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自分の指導の常識を疑う

出口治明さんが好きだ。特に気に入っているのは「学ぶための3つの方法とは、人・本・旅である」という話。わかりやすいし、机にかじりついてひたすら問題を解くたぐいの学びにとどまらないのが好き。

そんな出口さんの本を読みました。

知的=自分の頭で考えること

子供の頃から経験してきた様々なことから、社会常識は勝手に自分の周りに作られているものだ。それに従って、あるいは鵜呑みにして生きていると、知らずしらずそれらを普通と捉えて生きている。だから、日本は生産性が低い。

知的とは、自分が成長するために社会常識や他人の意見を鵜呑みにせず、原点にさかのぼって「自分の頭で考えること」です。

これが、この本を貫くテーマとなっている。

「知的」と聞くと、「物知り」とか「賢くなる」とかいうイメージがある。しかし、この本で知的とは「自分の頭で考えること」だと述べられている。自分の頭で考える働き方だからこそ、自分が納得する働き方となるし、その結果を引き受けるのだから失敗しても成功しても成長する。

知的生産性を上げることとは、自分の頭で考えて成長すること。まずは、このことが学びとなった。

常識を疑う・根本から考え抜く

「〇〇なときは、△△するものだ」が、常識の公式だと思う。これを疑うことが、知的生産性を上げる方法だと述べられている。そのために、本当に必要なことかどうかを根本から考え抜くことも必要だ。

このプロセスことが「自分の頭で考えること」に他ならない。これまで仕事をする中で、この常識に当てはめて考えて行動することは多かった。それでうまくいくことも多かった。だから、疑うこともなかった。

確かに、自分の感覚で「なんか違うような気がする」と思っても、「周りもみんなやってるし」と気に止めなかったのも事実。一方で、本を読んだりTwitterを開いたりして学びを得て、自分の興味に従って取り入れたことも多い。自分の興味に従って取り入れたときには、どんどん改良したり没頭したりしていた。楽しかった。まさに、知的に行動していた。

議論はデータ・ファクト・ロジックで

世の中を素直に見るための要諦は、「数字、ファクト、ロジック」で考えることです。

「あの子は**な子だからね」とは、子どもの印象を語るときに使われるフレーズ。このエピソードだけで生徒指導をすすめる現場をよく見る。「あの親は**だから、△△しよう」とか。

そんな主観だけに頼って子どもを見ようとすることは、目の前のこどもを大事にしようとしていないことと同じ。自分の都合のいいように子どもを見ているだけに過ぎない。

新年度が始まって…

新年度が始まって、毎日楽しいは楽しいと思っていた。でも、子どもの動きがイマイチで大きな声を出して指導することが多かったと反省している。

どうして大きな声を出すことが多かったのかというと、子どもの動きに自分が納得していないから。行動が遅い、規律正しく動けていないなど、規律面で物足りなさを感じていた。

それをピシッと動かすために、大きな声を出して動かしていた。

学年主任としての威厳を保つためなのか。異動してきたばかりで他の教師に頼りないと思われないためなのか。あるいは、過去の成功事例を引きずっているのか。理由はわからない。でも、大きな声を出して子どもを動かしていたのは事実だ。

そもそも、子どもの動きを素早くさせることが、そんなに大切なのだろうか。大切だとして、大きな声を出す必要はあったのだろうか。

学校現場の中では「常識」とされたことも、今のうまく言っていない現状と照らし合わせながら、その根本から疑って腹落ちさせたいと思った。まずは、上に上げた2つのことから考えてみたい。


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