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29.Dec.2019 挫折の負債というセンスメイキング

三回に一回の筋トレの日だった。限界まで追い込んでプロテインを補給した。少し体が大きくなった実感があるが、全体のシルエットを見るとまだまだだ。
午後には急な思いつきでアジアスーパーに出かけ、夕食には餃子を作った。作り始めるのが遅くなりすっかり夜になってしまったが味はよくできていた。

今日は唐突にラフマニノフの『パガニーニの主題による狂詩曲の第18変奏』を聴いてみたところ鳥肌が止まらなくなった、という日常の些細な感動もここに記録しておく。

ここ数日、なかなかまとまらない議題が頭の中に横たわっている。そもそもこういった考え事において数学のようにはっきりとした答えが出ることはないのだが。それをnoteの記事に書ける日はくるのだろうか。


挫折の負債が溜まっている。

2019年は僕にとってとにかく色々な点で敗北を喫した年だと思う。それらの詳細についてここで語ることはしないが、あらゆる分野において負けに負けた。精神的に跪くほどのダメージも受けた。

でも僕が日本に住んでいた頃、これほどの挫折感を味わってきただろうか、と考えていた。

人生における勝負経験。僕はソフトテニスを10年間続けてきた。勝つことも負けることもたくさん経験してきたわけだが、今思えば負けて泣くほどのことってそれほどなかったんじゃないかと思う。例えば受験でも、僕は留学することに決めていたため日本で大学受験をしていない。

血が騒ぐほどの勝った、負けたという経験が不足している。それは勝負の内容の話ではなく、僕のその物事に対する精神的なウエイトのかけ方なのだと思う。
率直に言えば、僕は逃げ腰で戦ってきたのだろう。ソフトテニスの試合で負けても、敗北を敗北として真摯に受け止めずに「自分には〇〇があるから」という精神的な逃げを作ることで悔しさをリリースするという逃げ癖がついていたのかもしれない。

そうして逃げてきた分のツケのようなものを今、こうして味わっているのかもしれない。挫折の負債がたんまりあるのでかなりの頻度で試練が押し寄せてくる。

これは僕の勝手なセンスメイキングに過ぎないのだけど。

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