《社会復帰1ヶ月記念》今後の指針について

はやいもので、半年の無職期間を経て社会復帰をしてから1ヶ月になる。

職場にはだいぶ慣れた。わたしを故意に傷付けようとする人がいない、というだけでこんなにも息が吸いやすいのかと未だに新鮮に感動してしまう瞬間があったりする。ちゃんと見守ってくれて、互いに気遣える良い職場だ。

しかし人間というのは欲深いもので、ひとたび現状に慣れてしまうと、また新たな刺激を求めてしまう。
実際にわたしも、心のどこかに僅かばかりのモヤモヤとした感情を抱えはじめてしまっている。それは、仕事内容それ自体というわけではなく、主に仕事に対する自分自身の向き合い方について。

あえてそれを言語化するなら、「仕事に対して100パーセントのエネルギーを使わなくても済んでしまっていること」だと思う。

これは同居人の影響もあるのかもしれない(彼女は極めてバリキャリである。夜は22時帰宅もザラで、土日に電話がかかってきてしまったりする。)

かたやわたしは、毎日めざましテレビが終わる頃に起床し、キッチリ定時に帰してもらえる。その結果、帰宅後もなんだかエネルギーが有り余っている状態。

仕事内容は、求人を見ていた時から分かりきっていたことだし、むしろ当時はそれだけでもきちんと働けるか不安だった。

それなのに、ひとたび現状に満足してしまうと、「(物理的な労働時間というより、消費エネルギー的な意味で)これだけしか働けていなくて、働き盛りの若者がこんなんでいいのだろうか……」という一抹の不安に駆られてしまうのだ。

……

しかし、
恐らくこの不安感情は、現状に対してなにも良いように作用しない。(仮に職場に100パーセントのエネルギーを持ち込んだところで、それは恐らく空回りに終わるだけだ)

それならば、
ここで改めて初心に返り、「なんのためにこの1年間日本で働くことにしたのか?」という目的意識をきちんと整理しておくことで、無用な不安を昇華させていきたいと思う。

(前置きの長さが異常。)


目的①きちんとした生活を送る

前職在職中の荒廃しきった生活から、無職期間の実家暮らしに至るまで、「生活」を楽しいと思えたことがなかった。
日常生活は最大のルーチンワークだと本気で思っていたし、なによりきちんとした生活を送ることが面倒くさかった。

そうやって人間らしい生活を切り捨ててきた反面、「このままじゃあいけない…」という思いも心のどこかにあり
いずれ時が来たら、きちんとした生活を送ってみたいと思っていた。

それを実践するにあたりまずは環境を整える必要があるなと思っていた矢先、友人から同居の打診があり、二つ返事で快諾した。

同居生活をはじめて1週間余が経つが、まぁ諸々のトラブルはあるものの一人暮らしよりも明らかに張りがあって、「ちゃんと毎日生きてる。」という感じがする。

洗濯物をちゃんと畳むようになった。使った食器はすぐに洗うようになった。天気の良い日には布団を干してみたりなんかした。

当たり前のことだらけだけど、今までやろうと思ったこともなかった。当たり前のことだから、やってみたらやっぱり気持ちの良いものだった。


最近読んだ本(結婚の奴/能町みねこ)に、こんな一節があった。これは、恋愛感情を一切抜きにした結婚生活を綴ったエッセイだ。

誰かのために、一人じゃ作らない料理を作る。
誰かのために、一人じゃ買わない物を買う。

いまのところまだ、「煩わしいな」と思うよりも、「一人暮らしよりいいな」と思う割合の方が圧倒的に多い。

同居人の帰宅が遅いので、ある程度の自分の時間も担保されていて、
仕事から帰ってなお余ったエネルギーで、本を読んだり映画を観たり英語の勉強をしたりできている。(今日に至ってはこんな長いnoteを書く余裕すらある)

エネルギーが余っていることを悲観せず、自分らしくきちんとした生活を送ることを、もっとちゃんと続けていきたい。


目的②看護師コンプレックスの克服

前の職場のおかげで、「看護師」というもの自体が怖かった。自分が患者として病院に行くことすら怖くて、ましてあんな、「看護師」なんかと、一緒に働くなんて…??!と、本気で怯え縮こまっていた。

しかも、前職での業務内容があまりにも特殊すぎて、自分の看護師としての汎用性のかけらもないことに衝撃を受けた。
仕事を求めて派遣会社にいったとき、自分のもっているスキルと照らし合わせて出てきた求人案件をみて、看護師としての自尊心が崩壊した瞬間を覚えている。

あーわたしの前職での2年間ってなんだったんだろうな。

でも悲観してばかりもいられない。冷静に今後の自分のワークライフバランスに考えを馳せてみると、
看護師免許を一人前に使えるようになっておいて損はないことは明らかだった。(ていうかそもそも大学4年間費やして手に入れた国家資格、無駄にするなんて勿体ないよね)

ならば、基礎の基礎からしっかり技術を研修してもらえてある程度看護師としての業務ができる、かつ穏やかそうな雰囲気、かつ自分がやってみたい仕事、
の最小公倍数から現職を見つけた。

結果的にこれらの3条件は見事満たされ、
対人的および個人的な看護師コンプレックスは少しずつ解消の道筋が見えはじめてきた。

いまのこの時間は無駄な時間なんてことはない。得られるものも、克服できるものも、絶対にあるはず

無駄に悲観せず、地に足つけて生活していきたい。という指針表明でした





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