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ごめんなさいの在処

序破急ではないですただの前書きです。
前回の記事はなんだか時系列のような物語のような書き方をしたので、
今回はもとに戻して思ったことをまとまりなく書き綴ろうと思います。
日々思ったことは文章にしないと忘れてしまうし、話し言葉として誰かに伝えるときは口から出たその瞬間酸化してしまうような気がします。
だから書き文字にします。
それと、書き文字は不自由なのでそれが好きです。

すみません

すみません、という言葉がある。
日本人はまるで枕詞みたいに、あるいは口癖のようにこの言葉を使う。
「すみません、ちょっといいですか」
「すみません、ありがとうございます」
あんまり意味もないし使っている本人もあまり意味を感じていないんじゃないかな。
すみません、は英語で置き換えるとExcuse meだと学校で教わった。
どうやらこれは(部分的に)正しいみたいで、だいだいニュアンスは同じだ。
でも日本人みたいに意味なく枕詞のようには使わない(はずです)

そういえば、すみませんって感謝するときにも使う。
気を使わせてすみません、っていうことなんだろうが、
気を使わせてすみませんって日本に馴染みのない海外の方はなんのこっちゃらしい。ありがとうってそれだけ言えばいいのに、なんで謝るのって。
確かに、すみませんのそもそもの意味って謝罪の他に申し訳ない気持ちを表すのに使うので、そこらへんの感覚が違うのかもしれない。

上にも書いたようにすみませんはそもそも謝罪と申し訳ない気持ちを表す言葉だ。
つまり謝罪=申し訳ない気持ちなわけで、これは理解できる。そりゃそうよ、日本人的な感覚だ。

ごめんなさい

しかしこのすみませんが発端でバグってるんちゃうの日本人っていうケースがある。
日本語で謝罪を意味し日常的によく使われる言葉で「ごめん」「ごめんなさい」。
「すみません」と「ごめんなさい」の両方が謝罪を表す言葉故に、「ごめんなさい」の言葉にも申し訳ない気持ちを表す意味を乗せてしまっているケース。
「ごめんなさい、ちょっといいですか」
「ごめんなさい、ありがとうございます」
前述のすみませんをごめんなさいに置き換えてみた。
字面で見るとなんだか間抜けだ。
でも、私はこれをよく使ってしまっているし、他の人が言っているのもよく聞く。おもに仕事上でよく言うし聞く。
そもそも仕事上でごめんなさいを使うのはマナー的にどうなのという感じもあり、でも言葉って変化していくよねという感じもあるので何も言わないでおく。この記事の趣旨はそこではないし。
話を戻すと、家族や友達同士でのくだけた会話でもよく言うし聞く。
「ごめん、ちょっといい?」
「ごめん、助かったわ」
「ごめん、ありがとう」
「ごめん、なんて?」
聞いた感じ自然な使い方だと思う。違和感はない。むしろないと不自然レベル。それくらい一般的なんだろう。
でもこのごめん達って別の言葉にも置き換えられる。
「な、ちょっといい?」
「ありがとう、助かったわ」
「ありがとう」
「え、なんて?」
でもごめんって言っちゃう人いるよね、というのがこの文章のサブテーマだ。
脱線したがつまり、
仮説1:元来の意味は別にして、「すみません」と「ごめんなさい」が実運用上、完全にイコールの意味として使われている。
それって弊害ないすかというのがこの記事の趣旨。長くてすみません。

ごめんなさいの重み

「すみません」と「ごめんなさい」が完璧にイコールな意味で使われているとすると受け取る側によってはどちらも謝罪の意味で捉えられることにならないか(意識的でも無意識的でも)、というのがこの文章全体で言いたいことだ。私は心配だ。
ここからは完全に感覚的な話でソースとかはないので勘弁いただきたいのだけれど、すみませんよりごめんなさいのほうが謝罪感が強くない?意味としては完全にイコールと仮説立てているけれど、実際のそのニュアンスはごめんなさいの方が謝罪感強くない?
仮説2:すみませんよりごめんなさいの方が謝罪感強い。

汎用型ごめんなさいの影響

ごめんなさちをすみませんとして使った場合のごめんなさいを汎用的ごめんなさいと以下では表す。(別にふざけてません)
仮説1と仮説2の証明は面倒なのでしない。正しいというか納得感が得られると思って話をすすめる。
この状況下では(無意識に)めっちゃ人に謝罪しているしされているという現象が起こっているのではと考える。
すみませんという枕詞的な意味でごめんなさいを使っているのに、ごめんなさいの方が謝罪感が強いために、謝罪している(されている)という感覚を与えたり与えられたりしており、無意識化で立場的優位に動きがあるのではないか。
話しかける度に謝罪をする、枕詞的に発言の度に謝罪をする、これがすみませんを使った場合では発生し得ない立場的優差を生じさせる。
つまりごめんなさいを言った側はその度に立場的優位が下に、言われた側は立場的優位が上に、僅かではあるが無意識化で動く。
枕詞的にすみませんやごめんなさいを言わない人、汎用的ごめんなさいを使わずすみませんを使う人、汎用的ごめんなさいを使う人で比較すれば上記の僅かな無意識下での立場的優位性に差が生じ、日常的な関係性に影響を及ぼす可能性がある。
極端に言えばいつも謝っている人と謝られている人の間の関係は態度や言動に大きな差が出る。
謝るは誤ると同じ音をとるが、無関係ではない。

謝るは「誤る」から派生した語で、誤りを認めて許しを請うところから、「あやまる」に「わびる」「謝罪する」の意味が生じた。
https://gogen-yurai.jp/ayamaru/

許す側と許される側では立場的優位性があまりに違う。

汎用的ごめんなさいを使う人と使わない人が人間関係を持った場合、日々の言動や態度もそれに準じたものに均されていく可能性が大いに有り得るのではないか。
危ない。

私はごめんなさいをよく使う

私は間違いなく許しを請う側だ。日々許しを請うている。
自分に非がなくても、非があるのかないのかよく分からなくても許しを請うている。ちょっと話がごちゃりかけたらごめんって言う。なんかごめんとか言う。なんかごめんってなに?
まず謝って自分に非があることにしてしまえばとりあえず事態は収まるだろうという最悪の事なかれ主義精神なのかもしれないし、全部罪背負うけど罪がないものだけ石を投げなさい的な救世主精神なのかもしれない。
人には人それぞれの生き方があってその最適解は本人しか知らないけれど、なるべくなら自分が不当な評価や損を受けないように、日々のスタンスも気をつけたい。

面倒になったので雑にまとめました。ごめんなさい。
あとこの記事は記事を更新したくて無理やりのネタでした。
ごめんなさい。


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