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なぜ大人になると色々どうでもよくなるのか

カブトムシは遅いゴキブリ

カブトムシ好きな人はごめんなさい、と書こうとしたけれどもそれだとゴキブリが好きな人に失礼だと思ったので書きません。でも私のスタンスとしてはゴキブリは嫌いです、というポジションで書いていきます。

子どもの頃はカブトムシが好きだった。そうは言っても狂ったように好きだったわけではなくて、人並みに好きだった。山に捕まえに行ったり飼ったり幼虫を育ててみたり、その程度。クワガタも好きだった。どっちかというとクワガタの方が好きだった。

いつからかははっきり覚えてないけれど、いつしかカブトムシに興味がなくなって同じくらいの時期にクワガタにも興味がなくなった。そしてやっぱり同じくらいの時期にゴキブリも嫌いになった。カブトムシが好きだった時期にゴキブリが嫌いだったかは覚えてない。でも母親に、なんでゴキブリを殺すのかを聞いていたらしいので、嫌いでもなかったんだろうと思う。

とにかく、成長したらカブトムシに興味がなくなってゴキブリが嫌いになった。ゴキブリほどの嫌悪感はカブトムシにないけれど、まぁ同じベクトルには乗っている。だから、動きの遅いゴキブリくらいに言ってもいい、私の中では。

言いすぎたかもしれない。
けれど本質はそこにあるような気もする。

なにも考えないこと

純粋な自分の中の興味関心が外界に塗り替えられていく。常識かもしれないし仮面かもしれないしキチン質の外殻かもしれないそんなものが混じる。
生きていくためには必須で手に入れないわけにはいかないそれは幼さを塗りつぶして寄生する。
宿主は寄生したそれを免罪符みたいにして、自分のせいじゃないと楽をする。

幼さが死んで社会性が寄生して、
いや、社会性に寄生して、
そうして人はゴキブリを嫌いになる。


下書きから

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