【死にたくなったら最期に読むnote 02】


 人生に絶望して、死にたくなることは誰にだってあると思います。

 私も、実は死んでしまおうと思ったことがあります。

 それは、まだ20代の時だったのですが、私は結婚していたのに別の女性と不倫をしていて、おまけに最大3股ぐらいかけていて、そのうちの一人にこっぴどくフラれたので、死んでしまおうと思ったのでした。


 は?


と、今、あなたはそう思ったことでしょう。


何を言うてるの?この人

と。


 ええ、そうですね。自分でも何を言ってるんだと思います。不倫した挙句、それも3人も同時につきあっていて、そのうちの1人にフラれたから「死ぬ」なんて、意味不明であり、自業自得であろうと。


「それって、”死ぬ”じゃなくて”死ね!”案件でしょう?」

と、私だって思います。


 けれど、今まさに「死んでしまいたい」みなさんにとっては、

「死にたい理由なんて、人それぞれで、それを他人がどうこう言うのは、おかど違いである」

ということもまた、十分理解なさっていると思います。


 他人は、とやかく言うでしょう。

「そんな理由で死ぬの?」

「それは間違っているから死んではいけない」

「もっと本当に苦しんでいる人がいるんだよ」

などなど。


 それでも、あなたが死にたがっている理由や、あなたが死にたいと思っている状況は、あなただけの大切な宝物ですから、他人にとやかく言われる筋合いはない、と胸を張っていいのです。

 結局、人は「自分にだけしか、自分の人生を理解することはできない」ので、どうせ死ぬのだから、

自分が自分で納得して、これでいいのだ

と死ぬのが理想なのだと思います。


 だから、あなたはあなたの死を、死に向かう気持ちを大切にしてください。私はとやかく言いません。

 いくらあなたが一方的に悪い不倫の末の苦悩であっても、それは立派な苦しみです。死にたくなって当然なのです。え?悪いのはおまえだろ、って?ですよね〜。


 もう少し、思い出話をしますね。


 私は昔、映像製作をやっていたのですが、その時の弟子が自殺したことがあります。

 彼はまだ20代の若者で、一人ではりきって映画を作ろうとしていました。あまりその話を具体的に言うと、ググればそれが誰かわかってしまうのですが、彼にはとても才能があって、優秀なクリエイターでした。


 彼がなぜ自殺したかというと、一本の映画を一人で撮影していて、公開予定日に間に合わなかったからです。

 当日、連絡が取れなくなり、数日後に山中で首をつっている姿が発見されたそうです。


 さっきの話ではないですが、周囲は後からいろいろ言うことができます。

「公開を遅らせたり、関係者に謝れば良かっただけなのに」

とか

「そんなので死ななくても、あとでもっとよい作品づくりができただろうのに」

とか。


 そりゃあ、わたしだって

「それなら私に相談してくれればよかったのに!」

と何度も思いましたよ。彼が亡くなる3日前に、電話で話してたのですから、

「間に合いそう?大丈夫?」

と。そして彼は

「いけます!」

と言っていたのです。


 けれど、すべての結論は、彼の死であり、それしか残っておらず、それ以外の未来はありませんでした。


 なぜ彼は死んだのか。

 これも、私に残されている謎のひとつです。


 ところで、彼は幸せだったのでしょうか?それとも不幸だったのでしょうか?

 彼はその映画に全人生を費やしました。そして死にました。その映画のことだけを考え、それに人生を捧げたとも言えます。未完成だけど。

 それは幸せなことなのかもしれません。


 逆に言えば、なにも完成せず、人生も失って不幸だったかもしれません。周囲に迷惑をかけ、親を悲しませ、作品も放り出して死んだのですから。

 それはどん詰まりの不幸なのかもしれないのです。


 けれど、それをどう捉えるか、どう納得するかは、実は本人にしかわからないと思います。

 追いつめられて恨み苦しみながら死んだのか、残念だけれど極限までやりきって死んだのか。それは


 彼にしかわからないこと


なのです。


 だから、これから死のうとするあなたの状況も、その理由もあなたにしかわからないから、


 ぜひ、すべて納得して、できれば悔いなく死んでほしいなあ


と願っています。あとで後悔するような死は、自分にとっても苦しいだけだから。


 あとちょっとだけ、お話続けますね。


 似たような出来事で、先日仕事の取引先の「建築職人」さんが現場で亡くなったのです。心筋梗塞か何かで。

 彼はまだ40代で、奥さんもこどももいます。これからバリバリ仕事をする、いちばん脂がのった時期でもありました。

 でも、突然死してしまった。それも仕事場で。


 私は彼のお父さんのところにお悔やみに行きました。親にとっては子供が自分より先に死ぬのはとても悲しいことですが、それでもお父さんは納得していました。

「まあ、悲しいのは当然なのだけれど、大の大人が自分で選んだ職業で、その仕事中に死ぬというのは、ある意味では大往生だとも思う。だから、これはこれで彼の人生はまっとうしたということなんだな、と思っています」

と、お父さんは言うのです。


 その意見も、納得できました。もちろん残された奥さんやらお子さんにとっては辛い出来事ですが、彼が自分の仕事をまっとうして、仕事の中で死んだというのは、それはそれで「あり」なのではないかと思ったのです。


 だから、これから死に向かうあなたや私が、

「人生、まっとうしたな」

と思えるのであれば、それはそれで「OK」なんじゃないかな、と思います。

 また、それは他人がとやかく言うのではなく、自分でOKを出したら、それでいいんじゃないか?とも思うのです。


 そんな考え方は、いかがですか?


(つづく)





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?