見出し画像

月に行けるようになったら私達は何に思いを馳せるのかな

月は大きくて、小さくて、おぼろげで、強く光り、白くて、黄色くて、赤くて、私達にいつも違う顔を見せてくれます。東京の空でも孤独に光り続けるそれが、私がここで空を見上げる理由になっているんです。

でも、そういえば人類は月へと行ったことがあるんだよなあ。

そう考えると、人が進んできた道のりは長いとまた気づきます。自分が生きている間に宇宙に行くなんて考えもしていないけれど、実はどうなるかわからないとも思うんです。実際に民間人が月に行くプロジェクトは進行しているようだし、この時代の技術の進歩は凄まじいようですから。

きっと私の孫くらいは宇宙に行ってくれるんじゃないかな。私が見れるわけがないと信じていたその景色を、ぜひ味わってほしいと思います。宇宙服だってどんどん進化していくかもしれません。あのまるいガチャガチャのカプセルみたいなのを頭につけなくても、悠々と歩けるようになるのかもしれません。

そうなったら、お月見の時期には本当に月に行けるかもしれないんですね。真っ黒な空間の中で地面のボコボコを踏みしめながら、探索ができる時が来るのかもしれません。そして地球を見てかの有名な言葉を思い浮かべるのかもしれません。その時まで地球がちゃんと青と緑の星であってほしいと思うのですが。

月見バーガーを食べるくらいしかこの時期の楽しみがないと言っても過言では無い現代。地球見を実現できる世界を私達は簡単に想像することができない気がします。でも、きっとやってくるんですね。そのくらい世界が動き、私達は未来に進んでいるのですね。

月のような白く乾いた土地で、私達は花見やお月見のようなほのかな季節の香りを感じることができるのでしょうか。それとも膨大な宇宙空間を目の当たりにして、ただただ自分の存在を認めることに精一杯になるのでしょうか。地球を指差して、みんなあそこに生きてるんだねとか言ってみるのでしょうか。

そんなにみんなが月ばかり目指したらその土地は人間でいっぱいになってしまいます。地球からお月見をしていた人は、その日は影の形が違うと気づくでしょう。黒っぽい影はうようよと動いて、うさぎやカニではない別の形に見えるかもしれません。それとも月への渡航側の計らいで、わざと影の輪郭が浮き上がるような人間の配置にされるかもしれません。今まで実はよく見えなかったうさぎの餅つきが見られそうです。

きっと私達の知りもしない新しいお月見がすぐそこまできています。未来の月に向かって、今夜はちょっとだけ夢見がちに思いを馳せてみます。


ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。 スキやシェアやサポートが続ける励みになっています。もしサポートいただけたら、自分へのご褒美で甘いものか本を買います。