信します】