見出し画像

禅的六道輪廻の話

輪廻って信じますか?

天、人間(じんかん)、修羅、畜生、餓鬼、地獄 ←これが六道です。
子供のころに聞きませんでしたか。

悪いことしてたら死んだら地獄におちるで~

もちろん天国に行けたらイイですよね。^^
最近、子供にこんなこと言う人減ったように思います。
自分が死んだ後の話です。
死後ってホンマあるんかいな?
科学が発達してあまり信じられなくなりました。
こういう話は親から子へ伝わるのでしょうけど、僕ら親の代でも信じてないのだから、子供に話すことは殆ど無いですよね。

禅では、今生(こんじょう)で六道を生きると考えます。(宗派にもよるのかな?詳しくは知りません。僕の知識ってそんなもんです。笑)
死んだ後ではなく、今の生で六道すなわち、天、人間(じんかん)、修羅、畜生、餓鬼、地獄を行ったり来たりします。

昨日は彼女とデートで天国やったけど、今日はテストで地獄やわ。

毎日、六道を巡回してます。
もっと言うと、その瞬間ごとに、巡回してます。
この一つ一つの瞬間を刹那(せつな)と言います。(因みに1刹那=1/75秒だそうです。)

つまり、一瞬毎に気分が高揚したり、急に怒り出したり、、、
禅では人の心の移り変わりを六道輪廻で捉えていたりします。

さっきまで有頂天やったのに急に怒り出した。

とかね。
天から修羅へ瞬時に変わります。
だからね、人の心の移り変わりの話なんです。
仏教って結構心理学!!

仏陀もおそらくこのように捉えていたと思います。
色々意見はあると思いますが僕はそう思っています。
方便って言いますよね。 「嘘も方便」とか、、、
仏陀の時代はもちろん学問を習える人は少なかったと思います。
無学の人にも仏道を教えようとして方便をたくさん使ったらしいです。
だから、単純に聞くと矛盾するようなことも言うてたらしい。
で、この六道輪廻も方便として使ったのではないでしょうか。
その当時一般的に信じられていたバラモン教では輪廻が説かれていたので、分かりやすく伝えるために利用したのでしょう。
その証に、仏陀は死後の話は一切しなかった。らしいです。
(いろんな解釈があると思います。気になる方は勉強して下さい。そして僕に教えて下さい^^;)
そして禅僧に「人は死んだらどうなるんですか?」と聞いたら「分からん!!」と答えるみたいです。禅って科学的なんですよね。


生きているうえで、六道輪廻という心の移り変わりがある。
これは紛れもない事実だし、皆さん実感してると思います。
それでもやっぱし、、、

出来るだけは穏やかに暮らせたらいいですよね。

ってのが仏教なのかもしれません。
因みに、仏教の経典には、幸せ、幸福という言葉は出てこないらしいです。
安らぎ、穏やか、安寧、平穏、、、これらの言葉が使われているみたい。
物質的な富である幸(さち)とか、運に任せた福とか、目指すところはそんなんことじゃないんでしょうね。きっと、、、
「幸せ」と聞くと、快楽的なものを連想しませんか、躁鬱(そううつ)の「躁」(そう)。
これは心の浮き沈みの浮いている状態ですよね。
それは仏教では良しとしないのです。
だって、躁があるってことは、鬱がありますよね。
躁を求めてる間は、鬱は無くならないのです。
そうではなくて、そういう心の浮き沈みから離れてみる。
そうしたときに平穏な心が現れるのでしょう。
そうなれば、周りの環境や、自分の置かれた状況に、一喜一憂することなく、穏やかに過ごせますよね。

その躁鬱、、、心の浮き沈みが六道輪廻で、そこから離れることが解脱、いわゆる覚(さと)りなのだと思います。

僕がいつも言う。
何事も心配しなくていい。冷静に客観的に考えればそれで良い。
ということも、それを目指しているんですね。

また、長くなってきましたので、この辺にしておきますね。

いつも読んでした抱きありがとうございます!! スキよろ!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?