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生きづらかった小学校中学年

小3の時の男性教諭も、小4の時の新卒の女性教諭からも扱いにくい自分に対して、体罰が続いた。やめないおしゃべり、友達への粗暴な態度、因果応報だ。その9、10歳の頃の自分が100%悪いのだから当然だ。
家に帰れば、母親からの叱責。
部屋がゴミだらけのゴミ屋敷の部屋。

専業主婦であるにも関わらず、疲れただの忙しいだのと一切掃除をしない。お陰で体はダニだらけ。アレルギー性鼻炎とアトピー性皮膚炎、側湾症、歯肉炎など親がしっかりフォローしていれば、防げるような病を身も心も抱えていた。
昭和50年代にただの問題児として扱われた、自閉症スペクトラム。
あの時、あの40年前の昭和時代に誰かが自分を救ってくれたら、今の自分はもっと違う生き方、人生を送っていたであろうと断言できる。
教員、同級生、上級生、下級生殴られたり、突き飛ばされたり、口が達者で、人と争ってばかりいたから、男女問わず暴力を振るわれた。
よくもまあ事件にならなかったと思う。
自分の自転車を盗まれて、取り返そうとしたら、盗んだ親子から罵声を浴びせられたり、蹴られたりもあった。
水遊びをしていたら、その相手の親から、うちの子に何するのよ!と水をかけられ、溺れそうになったこともあった。

それは自分がその子供に何かをしたからなんだから当然だ)相手の親から貶されたり、学校に通報されたり。


荒れ狂った幼少期であった。活発そうに見えても、運動神経が悪く、足も遅く、でも目立つからドッジボールでも執拗に顔にぶつけられたり。


友達もいないので、児童館や駄菓子屋、次第に万引きやいたずら電話など、暇を持て余してするようになった。いたずら電話は適当にかけて、電話を切ったりとかだが、万引きは商店街やサンリオショップなど。

とうとう見つかって、毒親から殴られて、それ以降10歳で犯罪から手を引いた。この時期に見つかってよかったと思う。

その頃から、毒親は子供にもお小遣いをきちんと上げるようになった。(それまでは毒母親だけが、百貨店での買い物や習い事など父の収入を使っていたようだが、子供に万引きをされ恥をかいたのか子供にも還元するようになった。)


学校生活や家庭だけではない、叔父などの親戚に近親相関的なことを何度もされた。
そんなこと毒母親になんて言えるはずもない。辱めだ。惨めだ。
こんなことが、小6くらいまで続いた。
本当によく生きていたな。自分よ

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