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マッチングアプリの恋愛だけじゃ、2人の世界が交わらない

恋人の前にいる私と、友人の前にいる私は同じ私だろうか。

違うと思う。

ずっと違うと思って生きてきたし、今まで好きだった人と2人の空間を共にしている時、私は周囲から認識されている「私らしい私」でいられたためしがないと思う。全く違うと、逆に自信を持って言えるほど。

そうなのだ。恋人と2人の時にサークル時代や仕事場にいる人間とおんなじキャラが出ているわけがなく、それは私だけではないと思う。表裏があるとかそういう話ではなく、それが普通の人なはず。

どんなに「自然体」な人でも、1人の人間の前に現れるその人のキャラクターは限られていて、別の側面が別の場面、相手によって生まれる。

恋人が、どんな人なのかを知りたい。

私の前だけでなく、店員さんの前だけでなく、もっと別の時間を共有してきた人との関係値の中での彼を知りたい。そう思うのは、変なのだろうか。

私たちは、2人きりの時間という接点だけを持ったまま、あるいは接線だけを共有し、それぞれが持っているコミュニティーやバックグラウンドは何も交わらないままに生きていくんだろうか。

それは、すごく不思議なことのような気がする。

彼という人間が本当は私の知らない生活を送っていてもわからないし、「こういう人だよね」って確認しあえる人もいない。もしかして私の元に派遣されているだけの週末恋人役だったとして、私は気付けないだろう。

学生時代のサークル内、留学先のコミュニティーで恋愛していた時とは違う、空間の広がりがそこにはあった。

マッチングアプリでは、なんのバックグラウンドも共にせず、共通の知り合いもない中で出会えるようになった。でもその人がSNSをしていなければ過去を遡ることもできない、そんな世界になっていた。


マッチングアプリで出会って1年になる彼氏がいる私が、男友達と話していた夜にずっと思っていたことをずばりと言われた。

相手と、自分のコミュニティとか、全く被らないままに生きていくのってなんか違和感ない?別の世界を生きてない?

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