4-4-2:愛には「量」がある(人生はなぜ辛いのか?と思った時に読む『モト』の話)
4-4-2【愛には「量」がある】
形から入る「愛」ではモトが集まらない
では、実生活でこの『モト』の考え方を生かした「愛のある人生」を送るための方法を、具体的に考えていきましょう。
たとえば、身近な人。家族であったり、親友であったり、恋人であったり。そいういう人たちに「愛情をもった接し方」をしたいとしましょう。
どうすれば「愛情をもった接し方」ができるのか? というと、今までは
・衣食住のお世話をする
・困りごとを一緒に解決する
・ポジティブな言葉で励ましたり、応援したりする
・悲しんでいる時は、ハグしたり手を握ったりする
・一緒に楽しいこと(音楽を聞く、映画を見るなど)をする
などなど、こういう「何をしたらいいか」という「形から」入っていたわけです。
形から入るので、こちらの気がいまいち乗らないときでも、相手のためにと自分を犠牲にして、そして気づかぬうちにストレスや疲労をためてしまったり、なんてこともあったかもしれません。
確かに、今挙げたような「愛情をもった接し方」というのは、そのとおり愛情(=モトの量)を相手にいっぱい送り出すし、それでもし相手が喜んでくれたら、逆に送り返してもらえたりもするものですよね。
だけど、もし相手がそっけない態度だったり、喜んでもらえなかったりしたら、こちらの好意を無駄に感じてしまったり、逆にイラッとしてしまったりしますよね。
そうして、僕たちはココロをすり減らして、相手との関係がストレスになってしまったり、くたびれもうけという感覚を抱いてしまったり、なんてことになるのでしょう。
こうしたことを考えると、やっぱりこれらの「愛情をもった接し方」の裏でも、「モトのやり取り」がぎゅんぎゅん行われていると考えたほうが自然です。
「モトがあるから愛せる」という考え方
逆説的ですが、「愛情をもった接し方」が自然にできる人というのは、ココロがすでに「愛」の状態になっている人です。ココロが「愛」なので、行動が「愛」に満ちたものになるわけです。
赤ちゃんをあやすお母さん・お父さんの行動が、参考になるかもしれません。大抵の親は、赤ちゃんをあやす時、とてもいい笑顔をします。そしておしめを替えたりミルクを与えたりするときも、「与えている」のにとてもうれしそうな顔をします。
これは、赤ちゃんの世話をすることで「モトが増えている」からです。
赤ちゃんという生き物は、こちらになかなかモトを送り返してくれません。一方的に自分の世話を要求してくるものです。おしめを替えろ、飯を食わせろ、ハグしろ、外に連れ出せ、などなど。
でも、親は喜んで赤ちゃんの世話をするものです。
そんな時というのは
「自分でモトを増やしている」のであって、それがココロを「愛の状態」にしている
と考えるとつじつまが合います。自分のココロでモトを増やして、増えたモトを赤ちゃんに分け与えているから、お世話をしているのに「笑みがこぼれる」のです。
(とても疲れているときなど、例外もありますし、それは承知しています・・・お子さんのお世話は大変ですよね・・・)
こんな風に、先に挙げた「愛情をもった接し方」というのを滞りなく行うためには、事前に「自分のココロがモトを生み出している」こと、つまり「愛の状態になっていること」が大前提だと言えます。
これらをまとめると、こう言えてしまうと思います。
自分が持っていないモトは、与えられない
愛には『量』がある
先ほどから書いている通り、愛には具体的な「量」があるのです。ですから、自分が持っていない「愛」(=モトの量)は、与えられないのです。
物理的に無理なのです。愛には量があるからです。
お金と同じです。持っていないお金は、分け与えられません。所持金には「金額」があるからです。お金に苦しんでいる人、困っている人をどれだけ『助けたい』と思っても、そもそもお金を持っていなければ、寄付ができないわけです。
愛もそうです。持っていない愛情(=モト)を分け与えることはできません。ですので、他者に愛情をもって接するためにはまず
「自分が持つ」
ことが第一歩なのです。
先ほどは「形から入る」愛の形をたくさん挙げましたけど、あれらは「自分が愛情(=モト)をたくさん持っているから」自然にできることばかりではありませんか? 逆に、とても疲れていたり、ストレスでイライラしているとき(=モトが不足しているとき)って、こういうことをするのはなかなか根性(=ココロのエネルギー(=モト))がいりますよね。
人間だから、ときにはそいういう風にココロをすり減らして、モトの量が減少することもあるでしょう。ですが、思い出してください。
モトは増やせる
んでしたね。誰かから分けてもらったり、自分の力で増やしたり。
もしあなたが、恋人に優しくしたい、そしていい関係をずっと続けたいと思っているなら、まず「自分のモトの量」を大事にしないといけません。「持っていないモトは、与えられない」(=相手を大事にできない)からです。
恋と愛を「モトを中心に」見つめ直すと答えが得られる
この章で今まで詳しく見てきたように、恋というのは「性欲」をもとにした、カラダからの信号がベースの気持ちでした。
カラダはいつか衰えますし、恋の気持ちもいずれ終わります。特に、男性と女性では性ホルモンの種類が違いますし、脳の構造にも傾向があるそうなので、恋の始まり方と終わり方、恋の気持ちを一度に持てる人数なんかにもだいぶ「性差」があるそうです。ですので、男女のカップルの場合は特に、気持ちのすれ違いをしょっちゅう経験することになるでしょう。
ですが、『愛』というのは「モトの量」なので、それとは別の要因で「増やせる」のです。長く続くカップルというのは、決して「恋」だけで結ばれているのではないのですね。そこには「モトの量」をキープするための「気持ちの良い関係」が存在するということです。
つまり・・・愛情が衰えないカップルは、お互いを
「人間として」尊重している
ということです。相手が男か女かではなく、一人の人間として、どう愛情をもって接するかということを真剣にアタマで考え、ココロでモトを増やしてお互いに交換しているのです。
結論としては、恋の状態のときに自動的に行われていた「恋愛アピール合戦」のようなモトの交換を、アタマで意識的に「愛情をもって」行っているカップルこそが、いつまでも関係を続けていける『おしどり夫婦』になっていけるのではないか・・・と僕は考えています。
というわけで、もしあなたが恋人や、そのほかにも友人や親兄弟、先生や尊敬できる上司などとの末永いおつきあいを望んでいるなら、まず
自分のモトを安定させること
そして
それを上手に交換し合うこと
だけが、それを実現できるたった一つの方法と言えます。モトの知識を活用して、どうか愛情豊かな人生を歩んでください。
「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)