彼のくれた赤いマフラーとマッチングアプリ
※こちらはメンバーシップ用ですが、本文は全て無料で読むことができます。今年一年ありがとうございましたという気持ちを込めた、公開バージョンです。
***
これだから冬は嫌。
なんで冬眠できない動物に生まれたのだろう。
何度も季節は巡って、またこの季節になってしまいました。
真っ赤なマフラーがマスクの下まですっぽり覆っているのが目に入ります。
やっぱり、カーペットみたいな赤。
恋人にクリスマスにもらったマフラーは、ちょっと目がチカチカするほどに赤いのです。
「似合ってないけど、かわいいよ」
妹は困ったように笑います。
「F4感ある」「猪木って感じじゃない?」
好き勝手に始まった大喜利。苦笑いを浮かべながら私も思います。持っている服に、これに合うものなんてあったっけ。
いろんな例えを披露していった友人や家族の声を反芻しながら、私は駅前のスーパーに吸い込まれました。
カゴの色と、全く同じじゃん。
思わず伸ばした手が止まりました。
よく見たら夕方のお値引きシールとも同じ色です。
一刻も早く抜け出さなければ、このスーパーのマスコットにされてしまいそうでした。
猫背になって足早に買い物を済ませます。白いコートに着いた赤い毛玉だけが、満足そうにその存在を主張していました。
わたしにとって初めての彼氏は、アプリで会った人でした。
24歳の時、恋愛のコンプレックスを抱えた私が出会ったのは、私の趣味も、過去も、仕事も、好きなアイスも、何にも知らなかった人。
「また、会ってくれませんか」
私の凡庸なチャットに痺れを切らさず、何度も声をかけてくれた彼。
ときめきはないけど、この人は私を見ていてくれる。そう思えました。
もう、ほんとうに好きなのに好きと伝えられないのも、好きではない相手と塗り拡げられる時間も嫌でした。
幼稚園児みたいな素直さも勇気もない私は、安心して好きになっていい相手にちゃんと向き合ってみることを許してほしかったのです。
付き合って1ヶ月、彼はまだ私の苗字を知りません。
私は知ってる。彼の苗字も、名前も、仕事先も、住んでいる場所も、家族構成も。
知らない人と他人でなくなる時の、最低限の情報と距離感。
けれども、彼は私の名前しか知らないまま、嬉しそうに手を握っています。
LINEの名前がアルファベットで下の名前だけの人間なんて信用してはいけないと、どこかで教わらなかったのでしょうか。
この世にmayuという人間がどれくらいいっぱいいて、なんならそれすら本名かわからないのに。
マッチングアプリの相手から自衛すること。私はそんなことばかりを学ぶ4年間をすごしていたっていうのにね。
でも。それでも、彼のその健やかさが、変に擦れていないところが、私にはむしろ新鮮でした。
今まで自分のほうが間違えて穴に潜っていたのかなと思うくらい、彼からはおひさまの匂いがしました。
変な人。そう言って笑って手を握り返せること。そんな幸福を教えてくれたのは、きっと彼が初めて。
これからも、私達はすこしだけピントのずれた会話をしながら、きっと今までのいつより笑っていられるはず。
ありがとう、そしてこれからも。赤いマフラーは染まった頬の色を隠すのには、ちょうどいいのかもしれません。
***
あとがき
この時から一年が経った今、あとがきを少しだけメンバーシップ用に追記します。
この記事が参加している募集
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございます。 スキやシェアやサポートが続ける励みになっています。もしサポートいただけたら、自分へのご褒美で甘いものか本を買います。