ロジカルなだけの人はつまらない

ありがたいことに?周りからよく論理的、合理的だとの評価を受ける。たしかに、仕事をしている時はなるべく論理を軸に話を進めるようにしている。
主義信条の異なる人を集めた際にそれが貴重な共通言語であると信じているから

ただ一方で、私生活はと言うと不合理の塊である。ハクナマタタの意味が気になってスワヒリ語を1日勉強し始めたり、天体物理学などの仕事に一切関係しない本を読んでいたりする。
手首がズタズタな女性に勢いでアプローチすることもあるし、近所の野良猫に30分近く話しかけている時もある。

実を言うと、僕はこれでいいと思っている。

というのも、生活が全て「合理的であること」を軸に成り立っている人は話していて本当につまらない
何をしているか、このあとどうするかが分かってしまうので全てが予想の範疇に収まってしまうのである。
極端にいうとロボットと同じで話す意味がない

世間で人間力と評されるものの正体の一部はこの不合理な行動なのではないかと疑っている。
我々の人生は集めた不合理のコレクションの分だけ輝きをますのではないか。

例えば、受験勉強を頑張った話をされても多くの人はそんなに面白いとは思わないだろう。受験勉強は多かれ少なかれ大多数の日本人が経験しているし、基本的にその内容に真新しさはあまりない。

合理的な行動は概ねオリジナリティに欠ける

それよりも、将来とは直接関係ない何かの部活でインターハイを目指していた話の方がよっぽど魅力的であるし、夏休みにインドでバックパッカーをした話なども興味をそそられる。

就活や社内評価で、やれロジカルシンキングだなんだと詰め込まれるとは思うが、それはそれ。ビジネスを離れた自由な時間まで合理性に侵食されたロボットにはなりたくないものだ。

ロボットといえば少年革命家を思い出す。YouTubeを覗くと彼は最高に不合理な人生を歩んでいるらしく、将来が楽しみである。

凡人な私は彼よりは合理に寄って生きることになりそうだ。