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4-1:『恋愛』とモトの動き(人生はなぜ辛いのか?と思った時に読む『モト』の話)

第四章(章題未定)

4-1【『恋愛』とモトの動き】

みんなだいすき『恋愛』の話

 ここからは、モトの考え方を利用した「人生を豊かにする方法」を考えていきたいと思います。

 それにあたり、まずはみんなが一番大好きな「恋愛」とモトについて書いていきます。興味ありますよね?(笑)


モトが示す「恋愛」のすべて

 恋愛・・・それは人類の永遠のテーマです。人類が猿から人に進化してから現代に至るまで、あらゆる物語のテーマになってきた事柄ですよね。日本の古典の代表作である『源氏物語』すら、ラブロマンスですからね・・・洋の東西を問わず、恋愛というのは人類全体の強い関心事です。

 この「恋愛」という、一見掴みどころのない現象にも、モトはあっけないほど冷静かつ的確な「解答」を示してしまいます。
 もしかしたら、興ざめしてしまうかもしれません・・・ラブロマンスのストーリーなんかを、今まで通りに楽しめなくなるかも(笑)。

 ですが、モトによって『仕組みがわかる』と、これまで傷ついて(あるいは傷つけて)ばかりだった自分自身の恋愛を、楽しいものに変えられるかもしれませんよ。


「恋」と「愛」の明確な違い

 さて、一般的に「恋愛」という言葉はよく使われますが、みなさんは

『恋』と『愛』の違い

について、どのようにお考えですか?

 付き合っている間が恋で、結婚したら愛、そんなふうに思っている方も多いんじゃないかと思います。でもまあ、結婚する前も「愛しているよ」なんて言っちゃいますもんね。
 恋と愛、どこで線引きしたらいいんでしょうか?

 実は、モトの概念を使うと、この二つには明確な違いがあることが分かってしまいます。
 というより、この「『恋』と『愛』の違い」というものが、モトの考え方を使って「恋愛を紐解く」ために、とても重要だったりします。ですから、まずそこからお話していきましょう。


三つのパーツと「恋愛感情」

 そのためにまず思い出していただきたいのが、僕たちは

三つのパーツ

からできている、という話です(第一章参照)。すなわち

・アタマ
・ココロ
・カラダ

の三つが一つになって、僕たち「個人」を形作っているんでしたね。

 実は『恋』と『愛』の違いというものは、その気持がこの三つのパーツの

どこに由来するか?

によって明確に区別されます。結論から言ってしまうと、『愛』はココロから生まれますが、『恋』は実は「カラダから生まれる気持ち」なんです。


「恋」は盲目!?

 みなさんは、誰かに恋をした経験がありますか? ありますよね?(笑)
 その時、どんな気持ちになりましたか?

 可愛らしい女の子、かっこいい男の子、そういう存在に胸がキュンとなって、姿を見るだけでドキドキしちゃって。
 声が聞きたい、名前を呼んでほしい。そして、できれば仲良くなりたい。そういう願望が強くなっていきますよね。
 そんな人とうまくお近づきになれちゃったりしたら、もうずっと「トキメキ」ともいえる気持ちが止まらなくて。

 だけど、かなわない恋はただただ切なくて、気持ちのすれ違いにイラ立って。
 相手が自分じゃない誰かと仲良くしていたら、ちょっとヤキモチを焼いちゃったりして。
 そして結婚がある意味ゴールだったりして。結婚できなかったら、もうひたすら悲しみに暮れて、また新しい恋を探し始めたりして。

 ・・・恋というものは、コントロール不能な厄介な感情でもあるんですよね。ですけど、やめられないし、一方で当たれば大きいから、できれば当てたい(笑)。

 だから「恋愛を成就することこそが、幸せへの道だ」と考えて生きている人も、多くいるんじゃないかと思っています。どうですか? 
 

「恋」の正体とは・・・

 さて、恋というのは、気持ちです。気持ちなんだから、ココロから出てくるものではあるんですけど、さっき書いたとおり、実は「カラダ」からの要請で出てくる気持ちだったりするんです。

