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主にマッサージ、資格問題との上手な付き合い方


ここのところ、国家資格者が資格未所持の人を無資格者と呼んでみたり、領域侵犯をとがめてるつもりが、いつの間にか存在自体許さないってなってしまってる人たちの投稿でTwitterのTLが一瞬にぎわいました。

しかし、本来の目的はそこではないはずです(混ざってあおって楽しんでる釣り人は別)。

本日は、もろもろ問題を解決するために、国家資格者が行うべき発信について考察していきたいと思います。

環境認識がずれてしまうと意味が通じないと思うので、興味がある方は、本題まで少し長いですが頑張って読み飛ばさずに読んでみてください。

結構いいこと書いたと思います。

そもそも、資格(免許)はえらいのか

無資格議論に激しめに参戦している方々の表記を見ると、国家資格がない人に人権はないくらいの勢いを感じます。

そんなことはないという人もいるかもしれませんが、そう思われる程度には表現に配慮を感じません。

では資格はえらいのかという話になりますが、偉くはありません。

やりたいことが危険行為をはらんでいたり、一部資格が必要な場合に取っておく必要があるものであり、それ以上でもそれ以下でもありません。

個人的には免許の有無で態度が変わるのは人種差別とメンタリティがあまり変わらないと思いますが、個人的な感想なのであしからず。

「資格(免許)」を定義する

資格は、それがあればやっていい事、またはそれがないとやってはいけないことをするために必要なものです。

鍼がしたければ鍼灸師、マッサージがしたければマッサージ師が必要になる、それ以上でもそれ以下でもありません。

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