新潟の渓谷で感じる冬のはじまりの雨。
張り詰めていた糸が切れるというのはこういうことで、私は試験翌日に有給をとった。倒れたのではなく、突然遠くに行きたくなったから。もともと休暇を狙っていた日で、そうこうしていたら上司が休みを取ることになり、私も休みにしようと勤怠を調整する。心が倒れた、という言い方なら正しいのかもしれない。
越後湯沢に行くことにした。大地の芸術祭をしていて、行きたいなと夏頃から気になっていた。それに、調べたら東京から新幹線で1時間ほどだとわかった。東北や関西に行くより全然近いじゃん。福島とか岡崎とか、ほかにも候補はあったけど、今回は最初にぴんときた芸術祭を目指すことにした。
とはいえ、日帰りだ。しかも、こういうエリアを巡るタイプの芸術祭あるあるで、それぞれのアクセスがなかなか大変。しかも天気予報は雨で、行かないと後悔しそうだけどめちゃくちゃ乗り気にもなれない、そんなふうに旅をスタートさせてしまった。
東京駅から上越新幹線に乗り込み、段々と混んでくる自由席で外国人観光客に囲まれる。平日の新幹線は、おじいちゃんおばあちゃん、外国人、サラリーマンで埋まっている。海外の子供の、私よりずっと流暢な英語が聞こえてくる。
越後湯沢に降り立つと、はっとするほどに空気が冷えていた。ああ、もうここには冬が近づいている。見慣れないスキー用ロッカーという細長いロッカーを横目に、まずは温泉を目指す。
スキー客が多いからか、飛び込みの日帰り入浴もできる場所が多い。目的の清津峡は時間制のチケットを販売していて、午後しか空いていなかったので、午前中はのんびりと過ごすことにしたのだ。「大浴場のみになりますが」と言ってくれたお兄さんからフェイスタオルを購入し、温泉へ。
体を流してお湯に足をつけると、思ったよりも体が冷えていたのか、思わず声が漏れるほど熱かった。ほかにお客さんがひとり。風呂の対角線上に、お互い思い思いに過ごす。汗が出てくる。
バスの時間が近づいたので、温泉はこのくらいで切り上げよう。1日に4本ほどしかバスがないので、逃すわけにはいかないのだ。路線バスは山道を大きく曲がりながらあがっていく。うねりの中で、霧のかかった緑の中に近づいていく。まだ体に温泉の温度が残っている。
清津峡は、芸術祭のポスターになっていながら、期間限定の展示ではない。そういうアート施設のようだった。山に近づくにつれて雨が強まり、入坑時間まで1時間ほどのつぶし方を迷っていた。
ぽつんと駐車場の横にある飲食店でそばを食べ、今日は青空の写真は撮れないなとぼーっと思う。この頃には温まったはずの体も冷えていて、そばの味の濃い汁をたくさん飲んでしまった。
トンネルは、少し不気味だった。アートというのは時に不穏な気持ちも呼び覚ますもので、それは瀬戸内の芸術祭に参加したときも肌で感じていたのだが、今回はこの世にもどって来られなくなるのではないかという不安感すら覚えた。
トンネルの中から聞こえる誰かの声のような、歌のような音に誘われながら、閉所恐怖症の母を思った。彼女はここを進めないだろう。赤の光を抜けたあと、見晴所についたとき、呼吸が深くなるのを感じた。世界は雨でも明るかった。
フォトスポットであるパノラマステーションは、通常は順番もなく、どこからでも自由に出入り可能だという。中央にかけて水が深く張っているのだ。
けれどもこの日はかなり雨量も多くて、そもそも寒かった。だから水に浸かりたがる人がおらず自然と長い順番待ちの列ができていて、「順番はありません」と書かれた印は虚しく、そこは秩序のあるステージになっていた。
巨大な水たまりを見にきたんだな。駐車場からここまでで見た数百人の人たちの多くは大型バスに詰め込まれて運ばれてきた。雨の中、渓谷に集まり、圧迫されるようにトンネルを抜け、雨に浮かび上がるようなシルエットを見る。
ものすごい興奮があったわけじゃないけれど、心が落ち着いてくる旅だった。久しぶりの日帰り旅。たまにはこういう過ごし方もいいな。