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挨拶に拘る必要はあるのかな。

■挨拶の苦手な人がいる。

挨拶の苦手な人っていますよね。僕も得意ではありませんが、、、^^;
こちらから「おはよう」と言ってもせいぜい「あー」とか、そんな感じの返ししか出来ない人。
僕の周りにもそんな人はいて、こちらが挨拶をしても何も返ってこない事も有りま。^^;
例えば自分が立場的にその人より上だとして
あなたならそんな時どうしますか?
「挨拶しなさい」と諭しますか?

今の僕なりの答えは「別にそれでいい。^^」と思っています。

相手が挨拶を返さなかろうが、「あー」とだけ返そうが、それで良しとしています。
礼儀を重んじる方には叱られそうですが、、、^^;
僕もきっと挨拶が上手くできてない時があると思います。
子供のころなんて挨拶出来てなかったんだろうなぁ、、、と思います。
正確に言うと「自分が子供の頃、挨拶は出来ていた。」と思っていますが、
そういったことって、大概下駄をはいた記憶です。
子どもの頃の自分の描いた絵を今見ても「こんなヘタクソだったっけ?」と思います。もっと上手なつもりだったのに、、、
きっとそんなものです。笑
でね、僕もちょっと前までは
「挨拶はした方が良いに決まっている」
と思っていました。
あ、今でもそうは思いますね。ごめんなさい。笑
厳密には「出来るのなら挨拶はした方が良い。」と今は思っています。 で・き・る・な・ら、、、ね。^^
ただ、以前は「挨拶するべきだ」と思っていました。
これは今の僕なら否定します。
何でって、苦手な人もいるからです。

歌うのが苦手な人に、「もっと上手く歌うべきだ。」と言うのと同じな気がしませんか?

■挨拶に必要な要素。

で、挨拶について自分なりにちょっと考えてみました。
挨拶(あいさつ)って、実は禅語らしいです。
「師匠が弟子の悟りを推し量ること」らしいです。
僕の「にわか禅」では、ちゃんと説明できませんが、
挨拶って元は心と心の繋がりだったと思うんです。師匠の心と弟子の心が繋がってやり取りするんだと思います。
って考えると、

挨拶って「心」が大事なんじゃないかな?

と、ごく当たり前のことに気付きました。
そしたら、挨拶って「心」以外にどんな要素が必要なんだろうか、、、
そこから探ってみようと思います。
まず、相手と自分、相手はもしかすると複数かも知れない。
とすると、挨拶には「複数の人間」が必要になります。
あと、「おはよう」「頂きます」などの「言葉」も必要かもしれない。
んー、必要な要素はそんなもんかな。^^

『挨拶には「複数の人間」「心」「言葉」の3要素が必要である。』

■挨拶の目的。

それで、、、じゃあ、挨拶をする目的は何か?
挨拶ってコミュニケーションの一手段ですよね。
ってことは、「コミニュケーションを円滑にする」目的があります。
挨拶すると、ホッと心が和みませんか?
「心を穏やかにする」目的もありそうですよね。^^
あとは、例えば街で友達を見つけた時に相手は自分に気付いていない、、、
「おう!!久しぶり」と挨拶をしたりします。
「自分の存在を示す」目的もありそうです。
あとは「礼儀を重んじる」目的とか、、、
僕の思いつくのはそんなもんかな。^^;

『挨拶の目的は「コミニュケーションを円滑にする」「心を穏やかにする」「自分の存在を示す」「礼儀を重んじる」などがある。』

で、これらの目的の中でどれが大事か
僕が思う重要な順に並べると

「心を穏やかにする」>「コミニュケーションを円滑にする」>「礼儀を重んじる」>「自分の存在を示す」
です。

「自分の存在を示す」を最後に置いたのは、それは挨拶でなくても可能だと思ったからです。
「礼儀を重んじる」を3番目に置いたのは「礼儀を重んじる」ことも突き詰めれば「心を穏やかにする」に繋がると思ったからです。人は「心を穏やかにする」ために「礼儀を重んじる」のではないでしょうか。^^
そう考えると、人は「心を穏やかにする」ために「コミニュケーションを円滑にする」とも言えそうです。
となると挨拶の一番の目的は「心を穏やかにする」ことだと思います。

『挨拶の一番の目的は「心を穏やかにする」こと』

これは僕なりの考えです。
あなたはどう思われますか?^^

で、「心を穏やかにする」ために挨拶をするのであれば、

相手がちょっと挨拶をしなかったくらいでイライラするのってどぉなのよ!!

