見出し画像

スーパーで遭難する話

 地方都市によくある、ひなびたスーパー。ほかの買い物客は、すれ違うどころか、フロアを見渡しても数えるほどしかいない。それでいて、ばかみたいに広かった。
「えーと、そういえば、何を買いに来たんだっけ?」うろうろと歩き回っているうち、すっかり頭から抜け落ちている。
 わたしのいま立っているところは、冬物衣類のコーナーだった。婦人服、紳士服、子ども服が、ごっちゃごちゃに並べられている。
「立毛フリース・レギンス、299円か。生地もしっかりしてて、あったかそう」都内で買えば千円くらいするはずだ。インナー用に買ってもいいな。

 どうしようか考えていると、そこへ疲れたような顔をした30代の男の人がやって来た。
「あのう、ちょっとお尋ねしますが……」絞り出すような声で話しかけてくる。真冬だというのに、半袖のTシャツ1枚でサンダル履きだった。
「なんですか?」わたしは、少々用心しながら返事をする。
「夏服売り場はどこでしょうか?」そう、聞いてきた。
「このフロアのどこかにないですか?」つい、曖昧なことを言ってしまう。わたしだって、この雑多な売り場を把握していないのだ。そもそも、今時分、夏物など並べてあるのだろうか。
「フロア中、探し回ったんだけどなあ」溜め息混じりに肩を落とす。
「もう、倉庫にしまっちゃったんじゃありませんか? だって、1月も半ばなんだし」わたしは言った。
「えっ、いまって1月なんですか? そうかあ、かれこれ半年もさまよってるのかあ――」

 わたしのほうこそ驚いてしまう。そんなに長い間探していて、まだ見つかっていないなんて。
「夏の服を探しているうちに、冬物売り場まで来ちゃったんですね。本当に、お疲れ様です」
「こうなったら、意地でも見つけてみせます。このフロアにないとなると、別の階かもしれないな。うん、そうに違いない。上の階を当たってみますよ。それでは、ごきげんよう」
「夏までに見つかるといいですね」わたしは男の後から声をかけた。
「まずは、上のフロアへの階段を見つけないといけませんがね」振り向きもせず、そう答える。

 男とやりとりをしているうち、安くて暖かそうなレギンスへの関心も失せてしまった。いったんは手に取ったものの、また元の場所に戻す。
「フード・コートとかないかなぁ。ちょっと、座りたくなって来ちゃった」一休みして、何を買うか考えることにしよう。
 ところが、必要なときに見当たらない。家電とか、スポーツ用品だとか、現時点ではどうだっていいような売り場ばっかり、目の前に現れる。
「まいっちゃうな。これじゃ、さっきの人とおんなじだ。それどころか、もっと悪い。だって、あの人は夏服が見つからないだけで済んだけど、こっちなんて、食べる物が手に入らないんだから」
 このままじゃ、店員にも他の客にも見つけてもらえず、飢え死にしてしまうかもしれない。
 危機に直面し、わたしはゾッとした。

 遠くから、キイキイとカートを押す音がする。
 その油の切れた車輪の音を頼りに、わたしはあっちこっちと探し回った。やかましいきしみは、しだいに大きくなってくる。
 靴売り場の一画で、ようやくその主と行き会うことができた。太ったおばさんで、カートいっぱいに食品を積み込んでいる。
 助かった。食べ物をいくらか、分けてもらおう。
「あの、すいません」わたしはおばさんの元へと駆け寄った。
「はい、なんでしょ?」にこっと笑顔を向ける。
「実は遭難してしまって。お腹がペコペコなのに、フード・コートも食品売り場も見つからず、ほとほと弱ってるんです」

「まあ、まあ、それはお困りでしょうね。いいわ、カゴの中から好きな物をお取りなさいな」親切にも、そう申し出てくれた。
「ありがとうございます。食べた分のお金は払います。値段を教えてもらえますか?」
 けれど、おばさんは首を振ってそれを断る。
「いいの、いいの。缶詰や乾物はともかく、生食と冷凍食品はそろそろ始末しないと腐ってしまうところだったのよ。いえね、運良くレジを見つけて精算はしたの。だけど、それからが大変でねえ。なんせ、あなた。出口がさっぱり見つからないんだもの。かれこれ、半日になるかしら。この分では、一泊することになるわね」
「そうだったんですか。色々置いてあって便利なのはいいですけど、広すぎるのもやっかいですよね」わたしは言った。
「ほんとにそうだわね。次にここへ来るときは、地図を持ってこようと思うの。ええ、きっとそうするわ」

 わたしは、おばさんのカートから、パック入りいなり寿司とペット・ボトルのお茶をもらって空腹を満たす。
「これからどちらへ?」わたしは聞いた。 
「そうねえ、この通路を、もうしばらく行ってみようかしら。あなたもご一緒にいかが?」
「もしもお邪魔じゃなければ」
「邪魔だなんてこと、あるものですか。旅は道連れ、そう言うでしょ? 道中、楽しく行きましょうよ」
「はい。あ、この棚の土鍋も持って行きましょうよ。ビバークする際、鍋料理に使えます」食器コーナーの脇を通るついで、わたしは大きめの土鍋を抱え込む。
「あら、いいわね。そうそう、すき焼きにしようと買った牛肉があったんだ。グラム800円のリブロース、ちょっと奮発したから、きっとおいしいわよ」
「やったぁ、夕ご飯が楽しみっ」思わず小躍りをした。

 明日は出口か見つかるだろうか。店内を巡回している、警備員でもいい。彼らなら、各階の隅々まで知り尽くしているに違いなかった。
 もっとも、出会うこと自体、奇跡のようなことなのだが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?