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ごくごく限られたあなたに

私のことです 私への記事です

この記事のタイトルは美しくて琴線に触れられる感じがするので使いたかった。

限られた存在、範例

ごくごく限られた存在は、そこかしこに存在します。何を限るかで自由自在に存在します。

例えば。

東京都在住の10代のあなたへ。

首都で青春を過ごすあなたたちに、2度とはこない青春の楽しみ方とその自衛の方法、そしてこの期間に得た価値観が、ずっと未来まで続く考え方のお話。

いろんな作品が取り上げてきた話だと思います。私も弱い設定です。そういうアニメたくさん見てきました。

そして例えば

東京都在住の20代未満のあなたへ

さっきと言ってることは同じなんですがなんか条例違反的な雰囲気ありますね。表現ひとつでこんな変わるわけです。これについては、良いこと言いようがなさげです。

ごくごく限られた私へ

別に言葉遊びをしたいわけじゃなくて、書きたいことはちゃんとある。

私には生活を共にする人間が1人、猫が1匹、いる。

昨年末に5年住んだマンションから引っ越しをした。3人?で。

個人的かつ共感は得られやすいかもしれないけれど、引っ越しってどうも感傷的になる。家具の片付け一つとっても、忘れてたアイテムが出てきたりちょっとしたら傷に思い出があったり。そんな家具に粗大ゴミのシールを貼って玄関先でさよならしたり。僕はイチイチ泣く。思い出がどっかいってしまう気がするっていう痛いのはやめとく。

撤去して、家具が何にもなくなった家を見ると、ぼくは毎度絶対に泣く。大学の頃もそうだった。そして空っぽの部屋の写真を何枚も何枚も撮る。同じような写真を何枚も。なんならムービーも。だってここで俺お酒こぼしたやん、ここで君は泣いたやん。楽しかったやん苦しかったやん。でもなんの跡形もなく、僕らの生活はここで終わって、次の誰かの生活がここで始まる。その人生の移り変わり、変化がどうしようもなく私を感傷的にさせる。

ごくごく限られたあなたへ

私は今、先の3人?で新しい暮らしをしている。土地も違えば一戸建て、勝手も違う。職場までの乗り換えだってまだ間違うし、通勤時間が片道30分増えたことによる生活リズムだってまだ掴めてない。

ただ、僕ら3人は仲良くやっている。力を合わせて仲良くやっている。3人でゆっくりリビングで寛ぐ週末が至上の楽しみになっている。

家を持って、長く長く私と一緒にいてくれた妻と猫がついてきてくれた。これは決して当たり前じゃない。

夜をいくつも越えて、軋轢や愚痴で床を汚し、感情の発露として壁に傷が残り、狭い浴槽で暖をとり、ベッドシーツの汗と手の温もり、週末のわくわく。そんなごくごく限られたケース、ごくごく限られた私たちにしか得られえないいくつもを超えて、私たちはここでまた生きていく。

もっともっと生きていく。今までよりももっと多くの年月を、今までよりももっと多くの人数で。

まとまりはない、けれども

まとまりはないけれども、私にはこんなことがあってそんなふうに感じた、それだけのログとしての役目をこの文章が担ってくれるなら幸いです。、

僕の言葉と経験は僕にしか吐き出せないものだから、それがどれだけ価値が無かろうが汚かろうが、価値はあると思っています。

きみも、君もそう。

特別じゃないことなんてなにもない。

あなたは特別かわいそうでもないし、

特別恵まれてもいない

人生は劇的ではない










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