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リアリズムの課題

一般的に絵を描く作業として、写真をそのままトレースはタブーだと思います。
では、自分でクロッキーしたものや、下絵を、トレース。
これは一般的に大丈夫という認識ですよね。
だって自分で描いたものをトレースしたのだから、、、

また、絵を描く時にアタリを付けるためにガイドラインとして中心線を引く場合があります。縦横2分割ですね。
これも一般的にはアリだと思います。
では、縦横4分割のガイドラインならどうでしょう。
はたまた、縦横8分割、16分割、32分割、64分割、、、1024分割、、、
もう自分で描いたとは言えないですよね。
だって写真をトレースしたことと何ら変わりませんから、、、

じゃあ、作品としてはどこまでが許されるか、、、
それぞれの考えによるしかないですよね。

で、時代が進んだとして

自分の目で見ている映像を視覚神経から脳を経由して脳波からコンピューターにデータとして保存。

こんなこと、これに近い事が出来るようになるかも知れません。
てか、なるでしょうね。5年でできるか100年かかるかという時間の問題だけ、、

そういう時代になって、
自分の見ている映像をデータ化してトレース。
そのトレースを元に絵を描く。
そのうち、
自分の見た映像は自分だけのものだからトレースしなくても自分の作品だ
と考える人も出てくるでしょう。

では、自分の視覚映像を出力しただけのものは作品と呼べるのか。

これってどうなんでしょう。

写真が出てきて、リアリズム絵画は問題視されました。
でも、今またリアリズムは注目されています。

この先もいろんな問題が出てくるでしょう。
その度に、リアリズム絵画の意味を問われると思います。

それでも、リアリズム絵画は生き残ると僕は思います。

何故ならリアリズムは人類にとって絵画の普遍的なテーマだからです。

デッサンを毎日していた頃、「デッサンは真実の追求である」と教わりました。
視覚要素だけでなく、あらゆる事を追求します。
そのデッサンからは空気を感じられるか、、、匂いを感じられるか、、、音を感じられるか、、、命を感じられるか、、、宇宙を感じられるか、、、
そんな事を考えながらデッサンをしていたことを思い出します。
それはデッサンに限らず絵画作品においても同じだと思います。

真実の追求、これがリアリズムだと思います。

しかしながら、結局、、、
あーだこーだ、ウンチク垂れてるより、作品を描け!!
と自分に言い聞かせております。
結局はね、描いてナンボ、、、

あははははは、、、、、、m(__)m


#絵画 #絵 #写実 #リアリズム #コラム

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