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3-1:人生はモトあつめの連続だ(人生はなぜ辛いのか?と思った時に読む『モト』の話)

3-1【人生はモトあつめの連続だ】

モトあつめをはじめよう

 ではここからは、これまで説明してきた「モト」と「ココロ」「アタマ」の働きをベースに、日常の生活や人間関係で起こっているモトの動きとココロのありよう、そしてそこから考えられる「辛い人生を何とかする方法」を、もっと具体的に考えていきたいと思います。

 何度も書いていますが、人生が辛いのは、幸せを感じる機会が少ないからです。幸せを感じる機会が少ないと、幸せを感じようとする「習慣」ができず、より人生が辛くなります。悪循環ですね。

 今「人生は辛いものだ」と思っているあなたが、今後幸せを感じながら生きられるようになるのには、ちょっとした工夫と練習がいります。モトの動きを「アタマ」で把握できるようになることが、大いにその手助けになるはずです。


気分と「モトあつめ」には密接な関係がある

 前章で明らかにした通り、僕たちは常日頃、起きている時間のほとんどを「モトあつめ」に費やしています。具体的には、気分をできるだけ「幸せ」に近づけようと行動します。

 例えばおなかがすいているときにご飯を食べるのも、ある意味「モトあつめ」です。おなかがすいている、という「不快感」を、食事をすることでより「不快でない」、言い換えると好き嫌いゲージの「好き」寄りにしようとする行動が食事です。
 おなかがすいているときに食事をとると、三つのパーツのひとつである「カラダ」が満たされます。そのことを検知した「ココロ」もまた、食事からモトを得て、ちょっとモトの量を増やします。好き嫌いゲージが少しだけ上がるので、食事をすると少し気分が安らぎます。
 腹が減っては戦ができぬ、といいますが、気力がたっぷりいるような時は、食事をとると「気力も湧く」んですね。これは至極「具体的な現象」なんです。モトの量が関係しているからです。


赤ちゃんのモトあつめ

 日常的なモトあつめの事例を、もっと見てみましょうか。とても分かりやすいのは、赤ちゃんです。

 赤ちゃんは、アタマが未発達です。それに人間関係の経験もほとんどありません。ですから、ところ構わず泣くし、大きな声を出すし、排泄や食事の要求も時間帯や場所を選びません。

 ある程度アタマが発達してくると、場所をわきまえる、雰囲気を感じとる、常識を知って控える、などといった「大人」の行動がとれるようになってきますけど、小学校低学年くらいまではまだまだ赤ちゃんのような「恥知らず」な行動をとることがよくありますよね。

 赤ちゃんが泣いたり、チビッ子が大きな声を出したり駄々をこねたりするのは、大人の注意を引くためです。大人の注意を引くと、もしかしたら世話をしてもらえるかもしれないからですよね。

 ほら、対象に注意を向けるとどうなるんでしたっけ? そう、モトが移動するんでしたよね。もちろん、赤ちゃんに注意を向けるときにも、大人から赤ちゃんに向かってモトが流れていきます。

 赤ちゃんをあやすとおとなしくなるのは、赤ちゃんが大人の気配を感じて安心するからですが、安心するのは「好き嫌いゲージが上がる」からで、つまり「ココロのモトの量が増えているから」なんです。

 大人が赤ちゃんに「注目」すると、好むと好まざるとに関わらず、モトが赤ちゃんに向かって流れていきます。この時、赤ちゃんに何らかの愛着があれば、赤ちゃんの世話をすることで大人のモトも「自発的に増えていく」ので、世話をする大人のモトも減らずに済みます。

 ですが、その赤ちゃんに何の愛着もない場合は、ただ一方的にモトが吸われてしまいます。好むと好まざるとに関わらず、泣き声を聞いてしまっただけで、自分のココロのモトが減ってしまうんです。

 「赤ちゃんの泣き声が特に苦手だ」という人もよくいますが、それはこういう「モトの動き」に由来するものなのかもしれませんね。聞いただけで、注意がそちらに向き、モトが自動的に減っていくんですから。


鳩のエサやりも「モトあつめ」だ

 赤ちゃんの例を見てもわかるように、僕たちは知っていようといまいと、日常的に無意識に「モトあつめ」をしようと思いながら暮らしています。
 もちろん、大人になってもこういった「無意識のモトあつめ」を、僕たちは起きて活動している間ずっと続けています。

 極端な例を出すと・・・第二章でもふれましたが、公園の鳩や野良猫に餌をやると、モトが増えます。自分に注目している鳩や野良猫からモトが飛んでくるからです。モトは注目している対象に移動するんでしたね。だからエサをあげるといい気分になるんです。

 他にも、動物園や小動物ふれあいコーナーなんかでのエサやり体験が人気なのも、こうやって餌付けをすると「動物からモトがもらえる」からなんです。動物たちは人間より「食べること」への執着が強いですからね、食べ物を与えてくれる存在ヘは、全力で注目=モトを飛ばします。

 例えばこんなときに「おあずけ」を食らってしまうと、動物は余計にモトを減らしながら人間に注目しようとします。人間側としては、ココロにモトがどんどん送り込まれていくので、イジワルしても楽しい気持ちになりますが、動物はどんどんイライラしていきます。
 イジワルの度が過ぎると、動物は怒りだしますよね? それはモトの減りが多過ぎるからで、「これ以上モトを減らしたくない」とココロが判断した時、ココロは「怒り」という感情を発生させます。怒りを示すことで、逆に人間側からモトを奪い返して、かつ自分の食欲を満足させるために食べ物も奪おうと考えるわけです。
 ほら、怒りというものは「防衛反応」なんでしたね。相手が怒っている時、必ず何か「守っているもの」が存在するんです。この場合はもちろん、ココロのモトの量であり、食べ物をもらえるかもという期待感です。


日常生活は「モトあつめの応酬」の連続だ

 人間社会はとても複雑で、人間関係もまたとても複雑なものですが、ベースになっているのはこういった単純な

「モトあつめ」の応酬

なんです。
 いかにモトを増やすか・・・僕らは完全に無意識に、こういった「モトあつめ」を毎分毎秒、一人で部屋にいる時ですら、行っているんです。

(続く)

「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)