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違うって楽しいけど難しい

多様性て言葉、最近耳にしたり目にしたりする機会多くないですか?

私は自分自身が障害者で、いわゆるマイノリティ
なので多様性という概念に関しては昔から人よりも少しだけ敏感でした。

でも近ごろはLGBTQsなどの性的マイノリティや、
男女差別に関連したフェミニズムの話題などの議論も活発な気がします。
自分の周りをはじめ、意識が高まったのも大きいかもしれないけど。

そんな中ついこの前、Twitterで
「親にゲイであることをカミングアウトした時」
という漫画のツイートがトレンドに上がっていて、
興味を持ちました。

内容はざっくり言うと、カミングアウトした当時は親に受け入れてもらえなかったけど、時が経って受け入れてもらえた、といったもの。


でも、私が印象に残ったのは、漫画の内容よりも
リプ欄にあった『気持ち悪い』というコメントでした。

めでたしめでたし、な結末を読み終えて
ほっと一息ついてるそばから思いがけない
言葉に驚かされました…。


落ち着け、怒るな、考えろ

でもここで、すぐ顔を真っ赤にしてそんなコメントは慎め!!と注意するのはナンセンスです。

このリプをみた時に私は こういう人もいるのか!
という新種に出くわした気持ちでした。
こういう意見もあるんですよ、実際。
そして、なんでこの発言をリプ欄にコメントしてしまったんだろう、とその人の心理を考えて見たくなりました。

文章の感じから、相手の気分を害してやろうという魂胆はないなと私は感じました。

自分の感じたその気持ち悪い、という感情は決して悪ではなく、一意見だと言わんばっかりの
ものすごく素直で純粋なコメントでした。
びっくり…

きっと実際にマイノリティに属する人と関わった経験がない、もしくはいい思い出がないのでしょう。
だから固定観念からうまれる、曲がった解釈で
男同士でなんて気持ち悪いという発想につながってしまう。
それをたやすく全世界に発信できてしまう。


じゃあ別の例をあげてみよう

これ、このトピックでは私からは絶対出てこない
発言ですが、もし違う例ならどうだろう、
と思いました。

例えば先日あった出来事。
シングルマザーに育てられた友達が、
「色々な手続きで父親がいることを前提に話を進められることがすごく窮屈だし、モヤモヤしちゃう。

そこを指摘するのは自分が器の小さい人間みたいで嫌だけど、あるとき思わず
『父はいません』と言ってしまった。
相手は驚いてすいませんすいませんと謝ってくれたけど、そんなに謝って欲しくて言ったわけじゃなくて…

発言したことを後悔したし、
この場合は『すみません、そうだったんですね』
とあっさりスルーしてくれてよかったかも。」

と話してくれました。

たしかに両親が揃っている家庭で育ち、
ましてや今、自分自身が父親という立場なら
尚更そういう発言に至ってしまうのか…と考えさせられました。

そこはうまいこと配慮できたでしょ…
とも思うけど、いやうっかり自分の思い込みで
危うい発言もあり得るかも…
と頭の中でグルグル。

怖くないですか?
自分がものすごく自然に悪気なく発言したことで
相手を傷つけてしまってるかもしれない。


察せたとしても根本理解は無理に近い

でもこういう些細な気持ちって当事者にしか
分からないんですよね。
どうしても。

そして当事者たちはそこを深く理解してもらいたいとは欠けらも思ってないんです。

言葉を選ばずに言うと、
「何も考えずに余計なことを言うな」
ということ笑

だから常に自分と他人とは違うという意識で発言に責任を持つこと、慎重に発言することを心がけないと、と改めて思いました。
自分の見えてる世界は当たり前ではないのだと。

ただ、前述の「気持ち悪い」という言葉は
そもそもネガティヴな意味を持つから
軽はずみに使うべきではないけれど、
色んなシーンで使える汎用性のある言葉なんかは
どうしてもついつい出ちゃうから難しいんですけどね…

それはともかく、まずすべきは考えること。
そして、知ること。

知らないのはやっぱり一番の悪です。
無知は敵。
そして同時に知識を振りかざすのも危険です。
それが必ずしも正しいものではないから。


知識をかき集めて武器をつくる

あくまでも知識は材料の一つだと思います。
注意深く吟味して精度の良いものを得る。
時には本やSNS、時には周りの人から。
でもやっぱり近しい人からもらう材料が1番安心じゃないですか?
ほら、クチコミも友人からのほうが信頼度高いし。

長くなってしまいましたが、多様性が叫ばれるようになってきた世の中でも目立つのはジェンダーとか身体的特徴とか、わかりやすい大きな違いばかり。

生まれ育った環境とか、それぞれの性格とかは
それぞれ違って当然だからこそ、みんな誤差
と捉えてしまうんですよね。
だからついその誤差を見落として、
つまずいてしまい、小さな小さなわだかまりが残る。

大切な人や、周りの人を知らずに傷つけないためにも、慎重に知識という名の材料を集めて、自分や仲間を守るための盾や、時には戦うための矛を作り出していきたいものです。

以上、最近の気づきでした。

最後まで読んでくれてありがとうございました!

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