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ある父親の話

ご挨拶

2022年11月21日に第一子が誕生しました。
母子ともに健康で、今日時点で生後53日、毎日に元気にやっています。

前回の記事がおよそ半年前のもので、妻がつわりの時期に思ったことを書いた記事でした。このペースだと5年で10本しか書けません。しょっぺえ。
基本的にこのnoteの役目は私の思考を言語化するその練習としての位置付けですが、ビッグイベントについては備忘録的な意味も持たせています。
内容は変わらず、まとまりなく思考をそのまま言語化していくだけのものですが、今回は時系列を追う形になるかもしれません。
お時間許せば口下手な私に少々お付き合いいただければ幸いです。

出産まで

11月21日 朝

予定日は12月3日。
正産期である11月12日以降、まだ産まれる気配なくない?みたいな感じだった。
胎動もまだ多いし食欲もそのまま、いわゆる「もうすぐ産まれそうかも?」といった感覚的なものもなかった。健診でも実際予定日近くなりそうだと。

それまで私はそわそわと家中を歩き回ったり、いつ産まれるのかとずっと臨戦態勢の日々を送っていたけれど(こういう時は父親の方が落ち着きがなくなるらしい)、まだっぽいという感覚と常時臨戦態勢も疲れたという感覚、二つの感覚が二人の間で共有されていって、なんだかゆるい数日があった。元気にポケモンなどして、枕を二つ並べてそれなりに安定した眠りがあった数日だった。

そんな最中の11月21日早朝、破水。
もっとわちゃわちゃするかと思っていたけれど、特に慌てることも取り乱すこともなく、準備して車に乗り込み産院へ。
淡々と冷静でいられるのは二人が成した時間のおかげかもしれない。
やっときた、ほっとした。
幸も不幸も待つのはいつだってしんどい。

産院に到着して、破水こそしたものの子宮口の準備が整っていないこと、数時間内にどうこうということはないこと、今日中に産まれればラッキーであること、だからお父さんはいったん帰ってねということを伝えられた。
誰からいつどこでどのように伝えられたのかは覚えていない。
助産師さんだったか、妻だったか、直接口頭だったか、電話だったか。
秋山黄色のSketchをリピートでかけて、朝日で赤い高架を駆けた。
生まれてこのかた朝日は嫌いだったけれど、この日はちょっときれいに思えた。
今も別に好きではない。でもこの日のことを思い出すだろうと予想できた。

11月21日 昼と夜

家についてとりあえず猫ちゃんずに報告をした。
いつもどおりの反応で、お迎えいただいた。
とりあえず会社に報告を入れて今日は休むことを伝えた。
とりあえずご飯を食べる気にもならなかったので妻と連絡をとりながら炭酸水でごまかした。炭酸水は味がしない。
痛いらしい。熱が出たらしい。病院で出たご飯は食べられなかったらしい。
現実感はあるのに掴めない霧みたいな時間が過ぎて、特になにもしなかった。なにもできなかった。辛かった。
そういえば帰り道は空気が湿っていた。

昼頃ウイダーinゼリーを買って差し入れた。4つもいらなかったかもしれない。

夕方ごろの連絡でまだ準備に時間がかかりそうとのことだったので、とりあえずテレビをつけてコンビニで買ったカップじゃないラーメンを食べながらぼっちざろっくを6話くらいまで一気観した。こいつはおもしろい。すげえ。
22時、しろみちゃんと一緒に7話だかを見ていたら妻から電話があって22時半にきてほしいとのこと。急やん。
最近買ったadidasのカラフルなヴィンテージジャージを羽織って車に乗り込んだ。
多分というか絶対に派手だと思ったけれど、着て行きたかったので気にしないことにした。
走らせる車のハンドルは、早朝よりも冷たくて、リピートが外れていた秋山黄色のSketchを再生しなおした。

出産

11月21日 深夜

産院の緊急用の駐車場に車を少し斜めに停めて、面会用のインターフォンを押す。
幸運にも立ち会い出産ができる時期だったので、そのまま個室に通された。
「奥さんは分娩室に移動されていますので、またあとで呼びに来ます」
貫禄のある助産師さんに伝えられて、やけに生活感がある個室で待った。痛みが染み付いたくしゃくしゃのベッドシーツ。ソフトボックスのティッシュ。持ち込んだアンカーの電源タップとライトニングケーブル。コンビニ袋に入ったままのウィダーinゼリー。
助産師さんがテレビをつけてもいいと言い残したことを思い出してリモコンの赤いボタンを押すと金曜から夜ふかしのスペシャル番組が映った。生活感の針が振り切れて、内容も面白かったので少し笑えた。多分この番組一生忘れない。こういう些細な棘みたいな瞬間が一生身体に残っていくことをなんとなく知っている。

じきにナースコールが鳴って、荷物を全部持って廊下の突き当りを右へ進んでくださいとくぐもった助産師さんの声がした。ナースコールって向こう発信もできるんだと、どうでもよく感心した。返事をしたけれど届いているのかはわからなく地面に落ちて、それを見送ったあと適当に持ってきたリュックを掴んで部屋を出た。とっくに消灯時間を過ぎた廊下にはヤクルトの自販機が置いてあって、きつくて優しい光を放っていた。

右に曲がると分娩室が二部屋があった。どちらも薄いカーテンで廊下と隔たれている。手前の部屋からはうるさいくらいに元気な赤ちゃんの泣き声と、女性の声、あと機械的な男性の声がした。リモート立ち会い後のようで、男性の声がインターネットを超えて妻に労いの言葉を届けていた。

