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おわりに(1/2)(『人生はなぜ辛いのか?と思ったときに読む『モト』の話』)

おわりに(前半)

「僕の話を信じないこと」

 僕の考えた「与太話」にここまでお付き合いくださり、どうもありがとうございました。そうです、ここまで本一冊分の文章がありましたが、これらは全部、僕がアタマでこねくり回したにすぎない
「与太話」
です。根拠なんて何にもありませんし(もちろん、たくさんの本やネット情報、今までの伝聞を参考にしてはいます)、確固たる証拠もありません。だから「はじめに」でもお伝えした通り、

「僕の話を信じないこと」

というスタンスだけは、絶対に守ってください。

 人間の脳みそは、たかだか2キロ弱ぐらいしかないそうです。僕は体重が95キロほどありますので(2020年2月現在)、約2パーセントくらいの重量しかないことになります。そんなちっぽけな器官で考え出したことなんて、たかが知れています。
 もちろん、個人的には「これこそが正しい!」と思うことを文章にしているつもりなのですが、その「正しさ」も、様々な情報や経験に触れるにつれ、次第に変化しアップデートされていくもので、今現在の「時刻」に僕が「正しい」と信じていることが、今後もそのまま「正しい」という信念たり得るか、今の僕には分かりません。

 自分自身ですらこうなので、ぜひ僕でないみなさんには、さきほどのスタンスを絶対に持っていただきたいと思っています。

 一番いけないのは、

妄信してしまう事

です。
 たしかに、モトの話はとても魅力的で、一見素晴らしい真実に見えます。ですが、何事もそうだと思うのですけど、他の人が言ったこと、書いたこと、やったことはあくまで「情報」です。僕たちは自分が幸せになるために、それらから自分に必要な物だけを取捨選択すればいいだけなので、全部をまるまる「信じ込んでしまう」のはとても危険だと思っています。必ず、ご自分の経験や知識と照らし合わせて、一見「正しそうに見える」ことについても、ご自身で「アタマで」検証してみてください。必ず、です。


『モト』というアイデア

 では最後に、この「モト」という発想はどこから来たのか、どういう経緯で今回「書籍」としてまとめることにしたのかを書いてこの本を終わりにしたいと思います。

 僕は中学生くらいの頃に初めて「自分もいつか死ぬ」という恐怖を感じました。友人に当時よく読まれていた『ノストラダムスの大予言』の本を借りて読んだ時です。1999年に人類が滅亡するかも、と書かれたその本を読んで、僕は「ああ、24で死ぬんだ!」と驚愕した後に、震えるほどの恐怖を覚えました。アホですね(笑)。

 もともと、容姿に恵まれず、性格がねじ曲がっていたイヤな子供だった僕は、人生とはままならないことの連続体だと子供ながらに思っていました。ですから、24歳で死なねばならない、という妄想に憑りつかれると、そこから先はもう
「なぜこんな辛いことばかり起こり続けるのか?」
「どうして幸せに生きる方法が一つもないまま死ななければならないのか?」
「どうしてこんな「人生」なんてもんが「ある」のか?」
という疑念ばかりを抱えて生きてきました。

 大学生になって、初めて「スピリチュアル」という概念に出会います。それからいくつか本を読んで、この世界には「仕組み」があるのだ、という感覚を少しずつ積み上げていくようになります。
 その頃からでしょうか、スピリチュアルな世界でよく「目に見えない不思議なエネルギー」「心や精神の持っている力」「神の光」などと呼ばれるスピリチュアルな考えと「現実世界」のかい離を埋める方法を考え始めたのは・・・。

 スピリチュアルや宗教で「この世界はまやかしだ」とか「私達は幻を見ているに過ぎない」とかいうこともよく言われるのですが、そういったことは現実を生きている自分にはなんかピンとこないな、という「違和感」のようなものを僕はずっと抱いていて、それらをなんとか「解決したい」と考えを突き詰めていくうちに、最後にたどり着いた答えに当たるものが「モト」でした。

(続く)

「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)