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デニーロとアルパチーノがやってくれた

Netflixだけでなくハリウッド映画には腰のある映画が少なくなってきたと思う。それは観る側にも起因する。CGの発達によって、「あり得ないビビュアル」を私たちは大量に消費した。観ている映像はなんだか嘘臭さを増した。Netflixはそれを加速させたように思う。潤沢な製作費があれば才能がなくても大作映画が誰でも作れる。で、アイリッシュマンの話。
アイリッシュマンを観終えると、退屈な映画だったと云うかもしれない。グッドフェローズやウルフオブウォールストリートと比較すれば、スリリングさに少し欠けるだろうし、沈黙ほど深遠なものでもない。私的には最高の映画だった。素晴らしい映画だ。アイリッシュマンは演技の魅力だ。俳優の演技でもってその映画を魅力あるものにする作品を久しぶりに観た気がする。デニーロもアルパチーノも残念ながら爺さんになった。世の男性たちの憧れだった2人はよぼよぼな爺さんになった。でも彼らにはまだオオカミのようにギラつく野心があったようだ。彼らが今まで積み上げてきた映画のキャリアとそのキャラクターが、自分たちの「演技」によって成立していたことを今回の作品で完璧に示した。老人になってしまった俳優が若い時代を自身で演じることを可能にしたCGによって、だ。
それは張りぼてだらけなNetflixの中にあって、マーティンスコセッシ監督が魅せてやりたかった美学であり、男の子が一生持っておくべき野心のような、遊び心だと思う。

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