薄くて青い不織布の前掛けみたいなのを着せられてベンチに座って待つようにと助産師さんが案内してくれた。
奥の部屋からはよく知った声がするけれど、それはあまりに苦しそうな声で、どうしようもないほどどうしようもない。ただ座ってそれを聞く時間ってどっかの国の拷問にありそうだと思った。

時間にして20分くらい、感覚にして 分くらい。
旦那さんどうぞ、と薄いカーテンの奥に通された。
内装は普通の部屋なのに無骨な医療器具とチューブがそこかしこに配置されていて、部屋の少し左寄りのベッドでは妻が真っ白な顔で苦しんでいる。知らない機械がピーピーいってる。悪い夢より悪い夢のようだ。
手を握って声をかけてうちわで扇いで、それしかできない。医療行為的に。
それしかできないけれど、それができるならとそれだけをとにかくやった。最大瞬間必死さでいうと人生で一番だったと思う。
機械音と荒い呼吸に混じって心拍がどうの、お医者さんわ呼ぶだのどうの、と助産師さんたちが小声で会話するのが聞こえた。聞こえてるよ怖いよ。
母親の死の直前と、状況は何もかも反転しているのに画像だけ重なるのが鬱陶しくていらついた。家族が増える瞬間に家族が減る思い出はいらない。少しあとでよろしく頼む。
奥からお医者さんがさっと登場して、処置を進めた。
お医者さんは針のような指示を次々に出して助産師さんたちは足音を大きくする。
部屋の温度が上がるのを頬で感じる。
僕は手を握って声をかけてうちわで扇ぐ。
僕の行動は誰にでもできるけど、これは僕じゃなきゃいけない。

ふわっと空気が浮いた感覚がして、小さくて色の悪い人の形をした臓器みたいな息子が1.5メートル先に見えた。
妻の手の力が抜けて、でもしっかりと握り返してくれた。
僕が呼吸を二回してから、彼も呼吸を始めた。

出産直後から退院まで

11月21日 深夜

数分経って、小さくて色の悪い人の形をした臓器みたいな息子はたちまち小さくて少しは人間らしい見た目になり、僕は写真を撮りまくった。
妻の写真、息子の写真、妻と息子の二人の写真。
そして三人の写真も助産師さんにとってもらった。

息子は助産師さんに綺麗にしてもらって、予め希望していたへその緒切断イベントへ。
僕が切断する。人の体をはさみで切断するのは当然だけど初めてだ。
うにうにと動く体の中央あたりから、白くてぶよぶよの管が生えている。
助産師さんがそれに止血用のクリップをして、この辺を切ってくださいとはさみを僕に手渡した。あまり躊躇いなくはさみを入れた。
丸めたガーゼを切るみたいな感覚で、管らしく切った断面から血が出てきた。贅沢な体験だった。
あとは胎盤お披露目会。でかいレバー。以上。

そのあと少し説明があって、三人の時間があった。
生まれた直後の色が想像より紫だったとか、疲れただとか、猫ちゃんずの話だとかを妻とはして、息子と交わす言葉はまだ見当たらなかったのでお疲れ様とだけ伝えた。
彼の目線は空中を捉えて離さず、口ではくちゃくちゃと空気を味わい、世界を泳ぐみたいに手足を動かす。この世界でゆっくりと生きはじめる。

二から三へ。
お疲れ様、ありがとう。

11月22日 から 11月24日

ここからは後日談みたいな軽いタッチで。
退院は11月25日、三日間は一人だった。
25日から育休に入るので、22日から24日は仕事をした。
リモートワークじゃなかったら潰れてた。
まぁよくわからないテンションで仕事をして、一応お昼ごはんと晩ごはんもちゃんと食べた。ピザとかコンビニとか近くのラーメン屋さんに初めて行ったりした。ラーメン屋さんには子ども連れがいて、あーこの店子ども連れOKかーとかを思い、あーなるほどと少し実感が湧いた。
立ち会いはOKだっだけれど面会はNGだったので、妻と息子とビデオ通話をした。便利な時代になったなあ。でも距離は余計に遠く感じるなあ。
久しぶりに飲んだお酒はすぐにまわって、今まで一度も見たことなかったワールドカップを気分で見て、日本代表はドイツに勝利した。めでたい。愛でられるといい。
32歳のこの三日間は、日常にぽっかり空いた穴みたいなまるで不思議な一人の時間だった。猫ちゃんずはいました。

11月25日

退院の日。
空気が乾いた冬の朝10時、やっぱり秋山黄色のSketchをリピートでかけて二人を迎えに行く。遠く明日まで見えそうな色の空の下、高架を駆けていく。
復路は一人増えて帰ってくるとかおもしろいな。
猫ちゃんずもびっくりやで。

荷物を持ってくれている助産師さん二人、息子を抱いた妻、よくわかってなさそうな顔の息子が産院の自動ドアを開けた。
なんだかんだで一番安心した瞬間かもしれない。
荷物をトランクに詰めてからお世話になった助産師さんたちにお礼を残し、三人で車に乗り込む。エンジンをかけて、びっくりするといけないので音楽はかけずに出発した。できれば心地いいスタートをきってほしい。
今日のお昼ごはんのことや、買わなくてはいけないものについて三人で話し合いながら帰った。
今日が終われば明日が来るだけの日を重ねて、僕が産まれて11,819日目、君が産まれて産まれて0日目の話。



妻が死ななくてよかった。
息子が生まれてよかった。
決して美談ではなく単なる叙事詩として。




思いのほか長くなってしまいました。
およみいただきありがとうございます。

時系列はずれたりしますが、たくさん書いていきたいと思います。今より過去のことも含めて。
よろしくお願いします。

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