って思うわけです。(↑過去の自分に対しての思い。)
「心を穏やかにする」ための挨拶に執着することで心を乱している。
本末転倒ですよね。
そんな人に挨拶を諭されても、ぜんぜん響かないですよね。^^

■相手の気持ちを受信する。

それから、複数の人の間でのやりとりなので、挨拶する側だけでなく、受ける側の態度も大事なんじゃないかと思います。
「おはよう」と挨拶を発する側と、それを聞いて受け取る側。
、、、送信と受信。
挨拶の事を考えると、送信ばかりを意識しますが、受信をちゃんとしてますか?、、、と。

たとえばね、ウチの子も挨拶、苦手な方だと思います。
僕が仕事から帰った時に玄関のドアを開けて「ただいまー!!」と言います。
ウチの子は「おかえりー」と言わずに、おちょけて向こうの部屋からひょっこり顔を出したりします。(おちょけて→関西弁で「ふざけて」の意。悪ふざけではなく愛嬌のあるふざけの時に使います。)
あ、これがウチの子の「おかえり」なんやな。
と受け止めます。そこで「おかえりってちゃんと言いなさい。」っていう必要ないと思うんですね。だって気持ちがじゅうぶん伝わりますから。
なんなら「おかえり」って言われるより嬉しかったりします。^^
それに、心は穏やかですよね。(挨拶の目的を達成してます。^^)
そこをね。ちゃんと見てあげたいな。と、思うんです。
そこを「おかえりってちゃんと言いなさい。」って無理強いしてしまうと、義務的にしか挨拶しなくなるんじゃないでしょうか。^^;

『相手の気持ちをちゃんと受信する。』

そこも挨拶には必要なのではないかなぁ~。^^
そういう風に考えてると、あいさつに必要な3要素「複数の人間」「心」「言葉」の「言葉」は必要ないかも知れない。

『挨拶に必要な要素は「複数の人間」「心」の2つに撤回!!』

■挨拶に拘る必要はあるのかな。

それからね、ご近所付き合いとかでもちゃんと挨拶してますか?
前方からやってくるのは知ってる人だけど、ちょっと気まずいし、スマホ見てるフリして、やり過ごしてみたり、、、(スマホってホント便利ですよね。)
そんなことありますよね?
僕も正直あります。^^;
そう考えると、大人はよく子供に「挨拶をしなさい」と言いますが、大人もちゃんと出来てない。むしろ大人の方が出来てないかも知れない。笑
子どもの事責められませんよね。(もちろん僕も含めてです。^^;)

こんな風に考えてみると
挨拶って、そこまで拘る必要があるのかな?
と、僕は思うんです。
あなたはどう思いますか?

挨拶に必要なのは「複数の人間」と「心」。
挨拶の最大の目的は「心を穏やかにする」。
なら、
例えば先生が生徒に「挨拶をしなさい。」と強要するのは、
先生が生徒を自分の支配下に置きたいだけのような気がします。
挨拶の重要性は教える必要があると思いますが、
強要する必要はないと思います。
それにね、挨拶が重要だなんてことはみんな分かってます。
幼少期までに散々聞かされて育ってますから、
わざわざ言われなくても、きっと分かってます。

それなら、そこまで拘らなくていいんじゃないでしょうか。^^

人はいろんな経験をして学んでいきます。
その経験を通して「挨拶はした方が良い。」「挨拶をしよう。」と思えば、自然と挨拶をするようになります。
僕も出来るだけは挨拶するように心がけています。(時々、逃げてしまいますが、、、)
通勤途中、小学校の見守り年配の方なんか見つけると挨拶します。そしたら、快く挨拶が返ってきます。
それでいいんじゃないでしょうか。
挨拶をしない人には、きっとそれなりの理由があるのです。
きっと、たまたまその時挨拶をしなかっただけです。
えっ?「あいつは昨日も一昨日も挨拶をしていなかった」ですって?
なら、たまたま、昨日と一昨日と今日と挨拶しなかっただけです。
えっ?「あいつは半年、挨拶していない。」ですって?
なら、たまたま、半年挨拶していなかっただけです。
明日に挨拶するかもしれません。^^
そんな事より心を穏やかに過ごせた方が良いですよね。^^

、、、と、昔の自分に話しております。


最後まで読んで頂いてありがとうございます。^^


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