 カラダというものは、生命を維持し、死なないように活動することを一つの目的としていますが、もう一つ大きな役割を担っています。それが

「子孫を残すこと」

です。すべての生き物は「子孫を残そう」と本能的に考えるようにできています。

 人間のカラダも、もちろん例外ではありません。カラダが成熟し、子孫を残せる準備が整ったら、自動的にその機能を発動させます。

 具体的には、カラダからココロに「子孫を残しなさい」と信号が送られるんです。

 そもそも、カラダが送る信号というのは、ホルモンと電気によってアタマやココロに伝えられます。例えば食欲はレプチン、睡眠欲はメラトニンといったホルモンが、脳に電気的な刺激を与えることで起こるんだそうです。
 一方、恋のもととなる「信号」ですが、これにもホルモンが関わっています。エストロゲンとか、テストステロンとかいう、いわゆる「性ホルモン」です。
 あと、恋ホルモンといわれるフェネチルアミンとか、幸せホルモンのオキシトシン、ご存知ドーパミンとか、いろいろなホルモンがどんどん出て、僕たちの『ココロ』を刺激します。

 その結果として、僕たちは「一緒に子孫を残すのに適していそうなだれか」を発見すると「胸がキュンキュンする」状態になります。

 これが『恋』の正体です。

 恋の気持ちというのは、カラダがココロに直接働きかけ、子孫を残すために異性(同性の場合もありますね)と性行動を取りなさい、という命令を出した結果起こる感情なのです。

 というわけで、です。ものすごく分かりやすく、かつなんかイヤな表現(笑)をしてしまえば、こういうことが言えてしまいます。

『恋』=『性欲』


「恋」が発生するのにも「メカニズム」がある

 そうなんです・・・『恋』というのは、カラダが発する『性欲』に基づいた気持ちなんです。だから、アタマではコントロールできないんです。

 「恋は盲目」なんて言いますよね? ご自身にも心当たりあったりしませんか? 一度誰かを好きになってしまうと、どうにもコントロールするのは難しいですよね。ロメオとジュリエットのように、やめようと思ってもやめられるものではないのが恋です。

 やめようと思ってもやめられないのは、そもそも「アタマ」からの命令で動いている気持ちではないからです。

 第三章で、ココロに感情が湧き起こるまでの「メカニズム」を詳しく説明しました。そこにはこうありましたよね。

・カラダ(見聞きしたもの、触れた感じ)
  ↓
・アタマ(それが自分にとってどういうものか)
  ↓
・ココロ(好き嫌いゲージ)

 たしかに、普段の生活では、僕たちはこういうメカニズムのもとで生きています。ですが・・・恋愛に関しては、真ん中の「アタマ」がすっ飛ばされてしまいます。すなわち

・カラダ(性欲)
  ↓
・ココロ(好き嫌いゲージ)

こういう具合になってしまうんです。こういう命令系統でココロが動いてしまうので、アタマがごちゃごちゃ考える余地がないんです。

 だけど、一旦好き嫌いゲージが動いて「相手に注目」すると、ココロのモトの量が変化します。モトの量が変化して「好き!!」という感情が湧き起こってしまったら、このプロセスは一旦終了してしまいます。

 終了してしまってから、アタマの出番です。

 沸き起こってしまったこの「好き!!」という気持ちをどうするのか考えるのが、アタマの仕事です。相手に突撃するのか、それとも社会的地位なんかを考えて、じっとガマンするのか。そこを決めるのはアタマの仕事なんですね。

 恋についてまわる「やっかいごと」の全ては、この

「命令系統の逆転」

によって起こっています。普段の生活で駆使している「アタマ」では、コントロールできない気持ちからスタートするからです。


『三つのパーツ』が恋でもだえるとき

 そういうわけで、僕たち人間は恋の気持ちを「コントロール」することができません。構造上、不可能なのです

 ただ、起こった気持ちをもとに「どうふるまうのか」だけは、コントロール可能なわけです。ここは、アタマの領域だからですね。

 つまるところ、色恋沙汰にまつわるエトセトラというのは、この

「アタマ」と「ココロ」のせめぎあい

によるところが大きいのではないかと僕は考えています。
 ですので、僕たちはコントロール可能な「アタマ」に注力するのが、健全な恋愛の法則なのかもしれませんね。

 さて、ここで一つ思い出していただきたいことがあります。それは、ココロの「目的」です。ココロが好き嫌いゲージを動かしたり、感情を発生させたりするのは、なぜでしたか?

 第一章でお話ししたとおり、その理由は

「モトあつめ」

でしたね。ココロというのは、いつも常に「モトあつめ」のことだけを思って動いています
 いうなれば、各種感情というのは「モトあつめ」のためのツールのようなものです。感情を元にカラダを動かすことで、他者から注目を集め、モトをも集めるという寸法です。

 そしてもちろん「恋の気持ち」も、思いっきりこの「モトあつめ」をしようとします。次は、恋の「モトあつめ」をくわしく見ていきましょう。

(続く)

「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)